145 後始末
特別講師の任期が終わったその日に、俺は学院長塔へと呼び出された。
例の透明なチューブの昇降機を使って学院長室に入ると、
「期間中、ご苦労じゃったの」
と、学院長である「真紅」のフレデリカが言ってくる。
低い背のほとんどを覆う長い白髪と二つ名通りの真紅の瞳。
最初のときは俺の血を吸いたいようなことを言ってたが、結局血を吸われる機会はなかったな。からかわれたのかもしれない。
実習での事件の後始末はあらかた済んだ。
まず、ヘルムート。
俺の暗殺をもくろんだことでアイオロスの参事会が身柄を拘束。
現在も取り調べが続いてるらしい。
あの時にシオンが聞き出したところでは、背後に魔族とノルスムンド国王がいるんじゃないかという話だが、取り調べでは一貫して黙秘を貫いている。
アイオロスは勇者の街だけあって司法も法に基づいて執行されるから、取り調べの厳しさには限度がある。要は、拷問にかけたりはしないということだ。
ネゲイラは、いまだに俺のインベントリ内に魔紋檻ごとしまったままだ。
魔紋檻から出してしまうとネゲイラを拘束しておくのは難しい。
空間転移の魔法も使えるし、「ココロノマド」で他者を魅了することもできるからな。
人間が相手なら魔封じの腕輪という魔道具があるが、魔族であるネゲイラに確実に効くとは言い切れない。効いてるふりをしてやりすごしておいて、人目の途切れたところで転移魔法を使う――なんてことは簡単だ。ネゲイラは「詠唱省略」持ちだから、詠唱を聞き咎められるおそれもない。
じゃあ魔紋檻に入れたまま預けたらどうか? というと、これにも実は問題がある。
俺がネゲイラを閉じ込めている魔紋檻はマイナス個数だから、他人に譲渡することができないのだ。
毎度のことながら、マイナス個数のアイテムを渡そうとした時の拒絶反応は何度見ても気味が悪い現象だ。
でも、ひょっとしたらこの現象もこの世界の成り立ちを推測する大きなヒントになってるのかもしれない。
架空世界仮説の示唆する、この世界は虚構の遊戯空間である――という話だな。
事件の時にダディーンも言ってたが、この世界には歪みが多すぎる。
魔族が跳梁跋扈し、教会は「成人の儀」という権益を利用して巨利を貪る。
ネルフェリアでは人間の入植によって獣人たちが住処を追われ、その信仰対象だった霊獣はキメラに変えられてしまっていた。
アイオロスは勇者の街というよりは金融の街となっていて、勇者の中にはヘルムートのように腐敗したものもいた。
勇者といえば、称号の話もある。ウンディーネによると、精霊が勇者に与えるための称号は既に枯渇しかけている。真の勇者が現れる余地はどんどんなくなっていくということだ。
細かいことを言うなら、通貨として通用しなくなったシルヴァリオンもそうだよな。世界がシステムに組み込む形で用意した公式の通貨が所持者の死亡に伴う消滅という形で供給不足に陥り、レムという別の通貨に取って代わられた。
古代人は理想の世界を目指してこの世界を作ったはずなのに、いつのまにか世界は古代人の設計意図をはみ出しているとしか思えない。
それこそダディーンの言うように、この世界はサステナブルにはできていないのだ。
ネゲイラの処遇については、アイオロスの参事会が各国に働きかけ、魔族の実態解明のための合同委員会を作る方針で動いている。
ただし、各国の動きは鈍い。
魔族というものがピンと来ないという国が多く、危機感が共有しきれないでいるらしい。
逆に、ヘルムートとのつながりが疑われるノルスムンド王国はネゲイラとヘルムートの身柄の即時引き渡しを要求してきたという。
唯一反応が早かったのは、俺の出生国でもあるシュナイゼン王国だ。
シュナイゼン王国は、涙の勇者ゼオンの活躍を歯の浮くような言葉で称えるとともに、切れ者で知られる第一王女ミレーユ・アグリア・シュナイゼンをアイオロスに派遣する準備があると伝えてきた。
……俺にとっては懐かしい名前だ。
もう一人、小物だが処遇を考える必要のある人物もいた。
「念糸」のガシュナイトだ。
……え? そいつ誰だっけって?
