144 サステナブルな提案
「邪魔しないで!」
クロエがそう言って――何をしたんだ?
気づけば、クロエの腕を握ってたはずのベルナルドの巨体がひっくり返り、塔の床に叩きつけられる。
投げた――んだろうが、クロエの動きは最小限で、重心を少し移動しただけのようにしか見えなかった。
「ぐぉっ!? じ、『柔術』……じゃねえな。純然たる技かよ」
頭を打ったのか、ベルナルドはすぐには起き上がれないようだ。
「クロエ! やめるんだ!」
と言ってクロエの前に立ちはだかった俺に、
「こう……ね!」
クロエが剣を振り上げたかと思うと、天空から雷が落ちてきた。
その雷とシンクロして振り下ろされる神速にして重厚な一撃は、
「俺の『雷爆断』だと!?」
床に這ったままのベルナルドが目を見張る。
「くっ!」
俺はシャフロゥヅを取り出してクロエの一撃を受け止める。
すさまじく重い一撃だったが――受け止めることはできた。
俺のSTRがカンストしてるからだろう。
だが、
「ぐっ……『感電』、か?」
剣と同時に落ちてきた雷撃は避けようがなかった。
雷撃そのものの威力はさほどでもなかったが、追加効果で『感電』の状態異常が発生したらしい。
「どいて!」
シャフロウヅによって凍らされた剣を手放し、クロエが俺を横に突き飛ばす。
その手には新たに取り出された同じ剣。
「うふふ、うふふふふ……!」
檻の中で怪しく笑うネゲイラはこの窮地をどう思っているのか。
クロエは今度は自分の剣に風を纏わせた。
自らを一陣の旋風へと変えるその技は、さっきヘルムートが見せたエクストラスキル「烈風斬」。
……ギフト「天稟」か。
あらゆることに卓越した才能を持つ代わりに一切のスキルを覚えられないというギフト。
俺の「下限突破」と同じくハズレギフト扱いされてるらしかったが、とんでもない。
勇者が使った必殺のエクストラスキルを一回見ただけで再現したのだ。
見た感じではオリジナルの「雷爆断」や「烈風斬」には見劣りするようだが、それでも十分実戦で使えるレベルになっている。
檻に取り付いたクロエは、風をまとった剣を片手に、その扉を開こうとしている。
ネゲイラを中から引きずり出し、さっき言っていた通りのこと――苦しめて殺す――を実行しようというのだろう。
だが、そのクロエの前に割り込んだ人物がいた。
「やめろ、クロエ。おまえは勇者なんだろう?」
扉の前に割り込み、通せんぼをする形になったのは、意外な人物――ダディーンだった。
ダディーンは、野外での実習だと言うのに、いつかプレゼンで見たのと同じカジュアルな格好をしている。
軽くて丈夫そうなレザーの胸当ては装備してるけどな。
「どきなさい、プレゼン勇者。私の復讐の邪魔をするなら斬る」
「事情は知らないよ。きっと、聞けば胸が張り裂けるような、とても悲しい事情があるんだろう」
「わかってるならどきなさい」
「でもね、こんなやりかたはサステナブルじゃない。酷い目に遭わされたから復讐する。当然の人間心理だが、それを認めていては社会が成り立たない。君の復讐心は満たされるが、社会正義は満たされない。勇者のやるべきことじゃない」
今のダディーンは、教室でのどこか自堕落な素のダディーンではなく、ステージの上でプレゼンする時のダディーンだった。
「社会のことなんてどうでもいい。私たちを助けてくれなかった社会なんて」
「オーケー、社会なんてどうでもいい。それはわかった。じゃあ、世界はどうだろう? 君はこの世界がうまくまわっていると思っているか?」
「思ってるわけないでしょう。だから私は私の信じる正しいことをする。そのために勇者になった」
「君の正しいと信じることというのは、この女魔族をなぶり殺しにすることなのかい?」
「そいつは魔族よ? その女のしてきたことを知ったら、なぶり殺しでも足りないと多くの人が認めてくれるでしょう」
クロエがちらっと見たのは、床から起き上がりかけてるベルナルドだな。
ベルナルドがネゲイラに特別な復讐心を持ってるのはさっきの俺との会話からもあきらかだ。
「まさか、すべての犯罪者は生かして更正させるべきだ、なんて言わないでしょうね?」
「それは非現実的だね。サステナブルでもない。この世界の現状を考えれば、断頭台での見せしめだって必要だろう」
「なら――」
