ドゼ師団の旅立ち

第21話 ユセフ運河




 1798年8月26日(ナイルの水位が低すぎたため、何度か延期して)、ドゼ師団は出発した。

 トータルで、少なくとも3000マイル(*1)の旅の始まりだ。


 まず、ディジャームdjermsで河を125マイル(約200km)遡る。ディジャームは、ナイルを遡る小舟だ。


 目撃情報のあったバーナサBahnasa 辺りで下船した。ナイルは洪水の時期を迎え、岸辺はすっかり浸水していた。ドゼを含め兵士たちは腰まで水につかり、膝上までのぬかるんだ泥の中を進んだ。


 だがドゼ師団が到着した時には、すでにムラド・ベイはいなかった。さらに上流のアシュートAshutへ向かったらしい。


 ムラド・ベイは神出鬼没だった。目撃情報を受けてすぐに向かっても、もういない。ドゼ師団到着のわずか一日前に、妾や家財とともに逃亡されたことさえあった。もっとも、ムラドも大慌てで逃げ出したようだ。残された小麦の袋は、師団の貧しい食糧を潤した。




 夕方、泥で汚れた体を洗おうとしているドゼの元へ、副官のクレマンがやってきた。


 「ドゼ将軍。貴方に会いたいと言っている人が来ました。コプト人です」


 コプトというのは、エジプトのキリスト教徒だ。革命はカトリックの権威を否定したが、信教の自由そのものを禁じたわけではない。現にボナパルトは、イスラムなどエジプトの文化・宗教には敬意を払うよう、最初に通達している。

 イスラムがよいのなら、コプトも同じだろう。


 副官には敬意をもってお連れするよう命じ、ドゼは慌てて軍服の泥を叩き落とそうとした。全く落ちなかったが。

 クレマンに連れられ姿を現したのは、白い髭を生やした初老の男だった。柔和な目をしている。

 男は、キリスト教徒のマレム・ヤコブMoallem Ya’qubと名乗った。(*2)


「フランス語がお上手ですね」

ドゼが褒めるとにっこりと笑う。

「むしろ私には、トルコ語がわかりません」

「自分もです」


 和やかな空気が流れた。年齢と人種の差はあるけれど、なにがしかの親し気な空気が二人の間に流れた。


「私は、トルコ人よりもフランス人のほうに親近感を感じています。貴方がたはキリスト教徒だ」


 微笑み、ドゼは否定しなかった。

 しばらく間が空いた。


 「ムラド・ベイがナイル河に船を集めています」

唐突にマレム・ヤコブは囁いた。

「ほう」

顔色も変えず、ドゼは頷く。

「彼は貴方がたをナイル河の上流(南)へと押しやるつもりです。カイロとの通信を遮断させたいのです」

「なるほど」

「その上でナイル中流の要所から上流に向けて一気に船団を繰り出し、貴方の軍を壊滅させる腹積もりです」

「失礼だが、その情報の信憑性は?」


 愛想よくドゼは尋ねた。

 マレム・ヤコブは動じない。


「かつて私は、スレイマン・ベイの家令を務めていました。スレイマンとムラド・ベイは、仲間同士です。私は、ムラド・ベイについて、さまざまなことを知っています」


 ドゼが真剣な顔になる。


「なぜそのような情報をわが軍に?」

「貴方が信頼に値する人だからです。貴方は、賄賂を取らない、部下にも強奪を許さない。すべての品物を、金を払って公正に購入する」

「当たり前のことです」

「そうだ。貴方はいつもそう言う」


 マレム・ヤコブの眼に、強い光が宿った。


「長い間、我々はイスラムの支配に苦しんできました。同じコプトでも、自らの堕落を恥じ、甘んじてこれを受け容れようとする者もいる。また、イスラム教徒に賄賂を提供することにより、寛大な処遇を得ようとする者もいます。けれど、そのどれもが誤りであると私は思うのです」

