知に遊ぶミミズク
遠部右喬
第1話
彼はいつの間にかここに居た。
何故、何時からここに居るのかは覚えていない。だが、自分のやるべきことは分かっている。
記憶の中で、誰かが彼に話しかけていた。
「頼むよ、沢山集めて来てよ」
不思議な響きの声。
あれは――。
彼は、右脇に抱えていた本を足元に下ろし、両足で掴み直した。そして、そっと周囲を窺うと、沢山の彼の中から飛び立った。バックヤードを抜ければ、棚を埋める本、本、本。閉店後の人影の失せた書店の中、誰にも見咎められないこの時間だけが、彼を自由にする。
只管に情報を収集する、それだけが与えられた使命だと彼は知っている。それが何の為かはどうでもいい。彼にとっては、ただ楽しいからそうする、それだけだ。
猛禽類らしく羽音も立てず、彼は本の森を気儘に舞う。
目に留まった棚の前で高度を下げ、彼は掴んでいた本を床に置いた。
綺麗に棚に収まっている図鑑を器用に羽で取り出し、先程置いた本をクッション代わりにして、ページを捲る。
床に置かれた本が光る。
彼は図鑑を棚に戻した。床に置いた本を掴み、飛び立つ。
あちこちで、それを繰り返す。
雑誌のコーナーでは、リングで戦う男達や馬の写真を眺める。
再び、彼の足元で本が光る。
文具のコーナーに並べられた不思議な道具達を、首を傾げつつ羽で触れてみる。
足元からの光が、彼の姿を淡く照らす。
楽しかった。知っていくということは、なんて楽しいんだろう。さっきまで知らなかった「モノ」達が、意味を持った「物・者」に変化する。そしてその度、大事な彼の本が光を帯びる。
彼は夢中で店内を飛び回った。
コミックスのコーナーで、聞き覚えのある「ウシジマくん」とやらを探してみる。
文庫のコーナーは少し大変だ。目当ての「日本百名山」が中々見つからない。
平積みされたおすすめ本・新刊本コーナーで、彼とそっくりなミミズクの描かれた緑色の表紙に目を見張る。
時折本を光らせ、彼は店内を回遊する。
辞典コーナーに降り立った彼は、棚から引っ張り出した自分より重たい辞書を、何とかケースから取り出す。
苦労した甲斐があった。面白い。彼は夢中で辞書に目を走らせる。足元の本が光る。何度も、何度も。
突然、彼が顔を上げた。バックヤードを飛び立ってから、随分と時間が経っていることに気付いたのだ。
早く戻らなければ。
慌てて辞書を棚に戻し、床に置いた彼の本を足に掴むと、両翼を羽ばたかせた。羽の重みに、残り時間が少ないことを彼は悟る。
漸くバックヤードが見えて来た。
ほっとした彼の足から、本が落ちた。と同時に、彼も床に転がった。
もう、身体が上手く動かせなかった。
取り落とした本から淡い光の粒が立ち上る。折角集めた光が散っていく。
彼は最後の力を振り絞り、羽を伸ばす。右羽が本に触れた。これ以上光が逃げないようにと願いながら、彼は動かなくなった。
出勤してきた社員の一人が、バックヤードの手前に転がっているものに気付き、首を傾げた。それは、動画サイト上の自社チャンネルの名物MCを模したぬいぐるみだった。社員はもう一度首を傾げ、拾い上げたそれをバックヤードの棚に戻した。
誰も居ない筈のバックヤードに、苦笑いを含んだ不思議な響きの声が流れた。
「興味があることに夢中になる所まで似せたのは、失敗だった」
声は溜息混じりに呟いた。
「ミミズクだからしゃーないけど、夜の間しか使えないのは不便だなぁ」
ちゃんとここまで戻って来てくれないと、折角手に入れた『知』だって消えちゃうしさぁ、と声がぼやく。
そして、新しい夜がやって来た。
再び沢山の彼の中で目覚めた彼に、あの懐かしい声が聞こえてきた。
「今度こそ頼むよ相棒、僕の似姿。『真の知』の名を体現しなきゃいけないんだからさぁ。全てを知るには、僕一羽じゃ、時間が足りないのよ。沢山集めて、ちゃんと持ち帰ってきてちょーだい」
こんなにカロリー使わないで済むなら、もっと沢山飛ばすんだけどなぁ……と、苦笑混じりの声。
何かを撫で擦るような微かな気配に、彼は辺りを見回した。
「ほら、行って。この時間は君の自由だ。いつか僕のこの本に、世界の全てを『知』で閉じ込めるまでは」
彼は、姿の見えない声だけの存在に小さく頷くと、飛び立った。
知に遊ぶミミズク 遠部右喬 @SnowChildA
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