カイロ降伏
第19話 カイロ入城
ムラド・ベイの敗北、及び対岸のイブラヒム・ベイの逃走を受け、首都カイロから全面降伏を伝えてきた。
ボナパルトは、カイロに入城した。
すぐにレイニエ師団が、イブラヒム・ベイの追討に派遣された。
休む間もなくこの師団が再び砂漠の旅に出られたのは、師団長のレイニエの指導力が大きかったと言えよう。レイニエは、ドゼが
だが、麾下の兵士たちの間には、ボナパルトへの不満が大きく膨らんでいるのは、たやすく想像できた。
……よもやレイニエが謀叛を企てることはあるまいな。ベイたちやアラブ人の力を借りて。
ボナパルトは疑惑を持った。
マムルークらの後ろには、トルコが控えている。この国は今のところ、フランスとイギリス、どちらを味方につけるべきか迷っているが、どこでどう転ぶかわからない。
そこへ、レイニエ師団の裏切りがあったら……。
取る者もとりあえずボナパルトは、ミュラと、デュギュア、ヴィアルの師団を連れてカイロを出、レイニエ師団の後を追った。
ドゼは、マルタ騎士に対するボナパルトの処遇に賛意を示した。人の懐に飛び込む力に長け、蛮族さえもすぐに味方に取り込むという油断のならない力の持ち主ではあるが、得た情報はそっくりボナパルトへ流してくれた。少なくとも今のところは。
ミルーのボナパルトへの批判は、あれは、ミルー個人の判断だ、 ドゼの差し金ではない。ボナパルトはわざわざミルーの埋葬に顔を出した。そこにドゼの姿はなかった。
ドゼはボナパルトに心酔していると学者のモンジュは言っていた。上陸してすぐのボナパルトの訓示を聞けなかったからと言って(彼の師団は上陸が遅れた)、そのコピーを送ってくれと言ってきた……。
◇
「ドゼしょう、ぐ~~ん!」
師団がカイロに入るなり、弾丸のようにすっ飛んできた男があった。
「おお、ダヴー! 元気だったか?」
傷のある顔に微笑が浮かぶ。
「ドゼ将軍、俺、貴方のお役に立てなくて。前衛軍の行軍、お疲れさまでした!」
「いやいや、騎兵の君がいても、大して役には立たなかったよ。俺の師団には、馬は運搬用のしかいなかったからな」
ドゼはさらりとひどいことを言ったが、ダヴーと呼ばれた男は気にしていないようだった。
「俺、約束通り、デュマ将軍と仲良くしています。ミュラ将軍とも喧嘩、してません!」
「うん、偉いぞ、ダヴー」
してみると、この男は騎兵将校なのだと近くで聞いていたベリアルは思った。ミルーの軍が収容されたデュギュア師団の所属だ。
「もちろん、ボナパルト将軍にもかわいがってもらってます」
ドゼが微妙な顔をした。
「で、ダヴー。そろそろ戻ってこられるか?」
「はい!」
元気よくダヴーは答えた。
「ローマではなくマルセイユへ送られて、ドゼ将軍と違う船に乗せられた時の絶望はひどいものでしたが、そして、連れて来られたアレクサンドリアにドゼ師団がいなかったのは、死にそうなくらいショックでしたが、俺、捨てられたわけじゃなかったんですね!」
「俺たちは上陸が少し遅れ、アレクサンドリアには入城しなかったのだ。城壁の外に駐屯したのだよ。俺も、出港の時に、君がローマに来なかったのは意外だった(*1)。だが、君は優れた将校だから、ボナパルト将軍は、近くに置きたかったんだろうよ」
「総司令官はトゥーロンからの出航でした」
「うん、あんまり近くに置きたくもなかったんだろうな」
「ここで会ったが百年目、俺はもう一生、ドゼ将軍から離れません!」
「いや、離れてもいいんだよ……」
「ドゼ将軍、その方は?」
あまりに馴れ馴れしい態度に、思わずベリアルは声をかけた。
「ああ、君は初めてか。彼は、ダヴー。95年からライン・モーゼル軍で俺の下にいたんだ」
「俺は、栄えあるケール3師団(*2)の中にいたんだぜ」
得意そうなダヴーを尻目に、穏やかにドゼが説明する。
「彼をボナパルト将軍に紹介したのは俺なんだ。それでダヴーも、エジプトへ来ることになった」
「何しろ俺は優秀だからな!」
ダヴーが胸を張る。そのダヴーにドゼは問いかけた。
「ミルー将軍の兵士らのめんどうはよく見てくれているか?」
「もちろん!」
「ミルー将軍の部隊は今、彼の下にいるんですか?」
驚きに、ベリアルの声はつい、大きくなってしまった。ミルー部隊は、ルクレール将軍がデュギュア師団に連れて行ってしまった部隊だ。彼らを取り戻そうとして、ミルーはベドウィンに殺されてしまった。彼の兵士らは今、このダヴーの下にいるという。そしてダヴーはかつてのドゼの部下で、彼がボナパルトに紹介して、エジプト遠征に従軍することになった。
ダヴーが頷いた。いささか横柄に見える。