あいつだよ、実習が始まってまもなく俺を襲ってきたゲオルグ枢機卿の息のかかった異端審問官。
さっきは小物と言ったがそれは比較の問題で、教会内ではそこそこの大物らしい。
奴についても、アイオロス参事会が動いてくれて、新生教会に対して枢機卿が勇者に刺客を放ったと強い言葉で非難してくれた。
もちろん、教会は知らぬ存ぜぬだったらしいけどな。
でも、ガシュナイトはゲオルグ枢機卿が権力を濫用してることの証人になる。
アカリの枢機卿選挙の援護になるかもと思ったんだが、異端審問官だけあって口は堅い。
もっとも、アカリ対ゲオルグの枢機卿選挙はアカリの圧倒的優勢で進んでるらしい。投開票はもうすぐだと聞いている。
と、これまでにあったことを回想していた俺に、
「む? 疲れておるようじゃな」
「いや、そんなことは……」
と答えたものの、実際結構疲れてはいる。
あの実習後、学期が終わるまでの期間に、さらに何回かの実習と、演習――一対一での模擬戦もやってるからな。
どちらも体力勝負の仕事だが、とくに疲れたのは模擬戦だ。
能力値カンストのままで勝負にならないので、俺は空のシードを使って能力値を対戦相手に応じて下げた上で模擬戦に臨むことにした。
この条件だとギフトやスキルの差で生徒が有利だ。
とくに厄介なのはもちろんクロエ。
剣では勝負にならないし、徒手格闘でもあっというまに制圧される。
なにせ、あのベルナルドを片手で崩し、空気投げを決めてたくらいだからな。
何度となく食い下がって模擬戦をするうちに、俺のほうがいくつかのスキルを手に入れてしまった。
それでは物足りないとクロエからクレームがつけられて、最近では再び能力値をカンストさせた状態でクロエの相手を務めてる。
意外だったのは、クロエの成長だ。
以前は見下していたダディーンにもあの件で一目置くようになったらしく、実習でも意見を聞くようになっている。
生徒たちのほうでもクロエへの見方が変わったようだ。クロエは魔族相手に戦い抜き、ベルナルドとヘルムートのエキストラスキルを即興で再現してたからな。今ではクロエを畏怖の目で見る生徒も多い。
クロエについてはもうひとつおもしろいことがある。
クロエ自身は「天稟」のデメリットでスキルを習得できないが、あらゆる技能を自力で習得する天賦の才がある。
往々にして、スキルを習得すればスキル頼みになってしまい、おのれ自身の感覚をそれ以上は磨かなくなってしまうものだ。
早い話が、スキルという便利なショートカットを覚えてしまうとそれ以前の感覚を忘れてしまう。
となると、スキルを覚えていない人にスキルの覚え方を教えようにも、自分が覚えた時の感覚がわからない。意識せずに自動でできることをできない人に意識的に教えるのは難しいのだ。
だが、クロエはそうではない。
研ぎ澄まされた感覚で、剣を、魔法を常に自力で磨き続けている。
その研鑽の過程は、誰かにスキルの習得法を教える上でもとてつもなく有用だった。
実際、俺を含むクラスの人間が、クロエの「指導」によってこれまで習得できずにいたスキルを習得できた例がいくつもある。
クロエのほうでも多種多様な特技を持つ勇者生徒たちから技術を「盗む」ことができるのはメリットが大きい。
俺が講師なのは短い期間だが、クロエのおかげで互いに切磋琢磨し合う素晴らしいクラスを担当できた。
クラスと言えば、
「ダディーンはヘルムートを探っていたんだな。学院長の命令で」
「ほう。本人から聞いたかの」
「いや、推測だよ。ヘルムートが捕まってから、ダディーンとその取り巻きの態度が一変した。以前教室で見せてた不良学生じみた態度は演技だったとしか思えない」
「……うむ。ヘルムートの悪評はわしの耳にも届いておったのじゃ。闇ギャンブルで借金をこさえておるとの噂もあった。ダディーンにはそれを探らせておった」
「なかなかの演技派だよな。街に出て遊び歩いていてもあの生活態度なら怪しまれない。ヘルムートの尻尾を掴むために街で情報収集をしてたんだろ? あわよくば『同類』と見せかけてヘルムートを釣りたかったのかもな」
「よくやってくれておったよ。優れた勇者に求められるのは、何も戦闘能力のみではない。人脈を築き、情報を集めることもまた勇者の能力よ」
「ああ、あいつは顔が広そうだもんな」
例のプレゼンには、プロジェクトを進めるという以外に、各界の有力者とのつながりを得るという意味もあるんだろうな。
「学院長。俺を餌にしたな?」
「ふふっ、さてな」
その態度が認めてる。
俺という真の勇者をねじこむことで、ヘルムートの嫉妬心を煽り、ヘルムートの暴走を誘ったのだ。
急に力をつけた俺のことを気遣う気持ちも嘘ではないだろうが、学院の膿を出すことこそが学院長の真の狙いだったんだろう。
もちろん、俺に任せっきりだったわけじゃない。
