第19話 ケール3師団





 「ダヴー准将!」

 ストラスブールの街道で、到着する部隊を待っていると、懐かしい声が俺を呼んだ。


「ドゼ将軍!」

「来たか、ダヴー」

「はい!」



 相変わらず、顔色が冴えなかったが、これはいつものことだ。彼の髪は、長く、艶やかだ。鋏を使っても、容易には切れないという。

 生命力の証だ。

 背は俺より低いが、ドゼ将軍は、力に溢れた、強い男だ。



 「ボーピュイが死んだ。マルソーも」

 せかせかと言う。俺は黙って項垂れた。


「前衛の指揮は、俺が執るはずだった。あの日、エメンディンゲンで。それを、ボーピュイが代わってくれた。そして、殺された。……まだ、彼を弔っていない。オーストリアとの戦いに勝利するまで、弔いをすることはできない」

「……」


「マルソーもだ。マインツから先に敵が進まなかったのは、彼のおかげだ」

「……」



「ダヴー?」

将軍の声が揺らいだ。

「ダヴー、お前、泣いているのか?」

「いいえ」

「そうか」


 俺が泣くわけがない。それなのに、目の縁にまで熱い水が満ち、声が震えた。


「マルソーは、俺の知り合いでした。彼は、すごくいいやつで……」

「うん」

「妹の夫にと、思っていたんです。俺の義弟にしたい、と。そしたら、一生、彼と付き合っていけるから」

「君たちは、親友同士だったものな」

「まさか!」


 即座に俺は否定した。

 マルソーの為に。

 死者の思い出を汚さない為に。


「だが、彼はそう言っていたぞ」

 マルソーの奴、ドゼ将軍にまで!



 全てをかなぐり捨てたい衝動に駆られた。もう、何もいらない。恥も外聞も、気にしない。だってマルソーは、死んでしまったのだから。

 大きな啜り泣きが漏れた。鼻の奥が熱い。

 こみあげてくる塊を呑み下し、血の味がするまで唇を噛んだ。爪が掌に食い込むほど固く、拳を握りしめる。


 俺は、顔を上げた。目の前の、傷のある頬を睨みすえる。



「彼は、繊細で思いやりのある、優しい男だった。だから、俺のことを親友と。でもそれは、俺への細やかな気遣いに過ぎないんだ」

「君も、ずっと、彼と付き合っていきたいと思っていたのだろう?」

相変わらず、穏やかな声だった。


「もちろんです。一緒に戦い、酒を飲み飯を食い、誰かの悪口を言って、笑いあって……、墓の中まで、一緒に、」

「墓の中までは、どうかと思うが。だが、マルソーは寂しがり屋だった。いつも、誰かの愛に飢えていた。人は……、誰であろうと人は、マルソーのような環境に、子どもを放置してはいけない」


「ドゼ将軍は、彼のことを知っていたのですか?」

思いがけず、彼が、マルソーの深い所まで理解しているのに、俺は驚いた。


「今年の春の休戦期間に、会いに行った。戦場では、すれ違ってばかりだったから。彼が、俺に言ったんだよ。ダヴーは親友だ、って」


 耐えきれず、俺は、嗚咽を漏らした。


「マルソーは、あのクレベールにも愛されていた。彼は、誰からも、愛される男だった。それなのに、いつも孤独だった。俺が訪ねていくと、彼は、俺にまで友情を求めてきた。俺は……」

 言葉を途切らせ、何かを吹っ切るように、首を横に振った。

「俺は、素の自分を曝け出すことに慣れていない。それが誰であろうと、友情を結ぶのに、長い時間がかかるんだ。だが、ダヴー、君は違う。君は素直だ。直截に思いを伝えることができる。君と出会って、彼は救われたと思うよ。それは、俺にはできなかったことだ」