「そうだ。ミルー将軍の部隊は、ラルマニアから、俺の下に配属になったんだ。あれ、ドゼ将軍の采配でしょ?」
「さあ、どうだったかな。そうだ!」
ドゼが嘯いた。わざとらしく、ぽん、と手を打つ。
話をそらしているのだ、と、ベリアルは感じた。だが、ドゼが絡め手からミルーの軍をルクレールから取り上げ、ダヴーの下に回したことは間違いない。
「明日、ピラミッドへピクニックに行こうと思ってな」
ピラミッドだけではない。カイロと紅海を隔てる要塞の見物にも、ドゼは行っている。急勾配の土地での要塞の配置を観察したり、保管されていた十字軍の手甲や兜などのコレクションを見物したりした。
ドゼの「遠足」は好評で、毎回、100人ほどの将校・兵士らが同行を希望する。
イブラヒム・ベイを追ってボナパルトがカイロを出てから、ドゼは臨時のカイロ司令官になっていた。なんとなく、
ライン河畔にいた頃にも、ドゼは、休戦期間を利用して、あちこちを探索していたという。イタリアへボナパルトを訪ねてきたのも、こうした旅の一環だった。常勝将軍に会いたいという希望ももちろんあっただろうが、イタリアの戦場をぜひ、見てみたかったのだ。
とにかく、じっとしていられない男だった。砂漠の行軍は彼にだって負担だったろうに、カイロに着くなり希望者を募り、ピラミッドによじ登る計画を立てている。
それに同行しようとする自分も、相当に彼に感化されているなと、ベリアルは苦笑した。
「今回は、一番高いピラミッドに登ろうかと思っている。ダヴー、君も来るか? 師団のみんなに紹介したい」
ダヴーの目が輝いた。
「ピ、ピクニック!? みんなが行くというあれですか? とても楽しいという……」
「そうだよ、多分、そのピクニックだ」
「さ、さ、誘われたの、初めてです!」
「そうかそうか」
「行きたい! どうしても!」
「なら、来ればいい」
「でも……」
ダヴーは神妙な顔になった。
「カイロに入ってからというもの、どうも腹の調子がおかしくて」
そういえば、さっきから匂ってる、とベリアルは思った。乾燥した気候の中でここまで強い匂いなのだから、相当なものだ。
「そりゃいかんな」
平然とドゼは言った。このひどい匂いも、全く気がついていないようだ。それとも、慣れているのか。
「次の遠征が始まるまで、充分養生しておくがいい。ボナパルト将軍には俺からも言っておくから」
「はいっ! こんなのただの腹痛です! 可及的速やかに治します! ドゼ師団に戻れるんですから!」
惚れ惚れとドゼを見つめる。
「そうだよ。君がいないと心細くてな。戦場であそこまでためらいなく敵を殺せる騎兵も珍しいからな」
臆面もなく、ドゼが応えた。
◇
1798年8月は、ナイルの洪水を祝う、預言者生誕を祝う、革命歴7年の初め(9.22)の3つが重なる、めでたい夏だった。
幻想的な、多分に性的な祭りが繰り広げられた。軍はしばしの休息を楽しんだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
*1
ダヴーはマルセイユから出港しました。マルセイユの司令官はレイニエでした。
また、ダマンフールで師団長が殺されたミルー師団は、最終的にダヴーの下に入れられたことになっています。
レイニエ師団なら、下船後、ドゼに会うチャンスはあったでしょう。
しかし15話「ミルー師団の移籍」に書いたように、ミルーがベドウィンに殺された後、師団はルクレール将軍に連れられていきました。ルクレールはデュギュア師団の騎兵で、デュマ将軍の下にいました。
以上の点から、アレクサンドリアで上陸してから、ダヴーはデュギュア師団に編入になったのではないかと思います。彼が騎兵であったこともこれを裏付けます。
確かなことは、カイロに入ってからダヴーは赤痢に罹り活躍ができなかった、ということです。ムラド・ベイ討伐に当たり、ドゼはボナパルトに、しきりとダヴーを返してくれと言っていました。ドゼの師団には、馬も騎兵もいなかったからです。
*2
「ケール3師団」については、「負けないダヴーの作り方」の「ケール出撃」の章をご覧ください。
https://kakuyomu.jp/works/16816452218559266837/episodes/16816452218904397289
またこちらに簡便な説明がございます
https://novel.daysneo.com/works/episode/cc10e5bc445c396023b573055d3ae550.html
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます