第17話 3度目の自宅待機



 自宅待機もこれで3度目。手慣れたもんだ。時間がある時は、将来役に立ちそうな本を読むことにしている。くどいようだが、俺には、学があるのだ。


 父を早くに亡くし、母は父の残したアンヌ城を手放してしまった。その代わりに、ここ、ラヴィエールにこぢんまりとした地所を購い直した。だから、実家の図書室は、たいしたことはない。


 だが、今回は、ちょっとばかり、ラッキーだった。戦場での俺の活躍が伝わったのだろう。ルボワ夫人の図書館を使うことが許されたのだ。

 彼女の城は、ブルゴーニュで最高の城だ。もちろん、蔵書も豊富だった。


 俺は、いつものように政治や社会問題系の現代書籍だけではなく、ギリシャやローマの、軍事史を読んで過ごした。


 ドゼ将軍が、好きなジャンルだからだ。

 話題作りだ。軍に戻ったら、彼と、昔の軍隊の話をするんだ!


 もちろん、近くの水辺にも通った。

 おかげでひどく健康になった。







 「また、くだらない本を読みおって」

 家に帰り、親切にも、ルボワ夫人が貸してくれた本を読んでいると(女性は、大概、俺に親切だ。特に年配の女性は)、頭上から、だみ声が降ってきた。同時に、嗅ぎ煙草の粉が舞い落ちてくる。


「伯父上……」


 例の、ヴルムザー元帥の盟友、ジャック伯父だ。

 未だに嗅ぎ煙草を愛用している、貴族を鼻にかけたジジイである。


「今度は何だ。モンテスキューは卒業したのだろうな」

「20歳の最初に読み終わりました」

「ルソーとやらは」

「それも、同じころ」

「まったく、くだらない本ばかり読みおって。あの頃、お前は役立たずだと、儂は確信したものだ。将来、平凡な一兵卒にもならぬと」


 実際、伯父は口に出して、俺を叱りつけたものだ。

 だが、まあ、この叔父は、俺が上官と喧嘩して収監され、シャンパーニュ王立隊の身分を剥奪された時、釈放後に元の地位に復帰できるよう、話をつけてくれたわけで……。


「役立たずだとしたら、ダヴー(d’Avout)の家の血を引いたのね」

 対面に座った母が言う。優雅に紅茶茶碗を口に運んだ。


「ああ!」

伯父は激怒した。

「くだらん本を読むのは、母親譲りだ! 全く母子揃って……本当なら、儂は、ラヴィエールくんだりまで、来たくはなかったわい」

「あら、ならおいでにならなくても」


「じゃが、あの、平民の青二才と別れたというから、わざわざ来てやったのだ。まあ、最初からうまくいくはずがなかったが。親子ほども年の差があったからの」

「……」


 すうーっと、母の顔が青ざめた。

 危険な青さだ。



「いや、お会いできて嬉しいです、伯父上」

心にもないことを、俺は言った。

「老骨に鞭をお打ちになって、このような陋屋までおいでになられたことを、感謝申し上げます」

 ここには本がある。しかも借り物だ。中身の入った紅茶茶碗の投げ合いは、避けなければならなかった。



「……」

 煙に巻かれたような顔を、伯父はした。だが、俺が下手に出てやったせいで、明らかに、気勢を削がれたようだ。テーブルの上に広げられている本に目を落とした。


「ぐぬぬ」

 ルソーやモンテスキューを蒸し返し、再び、文句を言おうとしている。だが、老眼で、文字が読めず、何の本かわからないらしい。


「エクセルキトゥスの本です」

すかさず俺が、学のあるところを示した。

「エクセル……」

「博学の伯父さんにはおわかりでしょうが、ローマ軍のことですよ」

「うほん! もちろんじゃわい!」

伯父は目を眇めた。

「お前も、少しは高尚な本を読むようになったな」


 ドゼ将軍、ありがとう!

 生れて初めて、伯父に褒められました!

 まあ、こんなジジイに褒められたって、嬉しくもないけど。


 俺は母に、部屋を出ていくよう、目で合図した。憤慨しきっていた母は、挨拶もせず、足音も荒く、退出していった。



 「ところでニコラ。俺に言うことがあるだろう?」

 部屋の外に母が消えると、伯父は尋ねた。


「はい?」

 まるで心当たりがない。クソジジイとは、できたら、顔も合わせたくなかった。


「ヴルムザーの件じゃ」

「げ」


 誰だ! 

 捕虜解放の詳細を、このジジイにしゃべりちらかしたのは!


「軍の知り合いから聞いた。お前をフランスへ返してくれたのは、オーストリアのヴルムザー元帥だというじゃないか」

「ええ、まあ」

しぶしぶ俺は頷いた。


「ヴルムザーは、儂の旧友じゃ」

「らしいですね」


「らしい、とはなにごとか。やつは、儂が、王の騎兵フッサールとして活躍しておった頃の、古い友人だ! やつに助けられたということは、いいか。お前が無事、母国へ帰れたのは、儂のお陰じゃ!」

「……」

「それをお前は、礼の一つも言いに来んで」

「……」


 二の句が継げないでいると、伯父は、愉快そうに笑いだした。


「お前、ヴルムザーと約束したんだって? もう戦場に戻らないと。ああ、そうするがいい。革命政府の軍隊は、王家への裏切り者の軍隊だ。栄誉あるダヴー家の人間が、そんな軍で働くことは、金輪際、あってはならない。我々貴族は、ブルボン王家に忠誠を尽くさねばならないのだ」

「伯父さん。大声が過ぎますよ」



 我が家には、召使だっている。彼らは、市民シトワイヤン/シトワイエンヌだ。こんな暴言が、部屋の外へ漏れたら大変だ。



「うるさい! 本来なら、お前もお前の弟たちも、亡命貴族エミグレとなって、コンデ公(*1)の下で戦わねばならぬ立場なのじゃ。それを、革命政府の手下なんぞになりおって。お前たちのしているのは、諸外国に対する、侵略戦争なのだぞ!」

「……」



 これ以上、共和国の悪口を言うのなら、この場で弑殺してくれようと、俺は思った。

 たとえ、血の繋がった伯父であろうとも。

 命の危険を感じたのだろうか。急に伯父は、矛先を変えた。



「だが、ヴルムザーはお前に、戦場には戻らぬようにと、名誉にかけて誓わせたと聞いた。これでお前はもう、革命軍には戻れないわけだな。良かったではないか。……なんだ、その顔は」


「いいえ、別に」

俺はそっぽを向いた。


「いいか。お前が軍に戻ったら、お前の名誉だけじゃない。儂の名誉も汚されるのだぞ」

「へいへい」

「戦場には戻れまい。貴族としての誇りがあるのなら」



 伯父の名誉を汚すことになったって、俺は別に痛くも痒くもない。貴族の誇り? なんだ、それは。俺は、ダヴーDavoutだ。d’Avoutではない。




 数日後。

 革命政府の陸軍大臣からの呼び出しに応じ、俺は、軍に戻った。








───・───・───・───・───・


*1 コンデ公

息子のブルボン公や、孫のアンギャン公とともに、亡命貴族軍を結成、諸外国に援助を求め、革命政府と戦った。







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