3 ケール出撃

第18話 誇り高き撤退




 1796年(マンハイム陥落の翌年)秋。俺は、交換将校の身分で、ライン・モーゼル軍に加わり、ライン河岸に戻った。


 交換将校。

 考えたものである。

 俺の身分は、捕虜になった時に、司令本部かどこか、戦場に出ない部門に移されたらしい。そしてほとぼりが冷めるのを待ち、ライン・モーゼル軍に「派遣された」。

 派遣先では、上官の命令に従わなければならない。それが、交換将校だ。もちろん、戦場に出ろと言われれば、即座に出陣する。





 ライン・モーゼル軍の司令官は、ピシュグリュから、モローに代わっていた。なんとピシュグリュは、政界に打って出たそうな。

 それも、去年、俺らがマンハイムに立て籠っている最中に、ライン・モーゼル軍司令官を辞任する届け出が出されていたという。


 そういえば、いつまでもマンハイムにいられないからと、ドゼ将軍を指揮官にしようとしていたが、あれは、そういうわけだったのか。


 くどいようだが、彼がパリで辞表を書いていた時、部下たる我々は、マンハイムに立て籠っていたのだ。オーストリアの砲撃と、武器食糧医薬の不足に、それこそ、死ぬ思いで耐えていた。


 あんまりな話だ。

 しかもピシュグリュは、王党派の議員になっていた。


 王党派って……。


 やつら、亡命貴族エミグレを手引きし、さんざん、フランス軍を攪乱してきたではないか。ドゼ将軍も、ライン上流の山岳地帯で、エミグレ軍、即ち同じフランス人と戦う羽目になり、辛い思いをしたと語っていた。


 ……ピシュグリュには気をつけろ。

 ドゼ将軍は、いったい、何を知っていたのだろう……。



 新しい司令官、モロー将軍については、どういう人かわからない。まだ、顔を合わせていないからだ。







 春。俺が、故郷ラヴィエールで、鬱屈した日々を送っていた頃。

 膠着状態が続くライン戦に、オーストリアは、カール大公を投入した。

 カール大公は、オーストリア皇帝フランツの弟だ。「ハプスブルク家の軍人」として知られる、有能な若い将校だ。


 これに対しフランスは、3方向から、ウィーンを攻略する戦法を試みた。いわゆる、挟み撃ちってやつだ。


・ライン河中流から、ジュールダンのサンブル=エ=ムーズ軍。


・ライン河上流から、新司令官モロー率いる、ライン・モーゼル軍。


・アルプスを越え、ロンバルディア平原を横切る、ボナパルト将軍のイタリア軍。



 挟み撃ち作戦は、総裁カルノーの策略だった。





 ジュールダンサンブル=エ=ムーズ軍とモローライン・モーゼル軍は、連携を取り合いながら、ライン河を渡河し、東へ向かって進んでいった。

 ところが、いつの間にかドイツの奥深くに紛れ込み、両軍の連絡が途絶えてしまった。

 これは、カール大公の策略だった。


 東西に流れるドナウ河を間に挟んで、大公は、両軍の個別撃破を諮った。


 まず先にジュールダン軍がやられた。

 悲しい知らせが、俺を待ち受けていた。

 マルソーが……俺が義弟にとまで思っていた男が、戦死したのだ。


 再びマインツを包囲していたマルソーは、敵に攻め込まれ、マインツを放棄した。オーストリアの追撃をなんとか逃れ、ラーン川下流で、主力のジュールダン軍と合流した。しかし、オーストリアの主力・カール大公軍が、右翼にいたマルソー師団を攻撃、兵士たちは、勝手に退却を始めた。仕方なく、マルソーもラーン川の防衛を諦め、ライン西側へ退却しようとした。


