第3話 手作り抹茶マフィン

 次の日、私はあるものをセカンドバッグに忍ばせて登校した。昨日、自宅の菓子工房で作った焼き菓子だ。

 昔ながらの和菓子屋だが、最近では洋菓子とのコラボ商品も開発している。だから、材料も家にあるし、思いつきで作り始めても困らない。


 昨日も只野のおじさんの手伝いをする只野の隣でマフィンを作り始めたら、それを見ていた只野が「抹茶マフィンを作ろう」と言い出して、結局二人で作ることになった。


 悔しいが、菓子作りの腕前で言うなら只野の方が上である。今日の抹茶マフィンも彼のレシピだ。

 ただ、反論させてもらえるなら、普通の料理は彼に負けない自信があるし、彼もそれを認めている。なぜなら店で忙しい両親に変わって食事を準備するのは私の仕事で、週末のお昼ご飯を只野親子と食べることもしばしばだ。


 教室に入り、まずは友達の木村梨子ちゃんと「おはよう」の挨拶を交わす。彼女とは高校で知り合ったのだが、いろいろと気が合って、今ではすっかり仲良しだ。


「今日ね、お菓子を焼いてきたよ」

「へえ。わあ、抹茶マフィンだ! しかも、あんこ入り!」

「レシピは只野なんだけどね~」


 彼女にはうちの家が和菓子屋で、只野が菓子職人の息子で、昔からの腐れ縁であることを話している。おかげでなんでも気がねなく話ができる。

 それに今日は、昨日あったビッグニュースを彼女に聞いてもらわないといけない。


「ねね、梨子ちゃん。折り入って話したいことがあるんだけど」

「ん? なあに?」


 と、爽やかな声が私の背後で響いた。


「佳奈ちゃん、おはよう」

「あ、王司君」

「優樹でいいって言ったでしょ」


 優樹君のくらくらするような甘い笑顔が返ってきて、私は思わず「はいっ」とうなずく。隣で梨子ちゃんが驚いた顔をした。


「えっ? 佳奈ちゃん、どういうこと?」

「ええとね、なんと言えばいいのか……」

「ちょっと佳奈ちゃんとは昨日仲良しになったんだ」


 驚く梨子ちゃんに優樹君がさらりと答え、私に向かってウインクする。私は朝から汗がぶわっと吹き出る思いがした。

 現実の日常生活でウインクできる男の子を見たのは生まれて初めてだ。それをさらりとやってしまうあたり、ほんと格好いい。


「昨日は、突然ごめん。驚かせちゃっただろうなって」

「ぜっ、全然大丈夫! 問題ないし! あ、それよりっ」


 焦る気持ちを誤魔化そうと、私はとっさにマフィンの入った紙袋を優樹君に差し出した。


「昨日ね、ちょっと暇だったから作ってきたの」

「これ、手作り?」

「うん」


 途端に優樹君の顔が甘くきらきらと輝いた。

 いやもう、彼の周りにスポットライトが見える。

 私は、どきどきと緊張しながら「どれでも一つ食べて」と言った。優樹君は、ラッピングされたマフィンを一つ手に取ると、それをまじまじと眺めた。


「すごいね、佳奈ちゃん。お菓子作りが得意なんだ?」

「へへ。うちがね、和菓子屋なの」

「へえ。じゃあもしかして、料理も得意?」

「うん、まあ嫌いじゃないかな」

「さすが女の子っていうか、女子力高いなあ。いいお嫁さんになれそう」


 優樹君が弾む声で褒めてくれた。

 しかし、ふと緩んだ私の頬がぴくりと止まる。

 優樹君は褒めてくれているわけで、嬉しいと言えばそうなのだけど、なぜか心にうっすらとモヤがかかった。


「佳奈ちゃん?」

「ああ、ごめん。ちょっと、ほら失敗したのも持ってきてたから、食べさせちゃいけないなって思って──。捨てるのはもったいないし、」


 するとその時、只野がふいに輪の中に入ってきて、一番派手なラッピングのマフィンを掴み取った。


「じゃあ、きっとこれだな。失敗をラッピングで誤魔化している」

「あ、こらっ。只野!」

「ほら、当たりだ」


 中から焦げついたマフィンが顔を出し、只野が得意気な顔をする。そして彼はにやりと笑った。


「眞辺はな、女子力が高いんじゃなくて、家事力が高いんだよ」


 優樹君がむっとした顔を只野に返した。


「それって似たようなもんじゃない?」

「いいや、全然違うね。眞辺の家事力の高さは、こいつが女子だからじゃねえし。ましてや、嫁適正の指標でもねえし」


 さらりと言い返し、只野はぱくりとマフィンを頬張った。そしてなに事もなかったかのように別の男子の輪の中に戻っていった。


 残された私たちの間に微妙に気まずい空気が流れる。

 いやちょっと、爆弾落として去って行くって、只野ぉぉぉ!


 しかし、そんな気まずい空気もほんの一瞬だけだった。只野の食べるマフィンを見て、他の男子生徒たちまでが「俺も!」「俺も!」と言い出したのだ。


「眞辺さん、すごいね。これプロ並みじゃん」

「店やれるんじゃね?」

「だから、眞辺の家は和菓子屋だっての」


 なぜか得意気に只野が答える。しかし、このマフィンのレシピは彼自身が考えたということは絶対に口に出さない。

 私は褒められて嬉しいやら良心が痛むやらで、とても居心地が悪くなって、「あはは」と笑って誤魔化した。

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