シリア遠征

第53話 エル=アリシュ要塞、ヤッファ要塞、攻略


 カイロからドゼを送り出すと(*1)、ボナパルトはシリア遠征へ着手した。


 海域をイギリス海軍に封鎖されている。だから、アブキール海戦でのフランスの敗北に鑑み、トルコがイギリス・ロシアと同盟を結んだことなど、彼は知らなかった。同じく、彼がイタリアで叩きのめしてきたオーストリア軍の復活も。


 ボナパルトは、イギリス海軍のエジプト上陸を警戒していた。また、何度和平を呼びかけても、使者を拘束の上殺してしまうシリアの長官パシャにも、うんざりしていた。

 彼らに寝首をかかれるまでに、先手を打つ必要があった。

 パシャはトルコ皇帝の臣民で、ボナパルトの遠征は親トルコを旨としていたが、彼は気にしなかった。聞けば、アフメド・パシャはスルタンからシリア全軍の指揮を任されているという。大きな権力を与えられた臣下が王を裏切るのはよくある話だ。


 最も本能の領域では、ボナパルトは、トルコが敵に回ったことを察知していた。カイロ蜂起の際、モスクから流されたトルコ皇帝スルタンから市民への聖戦ジハードの呼びかけの、言葉の意味がわからなかったけど、また、ディヴァン地方行政官達は何も教えてくれなかったけど、トルコ帝国の確たる敵意をボナパルトの五感に伝えた。


 シリアに赴くのは必然だと、ボナパルトには思えた。


 シリア遠征、出兵は、クレベール、レイニエ、ボン、ランヌの各師団にミュラの騎兵隊及び工兵その他を加え、合計2万3000だ。


 1月下旬、レイニエとクレベールの前衛部隊が出発した。


 ボナパルトがエジプト東にある敵の要塞、エル・アリシュに到着したのは、2月12日だった。元ライン軍将軍のお手並み拝見と思ったのだ。


 レイニエ師団はすでに到着し、イブラヒム・ベイの軍を蹴散らしていた。

 モローライン・モーゼル軍の総司令官の参謀を務めていただけあって、この男レイニエは優秀だ。ただ、ものをずけずけ言い過ぎるきらいがあった。


 クレベール師団はまだ到着していなかった。砂漠の行軍を嫌った彼は、ダミエッタで船に乗り、メンザレ湖畔へ出るはずだった。船が遅れたのだ。

 ボナパルトに遅れて到着した師団長クレベールは泰然としていた。



 「エル=アリシュ攻略には、諸君らの前衛部隊だけで充分だと思う」

 居並ぶレイニエ、クレベール師団の将軍らの顔を眺め渡し、ボナパルトは申し渡した。


「しかし、レイニエ師団2100、俺の師団が2300、合計4400で要塞を落とすのはいささか心もとない気がします」

 クレベールが反論する。


「トルコ軍には、夜間に戦ったり歩哨を立てたりする習慣がない」

 ボナパルトが応じる。カイロのコプト(*3)から得た情報だ。 

「は?」

クレベールが怪訝な顔をする。

「夜襲をかけるのだ」

「ですがそれは……」


 未開の民族の習慣を利用するような作戦に対し、クレベールが異義を唱えようとしているのがわかった。

 あえてボナパルトは言い放った。


「これは祖国を守る戦いだ。手段を選んでいる場合ではない。ドイツで、君たちもそうだったのではないかね?」


 不承不承にクレベールは頷いた。

 朝は飯盒で飯を煮て食べてから、夜は決まった時間に戦闘を切り上げる。古式ゆかしい戦場の決まりに則って戦っていたオーストリア軍に対し、革命軍は、昼夜無用の戦いを挑んだ。そのことを言っているのだ。