 そして、撃たれた。マルソーは、重傷を負った。


 この時、医者を派遣したのは、敵のカール大公だった。だが、手当も虚しく、マルソーは亡くなった。それを知ったカール大公は、彼の死を、悼んだという。


 そうだよ。

 あいつは、そういうやつだ。

 敵でさえ健闘を讃え、その死を悼まずにはいられない……。


 それにしても、マインツに加え、ラーン川でも撤退するなんて、マルソーのやつ、どんなに悔しかったろう。

 あの少年のような茶色の瞳が、最後に映したものは、何だったろう。共和派として、国の為に戦った彼にとって、その生涯は、満足のいくものだったのだろうか……。





 モロー軍は、依然、ジュールダン軍とは連絡を遮断されたままだった。最後の9週間、ジュールダン軍とは全く連絡が取れなかったという。パリとの連絡もまた、途切れた。


 ジュールダン軍の撤退を、モローは、ドイツの新聞で知った。カルノーの挟み撃ち作戦の失敗を悟り、モロー軍は、後退を始めた。


 まるで、昨年の再現のようだ。

 軍を分けることに関しては、最初から、ドゼ将軍やサン=シル将軍は、反対していたという。それを、カルノーに押し切られる形で、戦闘は始まった。

 カルノーは軍人でもあるのだが、いったいなぜ、現場の将校を無視した作戦を押し通したのか。





 ジュールダン軍をライン河左岸(西側)に追い返したカール大公は、撤退していくモロー軍に狙いを定めた。




 ジュールダン軍が敗北続きだったのに対し、南に位置してたモロー軍は、ラトゥール元帥を相手に、それなりの勝利を重ねていた。しかし、カール大公軍が南下してきてから、風向きが変わった。


 大公は、レンヘンとキンツィヒの谷を封鎖し、モロー軍を、北の森林地帯に封じ込めた。黒い森シュヴァルツヴァルトという、険しい山岳地帯だ。



 シュヴァルツバルトでの、激しい戦闘が始まった。



 ボーピュイ将軍が……昨年、マンハイムが包囲されていた時、師団を率いてゲリラ戦を戦った師団長だ……殺された。


 過酷な撤退戦だった。


 ドゼ師団は北上し、カール大公軍の背後を襲撃、最後の一矢を報いた。ブリザッハの橋でライン河を渡って、今現在、ストラスブールまで行軍を続けている。

 残りの軍は、スイス寄りのユナングから渡河、モロー司令官含め、一部は、ユナング橋頭保の守りに入った。それ以外は、ライン渓谷を、同じくストラスブール目指して、北上している。(*1)







 俺は、ストラスブールで、帰還してくる兵士らの、出迎えに出た。

 5日ほど早く渡河したドゼ師団が、最初に到着するはずだ。



 静かなざわめきが聞こえた。


 裸足の足が、土を踏んでいる。ぼろとなって垂れさがる野良着を身に着け、埃まみれになって、ドゼ師団が、ストラスブールへ帰ってきた。

 歩いてくる歩兵どもは、故郷から、問答無用で徴兵されたやつらだ。それなのに、なんだ? その、誇り高い足取りは。堂々とした物腰は!

 まるで、一人前の兵士のようだ。

 そう。彼らは、兵士になったのだ。

 勇敢で、無私なる師団長の下で。


 近づいてきた彼ら、一人一人の目には、ある種、残忍な光が宿っていた。

 祖国への愛というには、あまりにも獰猛な、その輝き。


 ボロしかまとっていないくせに、彼らは、三色旗を降り回し、大勢の捕虜を引き連れていた。

 それは、祖国への凱旋行進に他ならなかった。

 敵に追われ、悲惨な戦いの中、撤退したにもかかわらず、彼らは、誇りを失っていなかった。祖国を守り通そうという、意地と誇りを。


 先頭の騎兵の中に、ドゼ将軍の姿はなかった。彼は、歩兵どもに混じって歩いていた。

 彼は、いつだって、兵士達の真ん中にいる。








───・───・───・───・───・



*1

モロー軍撤退の地図を作りました

https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-150.html




なお、遅ればせながら、マンハイム包囲戦(2話「二つの軍事行動」)の、仏・墺 対戦図を載せました。この18話で出てきたラトゥール元帥の顔も確認できます。


https://serimomoplus.blog.fc2.com/blog-entry-154.html






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