「でも、それは理性に基づく刑罰であるべきだ。一時の感情に任せて罪人の処遇を決めてはいけない。彼女からは魔族の実情を聞き出す必要もある。今ここで君の復讐心を残虐な手段で満たすことと、同じような魔族による犯罪・テロを未然に防止することと。君も勇者なら、大きな目でものを見るべきだ」
「そんなことは――知らない! 私はただこの女を殺したいだけ!」
「じゃあ訊くが……正気を失いかけてるこの女をなぶり殺しにしたとして、それは本当の意味で彼女を殺したことになるのかい?」
「……どういう意味よ」
「我を忘れた状態のこの魔族を痛めつけたところで、得られる反応なんてたかがしれている。反省するわけでもなければ後悔するわけでもない。ただ死ぬまでのあいだ痛みに苦しむというだけだ。死を覚悟し、絶望した人間にとって、それがどれほどの罰になるというんだ? 君が彼女を痛めつければ痛めつけるほど、彼女は君をそうまで怒らせたことに痛快さを感じるだけかもしれないじゃないか。君の心を傷つけられるだけ傷つけてから、満ち足りた気持ちで死の淵へと逃げ込むわけだ」
「……それは」
たしかに、ありそうなことだ。
ネゲイラはもともと嗜虐的な性格だ。
自分の死を悟った上で開き直れば、自分を痛めつけようとするクロエを逆に煽るようなことをしかねない。
たとえ最終的にネゲイラを殺したとしても、クロエの心に充足感が残るとは思えない。
「生きて
「……具体的にどうするつもりよ?」
「魔族にはなにやら暗躍をしなければならない縛りのようなものがあるらしい。ならば、この魔族の存在を公のものにしてやることは、魔族全体への痛打、すくなくとも挑発くらいにはなるだろう。そうすれば、俺たちは魔族全体の仇敵となり、放っておいても魔族のほうから刺客が送られてくるはずだ。闇に潜んでいて容易には見つけられない魔族たちが、向こうから勝手に寄ってくる……サステナブルな魔族狩りのチャンスじゃないか。君の力はそこでこそ生きるし、君の抱えた憤懣を彼らにぶつけることもできるだろう。ここで因縁のある一人の魔族を殺すことに固執して、これから殺せるかもしれない百の魔族を見逃すつもりか? その百の魔族がそれぞれ君の身に起きたような惨劇を起こしてるかもしれないのに? 君の個人的な復讐は、魔族全体に対する勇者の正戦へと昇華させるべきなんだ。それでこそ、君自身も救われる」
「……ものは言いようね」
と言いながらも、クロエの剣先がわずかに下がっている。
「この世界は、はっきり言って歪んでる。俺はそれをもっとサステナブルにしたいんだ。神代に存在した先端的ビジネスの聖地シリコンバレーの起業家たちは、ビジネスを通して『環境』を改善したいというビジョンを持っていた。俺は彼らに私淑してるんだ。この世界の『環境』で最も歪みが激しいのは、魔族という悪しき勢力の存在だ。彼らを駆逐するには個々の勇者が強いだけではダメだ。人類全体を対魔族で連携させる仕組みが要る。俺はそれが勇者プロジェクトの存在意義なのだと信じている」
教室での気だるげな様子がなくなり、実に真摯な顔でダディーンが説く。
あいかわらず俺とは見解が合わないところもあるが、言いたいことはよくわかる。
冒険者を無用の長物にするようなプロジェクトを推進しているのも、その日暮らしで「意識の低い」冒険者では魔族に対抗できないと思ってるからか。
今のクロエに、生半可な説得は通じない。
ダディーンの言葉は考え抜いた信念――彼ふうに言えばビリーフ――に裏打ちされたもので、その信念の正否はともかく、軸がブレることはなさそうだ。
「でも……こいつを生かしておくなんて」
「ゴキブリ捕りの罠とでも思えばいい。モシュケナクに画期的なゴキブリ捕りの商品があるのを知ってるか? ゴキブリが好む匂いを発する餌を入れた箱の中に粘着剤を敷き詰めて、箱にはスリットを入れておく。そうすると……」
「ふっ……何の話をしてるのよ。ああ、もう。わかったわ。こいつは今は殺さない」
毒気を抜かれた様子で、クロエが剣をリストにしまい引き下がる。
「ありがとう。君とのパートナーシップが成立したことを嬉しく思う」
と言って片手を差し出すダディーンだが、
「あんたと馴れ合うつもりはないわ」
クロエは冷たくあしらうと、差し出された手を甲側からパシンと弾くのだった。
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