 2月14日深夜から15日未明にかけてのフランス軍の攻撃に、トルコ軍はろくに戦うこともできずに降伏した。


 イエニチェリ(*4)の守備軍は降伏した。捕虜の一部はフランス軍の捕虜となり、進軍に加わることになった。


「想定される最も美しい軍事行動のひとつだった」


 満足げにボナパルトは頷いた。

 彼は知らなかった。


 「なあ。ボナパルト将軍の言う『美しい軍事行動』って、卑怯ってことか?」

 ボナパルトが立ち去ると、クレベールが吐き捨てたことを。



 クレベールのマイペースに、ボナパルトは手を焼いた。思ったことをすぐに口にし、ボナパルトの作戦の瑕疵をついてくるレイニエも苦手だ。元ライン軍将校はどうしてこう、扱い辛いのか。


 ガザへの到着にもクレベールは遅れた。先発隊の彼は、途中で道に迷ったという。クレベール師団の兵士達はへとへとに疲れ、自暴自棄から銃をへし折った者までいた。


「混乱して規律を破るより、名誉ある死を遂げた方がマシだと思わんか?」

容赦なく、ボナパルトはクレベールを叱責した。


 ガザの町の前には、性懲りもなくイブラヒム・ベイ(*5)が布陣していた。再びこれを叩き、さらに前進する。


 次いで向かったのは、ヤッファの要塞だ。ここはもうエジプトではない。トルコ領だ。


 ボナパルトの送った降伏を促す使者はレイプされ、殺された。首が槍の先に突き立てられ、塔の上に掲げられた。要塞を包囲していたフランス軍は、すぐに攻撃に出た。



「おいお前ら! 何をしている!」


 レイニエは叫んだ。彼の足元には子どもの死骸が転がっていた。そのすぐ向こうには、赤子を抱いた母親が倒れており、体の下から大量の血が流れている。


「住民に手を出すな! 規律を守れ!」


 憤怒するレイニエの横を、両手にいっぱい毛皮を抱えた兵士が通り過ぎていく。

 豊かなオアシス、ヤッファで、フランス兵らは略奪に余念がなかった。


「仕方ないだろ。狂った兵隊を相手にしてたら、フランス兵だっておかしくなる」


 ランヌが叫び返した。それに、ボナパルトの下ではこれが普通だ。

 だがこれは、あまりにひど過ぎた。既に人間の所業ではない。

 ランヌは、何とか兵士らの乱逆を止めようとした。しかし、全く無駄だった。ついに部下の将校が剣を抜き、荒ぶる兵士らの中へ飛び込んでいった。


 神を信じるトルコ兵らは、死を恐れなかった。近代兵器を持つフランス軍との差は歴然としている。仲間がどれだけ殺されても、彼らは怯むことなく襲い掛かってきた。アッラーの名を口にしながら。

 フランス兵もまた、狂っていた。暑さと乾きと疲労の中で、飽くことなく殺戮と略奪を繰り返す。


 ヤッファの守備兵2000が殺され、多くの住民が殺された。

 わずか5日の包囲で、ヤッファは陥落した。


 要塞に立て籠もり、最後まで抵抗を続けた兵士らも、若きボアルネとクロワジエ(*6)の助命の約束を信じて、ついに降伏した。


 勝者ボナパルトの非道は、降伏した捕虜の扱いとして、信じ難いものだった。


 ヤッファは、美しいオアシスの田園の町だ。輝くようなその海岸にフランス軍は3000人の捕虜たちを連れて行った。それから彼らを、海へ追い立て、銃撃した。あるいは、師団ごとに割り当て、撲殺した。

 海に追い立てたのは、捕虜たちを溺れさせ、銃弾を節約する為だった。捕虜の中には、エル=アリシュから連れてきたエジプト人捕虜たちもいた。


 大勢の捕虜を連れていけないし、残しておけばフランス側の守備隊に多くの兵士や物資を割かねばならない。捕虜が逃げ出せば、彼らは敵軍と合流し、再び戦いを挑んでくるだろう。

