第24話 前哨戦
「す、すまない。てっきり美しい女性だったと思っていたので、パニックのあまり失礼な事を……」
エルメルに絶対零度の視線を向けられ、ひどく罰が悪そうなレイチェルからの謝罪を受け入れた後、改めて彼女に助力を乞えば
「喜んでキミの力になろう」
一切の
元より彼女は、マデレイネが後宮を抜ける手引きをしたことで現竜帝の逆鱗に触れ、数日後に迫った処刑の日を待つばかりの身だったのだと言う。
竜帝に剣を向ける事になるのに本能的な恐れは無いのかと尋ねれば
「マデレイネ様をここから逃がすことが出来るのならば、この体がどうなろうと構わない」
真剣な眼差しでそう返され、彼女の決意の固さに胸を打たれた。
しかし……
「だから……無事、ここを出る事が出来た後は、煮るなり焼くなり縛るなり噛むなり踏むなりキミの好きにするといい」
間髪入れず続いたそんな言葉に激しい引っ掛かりを覚えた。
似るなり焼くなりというのは決意の表れ、覚悟の例えとして良いとして(?)
……踏む?? 噛む???
竜人の間にはそういったけじめのつけ方があるのだろうかとレイチェルを見た瞬間、彼女が口元をだらしなく緩め恍惚とした表情でオレを見ていた事に気づき、思わず再びあげかけた悲鳴を何とか飲み込んだ。
これは関わってはいけない
そう思い
『やはりこの話は無かった事に……』
そう言って、一目散にその場を逃げ出そうと思ったその時だった。
先ほど挙げたオレの悲鳴を聞きつけたのだろう、大勢の兵が石段を駆け下りてくる音が聞こえたせいで
「マデレイネ様のところまで案内しよう、私について来てくれ!」
オレとエルメルは彼女と共に、再び下水道へと駆け込む事を余儀なくされてしまった。
下水道を上流に向かって走る事しばし。
レイチェルが壁のレンガの一つを押すと、何もなかった筈のそこに仕掛け扉が現れて。
オレ達は彼女だけが知るという秘密の地下通路に逃げこみ、無事追手を
レイチェルの話によれば、この道は真っすぐ後宮にある井戸に繋がっているらしい。
蜘蛛の巣が幾重にも張った、長い事誰も通った事の無い事が分かる通路を歩きながら
『レイチェルは城門まであと少しという所までマデレイネを連れ出したと話していたが……。こんな便利な道を、何故マデレイネを連れ出す際に使わなかったのだろう』
そう思った時だった。
突然、広い空間に出た。
鞘の先が妙に粘性の高い蜘蛛の巣にねちゃりと絡まり、それを剥がそうと身を屈めた時だ。
「来るぞ!」
レイチェルのそんな声が聞こえると同時に、さっきまでオレの首があったところの
咄嗟に鞘を捨て、剣を構え見上げた先にいたモノ。
それは無数の赤黒い目と、大人の男の胴回りと同じくらいの太さの毛むくじゃらの八本の足、そして二本の大鎌のような牙を持つ、醜悪な姿をした巨大な蜘蛛の魔物だった。
「なっ、何だコレは?!!」
突然の事態に混乱するオレに向かい
「これはアラネア。かつてその美しさを驕った罰で、姿を魔物に変えられた侍女のなれの果てとも、大昔の竜帝に歯向かった蛮族の王のなれの果てとも言われている」
レイチェルはこの魔物の由来について説明を寄こして見せたが、聞きたかったのは当然そんな事ではない。
「私が囮になる。援護を頼んだ。仮にも竜帝殺しを目論むキミ達だ。前哨戦の竜帝のペット退治、よもや怖いなんて腑抜けた事言うまいな!?」
そう言うが早いか、レイチェルが大蜘蛛が張り付く天井に向かい飛び上がり剣を振るった。
途端にガキンと音を立て、剣が大蜘蛛の二本の歯に挟まれる。
そうしてガラ空きになったレイチェルの胴体に向け、振り下ろされようとした長く鋭い大蜘蛛の足の一本を、蜘蛛の死角に入り込んだエルメルが冷静にスパンと切り落とした。
痛みに悲鳴を上げるように大きく口を開き、大蜘蛛が捉えていたレイチェルの剣を取り落とせば。
その絶好の機会をレイチェルが逃す筈も無く、彼女は自由になった剣で大蜘蛛のさらにもう一本の足を切り落とすと、すぐさま反撃に備えエルメル同様、大蜘蛛からパッと距離を取った。
「
一気に勝負をつけようと、オレが魔法を放った時だった。
