窓にうちつける雨音こそが神の音楽と、彼が言った

小烏 つむぎ

窓にうちつける雨音こそが神の音楽と、彼が言った

 はい。

もしもし、谷川です。


 あら、みーちゃん。

なぁに?

叔母ちゃんの若いころの話し?

へぇ、昔の話しを聞く宿題なのね?

お母さんに聞けばいいのに。 

お母さんに言われたの?

まぁ、好子ったら、らくしようとして!

いえ、何でもない、こっちの話しよ。


 そうねぇ、あ、特別な思い出があるわ。

音楽じゃないのに、これこそが音楽だって言われたこと。

聞きたい?


 もう、40年くらい昔のことよ。

叔母ちゃんね、アメリカに勉強に行ってたのね。

ペンシルベニアって州があるんだけど。 

あ、知らない?

えーと、アメリカ地図でいうと、右の上のほうよ。

アメリカでも古い州でね、フィラデルフィアとかピッツバーグとか、聞いたことない?

あー、ないかぁ。

ええと、あー、ニューヨーク州の上の方よ。


 そこの大学にね、留学していたの。

交換留学で一年だったけどね。

そこで出来た友達と、車を借りてランカスター地方に遊びに行ったときのことよ。

あのあたりにはアーミッシュっていう人たちがたくさん住んでいるんだけど。


 え?

アーミッシュ?

アーミッシュっていうのはね、キリスト教を信じている人たちなんだけど昔アメリカに移住してきた当時の生活をかたくなに守っているの。

えーと、『大草原の小さな家』ってテレビでやってたじゃない。

そうそう。

あんな生活を今もしているのよ。


 そう、今もよ。

電気もガスもない、車もないの。

大人になると馬車に乗れるけど。

とても厳しい戒律を守っていてね、もちろんスマホなんてもってのほかよ。


 みーちゃん、話しを戻すね。


 ランカスターはとても美しくてね、畑が一面広がっていて。

あー、そうそう。

北海道のあの畑がどこまでも広がる感じかな。

でね、そういうの見たくて女の子三人で車を借りてね、行ったのよ。

うん、その時の事なの。


◇ ◇ ◇

 

 アメリカ生誕の地とも言われるペンシルバニア。その中南部にあるランカスター地方は古い街並みを残した美しい街である。そこから車でしばらく行くと典型的な農村風景が広がり、数百年変わらぬ生活を続けているアーミッシュのコミュニティーがあるのだ。

 

 ◇


 どこまでも広がる風景の遠くに絵本で見たような煙突がある家が点在している。今しがた通り過ぎた小さな町の真ん中の広場には大きく枝を広げた木が木陰を作って、その下に古風な衣装を着た女性が集まって何か作業をしているようだった。


 町の通りを屋根付きの軽装馬車が、独特のリズムを刻んで通っていた。隣を追い越す車の方が野暮な感じだと、翔子は思った。


 やがて道はどちらを向いても広い畑という場所に三人を連れて来た。その真ん中でキャシーは車を止めた。右手の方を指さして嬉しそうに叫んだ。


「見て!雨が来る!」


 見ると右手の上空に大きな雲があって、そこから地面に灰色の影が真っ直ぐ下りていた。友人といるせいかすっかり気持ちの大きくなっていた三人は意味もなくそちらの方向に駆け出した。


 最初雨は、霧のようだった。それは熱く火照った肌に気持ちよく、三人は舗装されていない道ではしゃいでいた。


 雨はだんだん強くなり、雨雲が上空を覆い始めた。振り返ると乗り捨てた車は戻るにはいささか遠い場所にあった。アマンダがそこの小屋に行こういうので、三人はずぶぬれになりながらその小さな作業小屋を目指した。


 「お邪魔します!」


 そう言って三人が駆け込んだ小屋には、一人の青年がいた。おそらく17、18才くらい。濃い小麦色の髪の青年が、窓のそばの農機具に寄りかかってた。見るからにアーミッシュのコミュニティの若者だった。

 

 彼も雨から逃れて来たのか、濡れて貼りついた薄い色のシャツに青いチョッキ、履いているズボンは濃い青だった。三人の訪れに驚いて体を起こし、投げ出していた帽子に手を伸ばした。


