第3話 ラスト 眩しくて青い

 二カ月ほど前のことを思い出していたら、沢口の細っこい姿が見えた。

 俺が見えたのか、満面の笑顔でブンブンと手を振っている。

 まるで、飼い主を見つけた犬みたいに一直線に俺のところに駆けてくるから、変に照れくさかった。

 だけど、そんな顔は見せずにスポーツドリンクを差し出した。


 そして、おなじみになった公園で、ブランコに並んで揺れる。

 自称ライバルには、野球部でのこともキチンと報告していた。


「レギュラーはまだ先だけど、補欠でベンチ入りになったぞ」

「そ。おめでと! 私もソロはまだ先だけど、応援しに行くから」

「晴れるといいな」なんて笑うから、「そうだな」とうなずいておいた。


「吹奏楽部の応援メンバーって選抜なのか?」

「野球部と違って、全員参加ですぅ! チームプレイは同じでも、条件が違うからね」

 ぷうっと頬を膨らませる沢口はいつもより可愛く見えて、どぎまぎして思わず目を伏せた。


「なぁ、勝負がついたら、どうする?」

「どうする、とは?」

「勝負ってことは、勝ったやつに特典があるだろ?」

「うわぁ、この人、もう勝った気でいるよ」


「バーカバーカ」なんてふざけた調子でからかってくるから、俺は少しだけムッとした。

 誰もそんなことは言っていないのに、あいかわらず理解が斜めに飛んでいる。


「沢口さんには負けたって、いいんだ。ただ、俺が野球に戻れたのは沢口さんのおかげだから、何かしてやりたい。ただ、それだけだって」


「バーカ」とからかいながら沢口はふざけた調子で流そうとしていたけれど、俺の真面目な顔を見てキュッと唇をかんだ。

 じっと見つめ合っているうちに、沢口は笑顔を消して真顔になった。


「勝って」

 は? と聞き返しかけたところで、沢口も真面目な顔で言った。

「レギュラーになったら、勝って。どこまでも、勝って。ずっとずっとずーっと勝ち続けて欲しい。それで私に、青空の下でトランペットを吹く機会を、これでもかってほど下さい」


 ちょっと感動してしまったのは一瞬で、「一回戦で負けたら泣いてやるからね」なんて言われてしまうと、さすがに「正気か?」とあきれるしかない。

 今回は補欠で代打要員だし、レギュラーになっても野球は団体競技だ。

 俺一人で実現できない約束はできないから、信じられない奴だと思っていたら、ブランコから飛び降りた沢口にポカスカと軽く肩を叩かれた。


「スポーツマンらしくさ。負けちゃうその日まで、試合にはずっと勝ってやる! って気合入れなよ。これでも相川君に期待してるんだからね」


 あ、そういうこと。と腑に落ちた。

 俺の口元がゆっくりと、笑みを形作っていくのがわかる。


「俺に、期待してるんだ?」

「してるよ、めいっぱい! だから、全力応援してるもん」


 グッとこぶしを握り締め、沢口の力のこもった声は、どこまでも明るい。

 なんだこの可愛い生き物は、などとクラクラしている俺の気持ちにはお構いなしに、「相川君が本気にしてくれない」と沢口はぷうっと頬を膨らませている。


「そっか。なら俺も、可愛い女の子のお願いと期待には応えないとな」


「え? 可愛い?」なんて沢口が驚いているうちに「じゃぁな」と言って俺は走り出す。

「逃げたー!」と叫び声が追いかけてきたけど、全部聞き流して置き去りにした。


 この気持ちが恋かどうかもわからないし、恋に落ちたからって立ち止まっている暇もない。

 だから、妙にむず痒く照れ臭い気持ちも、今は抱えて走っておく。


 かけられた期待も。

 受け取った希望も。

 送りたい言葉も、全部。


 全部、全部、今だけのもので。

 俺も彼女もここにいる。


 いつか、名前を付けるかもしれない気持ちも、沢口がくれたものだから、それでいい。

 ただそれだけで、最高の夏になると思った。


 眩しくて青い、躍動する季節が始まるのだ。




 【 完 】

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青と夏 真朱マロ @masyu-maro

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