第18話 ピラミッド(エンババ)の戦い
途中、ワルダン Waldan で、5つの師団が合流した。2日間の休息が与えられた。スイカが振舞われ、兵士らはようやく、喉を潤すことができた。
この間、ドゼとレイニエの師団は、食料調達の為、少し離れたところにある村へと派遣された。
もう少し近くの村へ派遣された師団もあった。この師団は、食料を持ち出そうとして、村の強い抵抗にあった。兵士たちは逆らう村人を殺した。血の匂いを嗅いで凶暴になった彼らは、生き残っていた女たちを犯した。
それとは知らず、日が暮れる頃、ドゼとレイニエの師団が帰還した。彼らは牛をたくさん連れて帰った。
牛を引く彼らの軍服のボタンがなくなっていた。なけなしの金を使い果たしたドゼら一行は、きれいな丸い球を喜ぶ住民に、牛と交換で、ボタンを差し出しのだ。
日程を焦るボナパルトの元へ、マムルークのムラド・ベイから伝言がきた。このすぐそばにあるエンババ embaba で待つ、というのだ。ムラド・ベイからの伝言は、近くの
蛮族から伝言を貰うとは! ボナパルトはじめ側近たちは、なんとも不気味な気分だった。
シュブラキイトで、マムルークを追撃しなかったことをボナパルトは悔いた。ナイル河から激しい砲撃音が聞こえ、慌てて船団を救いに駆けつけた。船には、非戦闘員でもある民間人を詰め込んである。中には、モンジュをはじめ、フランスの頭脳とも謳われる学者もいる。彼らが野蛮な未開人の犠牲になったら、政府や民衆から何を言われるかわかったものではない。
とはいえ、彼らの救出へ向かったことにより、マムルーク追撃の機会を逃してしまった。
ムラド・ベイからの伝言で、ボナパルトは、マムルークを破らねば
深夜2時に出発した軍は、翌日午後2時、エンババ村の近くへ到着した。
遠くに色とりどりのテントが張られ、煌びやかな旗が翻っている。ムラド・ベイの軍だ。彼は通告通り、エンババでフランス軍を待っていた。
はるか遠くに、カイロの
「兵士諸君! カイロだ。見ての通り、カイロは都市だ。今まで通り過ぎて来た泥臭い村々とはわけが違う!」
つまり、略奪対象がたくさんあるということだ。オリエンタルの美に彩られた価値ある財宝。物珍しさにおいて、イタリアの比ではない。ヨーロッパに持ち帰れば高く売れるだろう。
兵士たちの目が輝いた。
カイロの向こうの三角錐を指さし、さらにボナパルトは檄を飛ばした。
「行け! あのモニュメントの頂から、40の世紀が諸君を見下ろしていると思え!」*
それが何であるか、ボナパルトは知らなかった。
いずれにしろ、彼の文学的比喩は、兵士達には伝わらなかった。遠くの三角錐などに構っている場合ではない。敵は目前に迫っている。
奇声を上げて、マムルークの騎馬兵たちが襲い掛かってきた。美々しく着飾り、大きく湾曲した剣を持っている。
最初に襲われたのは、右端、最も敵寄りにいたドゼ師団だった。。迫りくる敵の大軍に、ドゼ師団の方陣は持ちこたえることができなかった。正方形の右側が大きく崩れ、マムルークたちはそこを通って、先へ進む。
続いて、レイニエ師団の方陣が崩れた。
しかし、デュギュア、ヴィアル、ボンの師団は持ちこたえた。各方陣は6つの戦列からなっており、角には大砲が置かれていた。方陣前方の兵士が切られると、すぐに陣の内部に引きずり込まれ、次の戦列の兵士が前へ出る。
切り込みに成功したマムルークは、方陣内部でフランス兵に囲まれ、殺された。
方陣の外へ向かい、大砲が火を噴いた。マムルークも大砲は持っていたが、それはえらく旧式の、質の悪いものだった。最新鋭の大砲の砲撃に驚いた蛮族たちは、退却を始めた。
マムルークたちは、エンババの村に逃げ込んだ。あらかじめこの村を要塞化してあったのだ。しかし逆に、自分たちを窮地に追い込んだようなものだった。村の入り口は封鎖され、4000人ほどのマムルークが村に閉じ込められた。彼らはあらゆる方向から銃撃され、あるいは銃剣で突き殺された。
村の東はナイル河に面していた。追い詰められたマムルークたちは河に飛び込んだが、フランス軍からの激しい銃撃を浴び、対岸まで渡り切れたものはごくわずかだった。
河の対岸には、ムラド・ベイの盟友、イブラヒム・ベイの軍が布陣していた。彼らはなすすべもなく、ムラド軍が殺戮されていくのを見ているしかなかった。
生き残ったマムルークたちが、なんとか村の入り口まで戻って来た。彼らは、ドゼ師団の方陣右側にできた崩れから脱出、砂漠の奥へ向かって潰走を始めた。
デュギュア師団から出た騎兵が、逃げる敵兵らを追って突き進んでいく。その中には、ボナパルトの親衛であるミュラや、デュマもいた。
彼らが切り殺したマムルークが、至るところに倒れていた。また、大砲や方陣からの砲撃でやられた者もいた。
砂漠の民は、全財産を持って旅をする。マムルーク兵の衣装は、それだけでひと財産はありそうな美々しいものだった。湾曲した剣も美術品として価値があり、柄や鞘には宝石があしらわれていた。
フランス軍兵士たちによる、略奪が始まった。死体は裸にひん剥かれ、マムルーク兵らが所持していた黄金や宝石を、兵士らは奪い合った。
この度は、ドゼもレイニエも、部下の略奪を諫めなかった。砂漠の中、悲惨な行軍を続け、戦いに勝利した兵士らには、報酬が必要だった。
「あれなあ、ドゼ。わざとだろ」
レイニエが言う。少し離れたところから、ドゼとレイニエは、部下の残虐な行為を眺めていた。
「何が?」
ドゼの声は、ぼんやりと間延びしていた。さすがの彼も、暑さと疲労で参っているのだろう。それとも、死体をあさる兵士たちの狼藉に、何か思うところでもあるのだろうか。
「マムルークを砂漠に逃がしたの」
座り込み、両手を前に垂らしたレイニエが言う。
かろうじてエンババの村から出てきたマムルーク達は、ドゼ師団の方陣の右側にできた崩れを通って砂漠へ逃げていった。そのことをレイニエは言っているのだ。
ドゼが答えた。
「彼らだって生きなきゃならんだろ」
兵士たちは略奪に夢中で、師団長の言葉など、耳に届いていない。
「そうだなあ。壊滅させるまで追い詰めるのはよくないよな」
ぼそりとレイニエがつぶやいた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
*
どうやらこれが、改ざんされる前のナポレオンのセリフだったようです
« Allez, et pensez que du haut de ces monuments quarante siècles nous observent ».
なお、ボナパルトがローマでピラミッドを見たかどうかは、定かではありません。
また、その上のセリフ「兵士諸君! カイロだ……」は創作です。第一話でご紹介した、イタリア遠征の時のボナパルトのセリフを参照しました。
「兵士諸君。諸君は裸で、食べ物さえ政府は補給しようとしない。私は諸君を、世界一肥沃な大地に連れて行こう。諸君はそこで、名誉と栄光と富を見出すであろう」
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