実習の時にも俺から事情を聞いたフレデリカは教師や勇者を呼び寄せていつでも駆けつけられる体勢をとってくれていた。
そうでなければ俺も生徒を巻き込むような策は打てなかっただろう。
まあ、ネゲイラの動きが想定より早くてその備えは活かせずじまいになってしまったんだけどな。
「臨時の講師だというのに、随分指導に熱が入っておったようじゃな。願わくばこのまま学院の講師になってほしいくらいじゃ。しかし、自由を愛する真の勇者を学院に縛り付けるわけにはいかぬであろう」
「そうだな。思ったよりずっと楽しかったし、ためにもなった。でも、俺はまだ見ぬ世界を冒険したいからな」
「そのおぬしを縛るような話になってしまって済まぬの」
とフレデリカが言ったのは、臨時講師の報酬の一件だ。
フレデリカは最初に、臨時講師の報酬として、古の勇者が所有していた「空飛ぶ船」の情報提供を約束していた。
その報酬は既に受け取っている。
「勇者レム・ラザルフォードの乗機だった飛行艇はノルスムンド王国が密かに回収していた……」
「うむ。魔導王国であるノルスムンドは千年近い歳月をかけて大破した飛行艇の再建に血道を上げておった。これまではろくな進展がなかったようじゃが、それが近年になって急に活路が開かれたとの情報がある」
「ヘルムートは魔族とつながっていた可能性が高い。魔族には『魔紋刻印』が使える奴もいるし、ヘルムート自身『魔紋刻印』を使っていた」
回収されたマクファディアンキャリバー――ミニチュア版ブレイブキャリバーの積層魔法陣は魔紋によって構成されたものだった。
ヘンリエッタの身体に直接刻まれた魔法陣も、半分は魔紋だ。
ヘンリエッタの身体の魔紋については、俺にできる範囲で消去した。
「おそらくは、おぬしが偶然遭遇し、運良く撃破できたと言っておったロドゥイエという魔族がからんでおったのじゃろうな。ロドゥイエがおぬしに討たれたことでノルスムンドの極秘研究が停滞し、その打開策を探してノルスムンドの情報機関が積極的に動いておる……というのが真相であろう」
「飛行艇の再建なんてもんが簡単にできるとは思えないが、魔族の技術が入ってるなら可能性はある。連中はブレイブキャリバーの小型化再現に成功してるしな」
「空飛ぶ船にあのような武器が搭載されたらと思うとぞっとするの。あのミニチュアキャリバーはヘンリエッタ嬢以外には起動できぬようじゃったが」
わざわざ言ってないが、たぶん俺にもできるだろう。
必要とされる膨大な魔力はMPの下限突破でカバーできる。
積層魔法陣とのリンクが問題だが、自分の身体にヘンリエッタに刻まれてたのと同じ魔紋を刻めば可能なはずだ。
もっとも、INTカンスト、マイナス下限突破属性値で放つ「魔法反転」魔法と比べて、ミニチュアキャリバーがそこまで強力とは思えない。
身体に魔紋を刻んでまで使うメリットはないだろう。
「ノルスムンドの秘匿する飛行艇、か。さすがに横取りするわけにもいかないけど、ロマンではあるな」
それほどの規模の研究なら関係者も多いだろう。
研究者の話だけでも聞けないものか。
それが無理でも、魔導王国として名を知られるノルスムンドは一度訪れてみたい土地ではあった。
「ミレーユの申し出は渡りに船かもな」
実はミレーユから、学院長経由で打診があった。
ノルスムンドに各国の代表外交団を送り込むので同行してくれないか、と。
今回の一件でノルスムンド王国には不審の目が向けられており、国王サーディス一世の意向を直接確かめる必要があるとのことだ。
ミレーユとは幼少時以来だが、こんなふうに誘ってくれるのは嬉しかった。
もちろん、真の勇者となった俺への政治的な打算はあるんだろうけどな。
「あまり堅苦しいことはしたくないが、一度顔を繋いでおかないとノルスムンドに入れなくなりそうだ」
ヘルムートの暴走に王国がどの程度からんでいるのかはわからない。
だが、俺のことを危険人物と見られている可能性はある。
外交団に同行して向こうに知り合いの有力者を作っておくのは今後の活動の自由のためにも重要だ。
しばらくは向こうに滞在し、ギルド仕事をこなすのもいいだろう。
外交? それこそミレーユに任せておけば問題ない。
俺が知ってるのは八歳の時の彼女だが、既にその歳にしてあらゆる才能の片鱗を示していたからな。
とくに腹黒さにかけてはシュナイゼン王国内で右に出るものはいないだろう――なんて言うと怒られそうだけどな。
「頼まれ仕事をこなしたら、しばらく羽を伸ばさせてもらうさ」
「うむ。応援しておる。途中で羽を休めたくなったら、いつでもわしを訪ねてくれ」
そう言ってフレデリカが差し出した細い手を、俺はそっと握るのだった。
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