第52話 ボナパルトからの指令



 紅海からイギリス艦隊が押し掛けてくるというドゼの危惧は辛くも回避された。

 が、彼らはエジプトを諦めたわけではない。

 7月12日、地中海に面したアブキール湾から、ムスタファ・パシャの軍が上陸した。(*1)

 

 「貴方はベニスエフに近づき、数日後にはカイロに行けるように、全軍を集めて下さい」


 15日にボナパルトが書いた指令がドゼの元に届いたのは、22日のことだった。ドゼはカイロから200キロ近く離れたところにいた。


 「全軍を集めるのは不可能だ」

歩きながら手紙を読み、ドゼはつぶやいた。

「今、師団は上エジプトの要所に散らばっている。モランはギルガに、ベリアルはエスネに、ドンゼロットはクセイルにといった具合だ。各々の師団は遠く離れている」(*2)


 同じ22日、ドゼから返事がないのに痺れを切らしたボナパルトは再び手紙を書き、第一陣をカイロに派遣するよう、要請した。


「物資を集め、シリアからの攻撃に備えて東エジプトを守って下さい」



 ベリアルが呼び出された。


 ドゼの副官がせわしなく荷物をまとめている。

「シーツはどうします?」

「持っていこう。2枚だ」

 ピンと張ったシーツは、ドゼがエジプトへ来てから覚えた贅沢のひとつだ。


「ドゼ将軍」

ベリアルが呼びかけるとドゼが振り返った。

「来てくれたか」


 日に焼けた顔が嬉しそうに綻ぶ。クセイル遠征のごたごたなど、すっかり忘れ去っているようだ。もっともドゼは、ひたすらベリアルに謝っていただけだったが。


 もちろんベリアルだって同じだ。クセイルの件は、彼の中に何ら禍根を残していない。


 ただ、あの後彼には気がついたことがある。ドンゼロットを派遣してきたが、本当はドゼは、自分がクセイルへ行きたかったのではないか。シエネでは、僅かな時間に急湍カタラクトを遡り、アビシニアの盆地まで見に行ったドゼだ。(*3)

 手紙で、クセイルには、ベリアルの代わりに自分が行こうと書いてきたのは、かなり本気だったのだ。


 しかし、恐らく副官にでも止められたのだろう。なにしろドゼは、師団長なのだから。イギリス海軍は、追い詰められたマムルークと徒は違う。イギリスの艦隊が近づいているとわかっている浜辺になど、出向くべきではない。

 それで、仕方なく、ドンゼロットを送って来たのだ。


 クセイルは紅海に面した港町だ。


 エジプトに上陸してカイロに入城したばかりの頃、ドゼは、カイロと紅海を隔てる要塞を見物に行ったことがある。また、ボナパルトが紅海の視察に行った話も伝わって来た。(*4)


 ドゼも、干潮となった紅海を歩いてみたいのだ。そして、モーセの泉に手を浸してみたいのだろう。


 今、ベリアルにははっきりわかった。あの時、旅行好きなこの男は、ドンゼロットではなく自分がクセイルへ行きたかったのだ。単純に紅海を見る為に。


 「カイロへ行くんですか?」

ベリアルが問うと、ドゼは頷いた。

「ご覧の通りだ。ボナパルト将軍の命令だからな。だが、俺の軍全体をまとめるのは、困難だと考える。幸い、ムラド・ベイを追って、フリアンがファユームにいるから、彼に援護を頼むつもりだ」


 エジプトの2大マムルークのうち、イブラヒム・ベイは、ピラミッドの戦いエンババの戦いの後、レイニエ師団によりシリアへ追い払われた。

 残ったムラド・ベイにハッサン・ベイが加わったが、後者は、ビル・エル・バーの戦いで致命傷を負い、数日後に亡くなった。


 相次ぐ戦闘に倦み、住民たちは、フランス軍に味方するようになった。狂信的なイスラム教徒のアラブ人メカン武装農民ファラヒンらも、自分たちを盾としか考えないマムルーク軍から脱落していった。ミニエでダヴーらがアラブ人の軍を打ち破ってから、マムルークによる大きな襲撃はなくなった。


 いわば全ての防壁をむしりとられた状態のムラド・ベイは、ファユームへ逃げ込んだ。それをフリアンとモランが追っている。


「ちょうどよかったですな、ムラドがファユームに逃げ込んでいて」

 ファユームはカイロ郊外のオアシスだ。


「だが、上エジプトが心配だ。ベリアル、君には上エジプトに残ってもらう」


 自分の代わりに上エジプトを守り、統治せよと言っているのだ。ベリアルは胸が熱くなった。


 「あの、ドゼ将軍?」

せかせかと立ち去りかけた上官を、ベリアルは呼び止めた。

「カイロの件が片付いたら、一緒に紅海を見に行きましょう」


「紅海?」


 一瞬、ドゼの眼が輝いたのをベリアルは見逃さなかった。


「クセイルに、ドンゼロット将軍を訪ねていきましょうよ」


「ああ、ぜひ」


子どものような笑顔を残し、ドゼは立ち去っていった。




 ところで、ドゼがボナパルトからの2通目の手紙を入手したのは7月31日だった。

 25日には、エジプトでのボナパルト最後の戦いアブキール陸戦が、フランス軍「勝利」のうち、終わっていた。

 ドゼがこの事実を知ったのは8月5日だった。(*5)


 アブキールでのボナパルトの勝利を知り、既にイギリスの脅威は去ったと、ドゼは判断した。


 彼は、カイロ行きを取り止めた。

 ムラド・ベイに、そして上エジプトの統治に意識を集中した。






 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

*1 アブキール湾から、ムスタファ・パシャの軍が上陸した


アブキールは地中海に面しており、遠征の最初に、フランス艦隊が壊滅させられところです。あちらはアブキール海戦(ナイル河の戦い)、こちらはアブキール陸戦となります。



「アブキール陸戦」について、ブログがございます。

 https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-205.html




*2 全軍を集めるなんて不可能だ

地図がございます。前回、ベリアルとドンゼロットが赴いたクセイルも載っていますので、ご確認頂けると幸いです

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330659673711771




*3 

42話「シエネ、フィラエ」、参照下さい




*4 ボナパルトが紅海の視察

紅海と地中海の間の運河の検討に赴いたようです。この時、干潟を歩いて渡っていたボナパルト一行は、満ち潮に気づかず、危うく海に飲まれそうになりました。対岸にいた部下が気づいて、小屋を燃やして道標としたといいます。




*5

最初の手紙は7月22日にドゼの元に到着しました。すぐに出発したとしても、3日後のアブキール陸戦に間に合ったかどうか。いずれにしろドゼは、師団がばらけている現状に鑑み、全軍を連れてカイロへ迎えというボナパルトの命令に従うのは難しいと判断し、出発を見合わせていました。

2回目の手紙が到着した時にはすでに、アブキール陸戦は終わっていました。

いずれにしろ、ドゼはカイロに行かず、結果としてこれは、ボナパルトの命令に背いたことになります。



少し遅れましたが、ミニエの地図を上げました。フリアンがムラド・ベイを追っていったファユームも載せてあります。

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330659789361940

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