 「こんにちは。」


 三人の挨拶に、彼は帽子を胸に当てて頭を下げただけだった。キャシーという積極的な女の子が自己紹介したが、チラとこっちを見ただけで彼は自分自身を新しい来訪者に紹介する気持ちはないようだった。次にアマンダという娘が自分を指差してゆっくり名乗った。続けて隣の東洋から来た黒髪の翔子を前に押し出した。押し出された翔子は恐る恐る名乗った。


「ショーコと言います。」

  

 それを横目にしていた青年は仕方なくという風情で自分の胸を指して「マッテオ」と言った。その後何か話しかけてきたが、それは翔子たちがペンシルバニアで聞きなれていたアメリカ英語ではなかった。もっと発音は固く、耳慣れない言葉だった。翔子は二人の友達を振り返った。ドイツ語も専攻していたアマンダが「ドイツ古語の変形のようだ」と言った。


 それからアマンダの片言の通訳で、自分たちは大学生でランカスターに旅行に来て雨に降られこの小屋を貸してほしいと思っていることを説明した。マッテオは窓の外を眺めてから、少し自信のなさそうな表情で頷いた。


 三人の娘たちは少し興奮気味におしゃべりをしていたが、マッテオは全く加わろうとしない。だんだんと会話もなくなり、そのうち小屋に静寂が訪れた。聞こえるのは屋根を叩く雨音だけだ。先ほどから風も強くなったようで窓にも雨が打ち付けている。空は暗く、明かりのない小屋の中はもっと暗い。


 気づまりな空気に、陽気なキャシーが何か楽しい歌を歌おうと言い出した。アマンダと翔子は頷いて、アメリカの子どもなら誰でも知っていそうな童謡『6ペンスの歌』がいいだろうとマッテオを見て言った。3人は視線を合わせて拍子をとると、歌いだした。


 ♪6ペンスの歌を歌おう

パイを開ければ、鳥が歌い出す

王様に出すごちそうさ♪


「△▽$§∀#!」


 とたんにマッテオが大声で遮った。

「讃美歌以外の歌を歌ってはいけない。」

アマンダが、納得出来かねるという顔で二人に意味を伝えた。


「なぜ?」

『讃美歌以外の歌は堕落の象徴だ。

聖書以外の本を読むことも、コミュニティを出て学ぶことも、神を裏切ることだ!』


 三人は顔を見合わせた。

何故そう考えるのか、納得がいかないと言いかけたとき、窓の外に稲光が走りドーンと地面が鳴って近くに雷が落ちた。


 『讃美歌以外の歌を歌ってはいけない。

外を見ろ。

雷は神の怒りである。』


 そう言われると三人の歌いたい気持ちは水をかけられた火のようにすっかり消えてしまった。薄暗い小屋の中が再び気詰まりな沈黙に包まれる。翔子はいたたまれなくなって、小さく謝罪の言葉を口にした。


 マッテオもさすがに悪いと思ったのか、窓を叩く雨音を指して言った。


 『神は自然のすべてに音楽を宿らせた。

風には風の歌があり、雨には雨の音がある。

木々も、雲の流れる様にも歌がある。

それに耳を傾けていれば、人は讃美歌以外の歌を歌う必要はない。』

 

 小屋に三度沈黙が訪れ、窓を叩く雨音だけが響いた。そのうち雷は遠くなり、ドラムのように窓を叩いていた雨も少しずつ音を小さくしていった。その間誰も口を開こうとはしなかった。


 しばらくして空が少し明るくなった。マッテオは帽子を被り、立ち上がってズボンについていた埃を静かに払った。


 『僕は行く。

君たちに神のご加護がありますように。』


 彼が小屋の扉を開けたとき、その隙間から美しい光景が見えた。厚く垂れこめた雲間から日差しが斜めに差し込んで、広がる畑の一部を明るく照らしている。それはまるで宗教画のようだった。


 翔子は柄にもなく「祝福」という言葉を思い浮かべた。


 ◇ ◇ ◇


 あれからさぁ、雨の音を聞くと「これは音楽なのかなぁ?」って思うわけ。

みーちゃんはどう思う?


 ロマンチック?

んー、そういうんじゃなよぉ。


 こんな話しで大丈夫?

うん。

ランカスターとかアーミッシュとか、自分でも調べてみてね。


 うん、お母さんにもよろしくね!

また遊びにおいで。

うん、うん。 

じゃあね。


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