「我々は、貴方がたを支配するのではない。平等と敬意に基づいて、友情を築きたい」

「貴方がたの革命のことは知っています。自由、平等、友愛。それらは救いのように私には思える。エジプトはトルコの国ではない。ましてマムルークの国でもない。エジプトは、エジプト人の国です」

「その通りです。国を治めるのは、その国の民であるべきだ」

「これからはドゼ将軍、私は貴方と共に参りましょう。貴方は私を信じますか」

「信じよう」

即座にドゼは答えた。


「ムラド・ベイはファユームにいます」

確信をもってヤコブは言った。

「ファユームで、馬や武器などのミリを取り立てているのです」


 ファユームは、カイロ近郊の豊かなオアシスだ。綿花や、オリーブ、イチジクが栽培され、牧羊も盛んだと彼は説明した。ファユームこそが、ムラド・ベイへの物資や人的供給地となっている。


「ファユームへ行くとなると、ナイルをベニ・スエフまで戻るしかないな」


手元の地図にドゼは目を落とす。即座にヤコブは反対した。


「いけません。さっきも言った通り、ムラドはナイルに船を集めている。これ以上、ナイルを旅するのは危険です。彼は、貴方がたとカイロの間を遮断させたいのです」


 ドゼは司令部カイロとの通信が途切れることを恐れていた。そうなれば、物資の供給が絶たれ、必然的に砲弾や弾薬の補給もできなくなるからだ。馬もろくにいない状態で騎馬軍団マムルークと剣だけで戦うなど、狂気の沙汰だ。


「しかしナイルを離れると、我々は太陽の熱と渇きに苦しむことになる。いったいどうやってファユームを目指せばいいのか」

「ユセフ運河(*3)をお使いなさい」

戸惑うドゼにヤコブは勧めた。

「ユセフ運河?」

「古い運河です。けれど、少なくとも砂漠ではない」


 ここからナイルを少し遡ったダイルートDairutに運河の入り口があると教えた。


「但し、覚悟をしておいて下さい。ユセフ運河はナイルとは違う」

「砂漠の旅よりマシだと思う」


 少なくとも兵士たちは、渇きで死ぬことはない。



 ヤコブの言ったことは正しかった。

 それは、船旅とは到底いえないほど、ひどい旅だった。何千年も前に造られたという運河は曲がりくねっていて、水深も十分ではない。ディジャームdjermsは瞬く間に座礁してしまった。再び、兵士たちは(そしてドゼも)船を下りて泥と水の中をロープを伝って移動しなければならなかった。


 運河を70マイル(約110km)ほど進み、最初に下船したバーナサBahnasaを通過したあたりで、マムルークの分遣隊とぶつかった。追跡が開始され、最初の小競り合いが展開された。しかし、双方とも深追いはしなかった。再び、運河の旅が始まる。


 オアシスの村々を回り、ムラドは再び、兵力を蓄えつつあった。彼は、ベニ・スエフとアルシノエのオアシスの間のセディマンで、ドゼ師団を待ち受けていた。






――――――――――――――――――――


*1 3000マイル

約4800キロ。東京からブータンの首都くらいまでの距離



*2 マレム Moallem

キリスト教の信仰教育を受けた人に与えられる称号


マレム・ヤコブについて、ご紹介がございます

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-308.html ~

(2023.8.18公開予定)



*3 ユセフ運河、ファユーム

ユセフ運河は、ナイル河とファユームを結ぶ運河です。

先史時代、ナイル河が洪水の際にモエリス湖が造られました。このモエリス湖を拡大する為に、ファユームのオアシスが開発されました。その際、水路が組み込まれ、これがユセフ運河です。


アメンエムハト 3世 (第 12 王朝;紀元前1800年代) の治世中に工事が完成したといいますから、古くて水位が低くて曲がりくねっているのもむべなるかなという感じです。


わかりにくい地名がたくさん出てきて恐縮です。読み方は自信がないのでルビの形で原綴(フランス語か英語です)をつけておきました。


「近況ノート」に地図を挙げておきました。例によって現代の地図ですみません。

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330656997336212







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