 それが、ボナパルトの言い分だった。



 ……ここまで来た。

 ボナパルトは思った。

 ……俺は勝った。


 このままいけば、首都コンスタンティノープルの征服も夢ではない。そこから反転し、最初に総裁政府に伝えたように、インドへ向かうか。そう。彼の帝国を建設する為に。


 ボナパルトの野心は膨らんだ。


 流行り始めたペスト患者を収容した病因で、薄汚れた遺体を運ぶ手伝いをするというちょっとしたパフォーマンスを演じてから、ボナパルトはヤッファを後にした。

 彼の行為に、同行した内科医のデジュネットは慌てたが、ボナパルトは平気だった。彼は、ペストごときを怖がる兵士や将校らを軽蔑していた。今は、ペストに罹っている暇などない。 次はいよいよアッコだ。

 後には、患者300人と守備兵150人が残された。健康だった守備兵たちも、やがては感染力の強い病気ペストに感染し、次々と死んでいく。



 3つ目の要衝は、アッコの要塞、司令官はアフメド・パシャだ。通称シェッザール・パシャ(屠殺屋、パシャはトルコの地方長官及び高級軍人)と呼ばれ、残虐なことで名を馳せていた。

 彼こそが、ボナパルトからの使者を拘束して殺し、和平の申し出を悉く無視してきた地方長官パシャだ。まあ、カイロ蜂起(*7)では、民衆を唆した扇動者の一人でもある。また、エジプトから逃亡下イブラヒム・ベイを匿い、身柄を要求しても知らん顔を続けた。


 だがここへ来て、アッコの守備兵たちは浮足立っていた。ヤッファ要塞から逃げて来た兵らが、フランス軍の残虐さを伝えたのだ。シェッザール・パシャ自身も、アッコを捨てようと考えていた。


 そのパシャを説得し、戦う決意をさせたのが、イギリスの代将コモドール、シドニー・スミスだった。彼は本国イギリスから、トルコとの外交も兼ね、地中海のトルコ周辺海域を委ねられていた。


 海路を封鎖したシドニー・スミスは、エジプトから武器弾薬を運んできたフランス艦隊を襲い、荷物を奪った。そしてそれらを、アッコのトルコ軍に補給し続けた。


 孫ほども年下の、外国の将校の協力に、ついにアフメドシェッザール・パシャも、留まって戦う決意をした。(*8)





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*1 カイロからドゼを送りだすと……

2章「ドゼ師団の旅立ち」中、「ユセフ運河」~  の時期です

https://kakuyomu.jp/works/16817330655728167040/episodes/16817330656990698337



*2 アブキール海戦

20話「ナイル河の戦い(アブキール海戦)」

https://kakuyomu.jp/works/16817330655728167040/episodes/16817330658033840447



*3 コプト

 エジプトのキリスト教徒

 このコプトのの名は、ジャワリawhari。彼の紹介で、マレム・ヤコブ(*1「ユセフ運河」初出)は、ドゼ師団に赴いた。



*4 イエニチェリ

 オスマン・トルコの歩兵



*5 イブラヒム・ベイ

 ムラド・ベイと共にピラミッドの戦いに参戦するも(活躍はなし)、フランス軍が、カイロ入城後、レイニエ師団により、すぐにシリアへ追いやられていた



*6 ボアルネ、クロワジエ

ナポレオンの養子、ジョゼフィーヌの連れ子。ウジェーヌ・ボアルネ。

クロワジエはボナパルトの副官。砂漠の行軍の時、ボナパルトからベドウィン数騎を斃すよう言われたが(余興的な命令だった)失敗、逃げられてしまった。ボナパルトから罵倒された彼は、涙ぐんでいたという。今、ウジェーヌが一緒だったとはいえ、彼の約束は残酷な形で反古にされ、かつ、できない約束をしたことで、またしてもボナパルトの不興を買った。クロワジエは、アッコへの最後の突撃で死に、これら恥辱から解放されたと言われている。



*7 カイロ蜂起

「カイロ入城」〜

https://kakuyomu.jp/works/16817330655728167040/episodes/16817330656930544902



*6 シドニー・スミスとジェッザール・パシャ

「オリエント撤退」に出てきます

https://kakuyomu.jp/works/16816927860779343494




※シリアの地図です。

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330659833933558


シリア遠征についてはブログがございます

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-183.html ~





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