本編の応援コメントで、自分も身長は高くないがこのような差別を受けたことはないという旨のものがあった。
差別問題を提起すると、こうした反差別を無効化する物言いが決まって出てくる。
大抵は当事者を名乗りつつ。
仮にその自称が嘘偽りのないもので、本当に差別に遭ったことがないのだとしても、それはたまたま己個人の運が良かっただけだ。
そんな単純な事実になぜ思いが至らないのか。
あるいは、差別を差別と認めたくないだけかもしれない。
ただでさえ社会から不当なコンプレックスを植え付けられているのに、さらに自身が被害者であるなど、人によっては認めるだけでも辛いところだろう。
やはりその者もまた被害者なのだ。
このように、差別とは何重もの層をなして被害者をじわりじわりと追い詰めていく。
たとえ、どちらかといえば世間的に容認され、さほど大したことがないとされるような差別であってもだ。
悪気はなかった。本気じゃなかった。
そんなつもりはなかった。
まさか、そんな深刻に受け取るだなんて……
主人公は「背が低い」男性。
「たったそれだけ?」と思うかもしれない。
この作品における「まわり」も皆そう思っていた。
だから深く考えることもなく、彼をからかい、「向いていない」という理由で冷遇し、目を背けた。
そのひとつひとつが、積み重なれば人を殺せる毒であったとも知らずに。
マイノリティの活動はネット・コミュニティの影響もあって大きくなりつつある。けれども、それが適切に伝わっているかは疑問であるし、
何よりも「意識すらされない」マイノリティがいることも事実である。
諸手を挙げて、彼の行為や理屈に賛同することは出来ない。
ただ、恐らくは新聞の片隅にすら載らず、静かに忘れ去られていくであろうマイノリティの哀しみは、胸に迫るものがあった。