 ぶわっと、大量の涙があふれた。どうしようもなく、俺は、泣き崩れた。


「親友だ。君は、彼の。彼は、君の」

何の衒いも迷いもない声だった。


「俺は……、俺は、ドイツ遠征に参加できませんでした」

 涙の合間から、かろうじて声を絞り出す。

「……、肝心な時にお、お役に立てず、申し……申し訳、ありませんでしたっ!」


 生涯で初めて、俺は、己の非を認め、他人に謝った。ドゼ将軍といると、生涯で初めてのことにばかり、遭遇する。



「いや、君は間に合った」

力強く、ドゼは請け合った。

「なぜなら、未だ俺は、生きている。わが軍は、まだまだ戦える」

 すすり泣きの間に、俺は訴えた。

「ドゼ将軍。戦います。俺も。俺も戦う、から」


「だから、呼んだんだろ?」

慈愛に満ちた、温かい声が応じた。

「だから君を、ここへ呼んだ」




 「ああああ、ダヴー。良く帰ってきた」


 その時、抱き着いてきたやつがいた。頭頂部を見せ、涙と鼻水を、俺の軍服にこすりつけている。

 アンベール将軍だった。

 ドゼ師団に少し遅れて、アンベール師団が到着したのだ。


「俺が止めたのに、お前、最後の最後まで、オーストリア兵に歯向かって行って……マンハイム陥落の時! バセット暫定指揮官は仕方ないとしても、お前まで、捕虜になることはなかったんだ!」

「アンベール将軍、あなた、俺を盾にしてませんでしたっけ?」


 横を向き、俺は嫌みを言った。自分の上官に、弱さを見せたくない。今は何より、己の皮肉に逃げ込みたかった。


「気のせいだ」

 アンベールはアンベールで、自分の激情の置き場に、おおわらわのようだった。

「性格は悪いし乱暴だし、おまけに頑固だけど、ダヴー。無事でよかった。オーストリア軍に殺されなくて、本当に良かった」


「……褒めたんですか?」


「もちろんだよ、ダヴー。敵が怯えるほど殺戮できるやつのいない戦場は、心細くてな。……あれ? ダヴー、君、泣いてるのか?」

 珍獣を見る目でこちらを見ている。


「違っ!」

 慌てて、軍服の袖で目を擦った。泣いてなんかいない。なぜなら、俺は泣かないからだ。繊維が目を刺激して、視界がじんわりとぼやけた。


「そうかそうか。俺と再会できたのが、そんなに嬉しいか」

「泣いてません!」

「だって、顔も目も真っ赤だぞ」

「俺は泣いたりなんかしないっ!」



「レーニエ将軍(総司令官モローの参謀)から、打診が来た」

 助け舟を出してくれたのは、ドゼ将軍だった。

「ここからマンハイムに行軍するか。それとも、ストラスブールここに根を張り、対岸のケールに撃って出るか。どうやら後者に決まりそうだ。その場合、俺のやりたいようにやっていいそうだ」


「ケール……」

 ケールは、ライン河を挟んで、ストラスブールの対岸(東側)にある。さらに東に、ラインの支流、キンツィヒ川が流れ、三角州のようになっている。ケールは、あちこちに、小さな支流が流れる湿地帯だ。



「アンベール師団には、率先して働いてもらうぞ」

「はいっ!」


 俺とアンベールは声を合わせた。

 ドゼ将軍は微笑んだ。


「なにせ、ダヴーが帰ってきたからな。今まで休んでた分、俺の下で思い切り、こき使ってやる」

「ドゼ将軍、それ、」

「だから、ダヴー。お前をここに呼んだ。交換将校として」



「わが師団は、巻き添えというわけですな。ダヴーの」

アンベールが、にやにやしている。

「嫌か?」

ドゼが困った顔をしてみせる。

「とんでもない! ドゼ将軍、あなたと共に戦えて、光栄です!」







 作戦会議の席上で、正式にアンベール師団は、ケール3師団のひとつに指名された。

 俺には、3つの歩兵半旅団が与えられた。








───・───・───・───・───・



マルソー他、ここに書かれていることの、虚実を知りたい方へ

ついでに、ケールの地形も図解してあります

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