突然怒り狂った大蜘蛛が四方八方に向け大量の細い糸を吐いたせいで、凍った無数の糸が矢の雨となり一斉にオレ達に向かい降り注いできた。
咄嗟に各々柱の陰に隠れ、何とか難を逃れる事が出来たが、危うくハリネズミになるところだった。
氷魔法がダメだとなると、やはり正攻法でその胴体を切り落とすしかないか。
そう覚悟を決めた時だ。
再び大蜘蛛に向かい振り下ろされたエルメルの剣が、その太い足を半分ほど切り落としたところでピタリと止まり、普段ポーカーフェイスを崩さないエルメルの顔に一瞬焦りの色が浮かんだのが分かった。
「エルメル?!」
咄嗟に壁を蹴って宙を駆けあがり、エルメルの心臓目掛け振り下ろされていた足を切り落とした。
地面に着地した後、持っていた剣の刃に目を凝らせば、透明で粘性の高い糸が幾重にも巻き付いてすっかり切れ味が落ちていることに気付く。
残った四本の足をわさわさと蠢かせながら、足を奪ったオレ達を喰ってやると躍起になって壁を走り回りオレ達の逃げ場を奪う様に四方八方に糸を吐きまくっている大蜘蛛を見て、
このままだと、糸にからめとられて頭から大蜘蛛にボリボリと貪り喰われるのも時間の問題である事を早々に理解した。
そしてそうなる前にと、またレンの名前を呼ぼうとした時だった。
「止めろ! その必要はない!!」
エルメルがそう叫ぶように言い、切れ味の落ちた剣で再び大蜘蛛に切り込んでいった。
蜘蛛の体に剣を振り下ろす度、刃の切れ味は落ちるようで。
大蜘蛛のもの以上にエルメルが流す鮮血が宙を舞う。
力を出し惜しみしている場合ではないようにしか思えないが、どの道エルメルが大蜘蛛の傍にいたのでは、威力の強い魔法なんて使えないから仕方がない。
こうなったら斬撃の手数で押し切るしかないと覚悟を決め、オレとレイチェルもまた大蜘蛛に切りかかっていった。
満身創痍の中、この戦いに何とか終わりが見えたと思った時だった。
大蜘蛛が吐いた糸がオレの足に巻き付き、オレは片足を持ち上げられる形で宙吊りとなってしまった。
目の前には深淵にも似た大蜘蛛が大きく開いた真っ黒な口があって、思わず死を覚悟した時、オレの胸元から包みが落ちて、蜘蛛の口の中に吸い込まれていった。
その次の瞬間だ。
天井に張り付いていた蜘蛛が突如出鱈目な方向に動き始めたかと思えば、突然ズドンと地響きを立てて床に落ちた。
腹を上に向けたまま残った一本の足で体を起こそうと懸命に藻掻く大蜘蛛に向かい、エルメルが糸を浴びながらもその腹に剣を何度も突き立て。
そうして最期に大蜘蛛は大きくその足を空に向けてビクンビクンと伸ばした後、青い体液を盛大にまき散らしながら絶命した。
「急に蜘蛛が酔っぱらった様に見えたが、一体何を食べさせたんだ??」
レイチェルにそう聞かれ、先程の酒宴の席で強要されたショコラを、食べる振りをして胸元に隠した懐紙に挟み隠し持ったままでいた事を思い出した。
そう言われてみれば昔、蜘蛛に紅茶を飲ませると酔っぱらったように出鱈目な巣を作りだすと聞いた事がある。
あのショコラには媚薬成分を隠す為、香りづけに紅茶が大量に練り込まれていたが、おそらくそれが蜘蛛にとって
レイチェルとそんな話をしながら、軽い気持ちで魔法で負傷したエルメルを治療しようとした時だった。
エルメルがこの戦闘で負った傷が、思いの他深い事を知り驚いた。
本来であれば二度と剣を振るう事も叶わないような怪我の具合に、エルメルらしくないとの思いが湧く。
それと同時に、エルメルがレンの回復魔法に絶大な信頼を置いている事も知った。
きっとエルメルに聞いたとて彼が答えないのは分かっているが、本当に、レンとは一体何者なのだろう。
レベルアップは見た目だけ ~ 世界に平和をもたらすべく懸命に努力を続けてきたのにレベルアップしても全然強くなれず、落ち込んでいたのだけれど……。どうやら顔面偏差値のみ大きく上昇していたもよう ~ tea @tea_neko
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