第9話 やさしい風に包まれて

 三学期が終わり春休みになった。いよいよ和也の引っ越しの日がやってきた。

  

 朝早く和也の荷物が運び込まれた。和也は二階の彩音の隣の部屋を使うことになった。和也の部屋は運び込まれた箱でいっぱいになった。今日は一日、彩音は和也の部屋の片付けを手伝うことになっていた。


 母親の玲子がやってきた。

「和也君、この部屋でよかったかしら。日当たり、いいでしょう。それと、下のピアノの部屋はいつでも使ってもらっていいから」

「ありがとうございます」

和也が丁寧にお礼を言う。

 今日は父親の隆は仕事だ。母親の玲子も買い物に出かけたり、結局、彩音と和也の二人で片付けをすることになった。

 彩音が部屋の窓を開ける「寒くないよね」「大丈夫だよ」


 彩音は相変わらず、和也と二人でいると緊張してしまう『和也君も緊張しているかな』そんなことが気になる。

 片付けを手伝いながら、気になって和也を見てしまう。和也も彩音の視線に気付いて目が合う。恥ずかしそうにお互い視線を逸らす。そこそこ片付いた和也の部屋を見渡し、なんだかドキドキする彩音。


「手伝ってくれてありがとう」

「うん」


 和也はちょっとしたことでも感謝の気持ちを言葉にしてくれる。今まで彩音の周りにいた男子と違う優しさを感じる。

 和也のことを思い続けている彩音は『和也君は好きな人がいるんだろうか?』それがずっと気になっていた。


 今は二人きり、それを聞く絶好のチャンスのような気がした。聞くのがこわい。


 でも考えてみれば、もともと自分とは別世界にいる人だ。好きな人がいても、最初に知っておけば諦めもつくかなと思った。 

 音楽雑誌でしか見たことがなかった憧れの人が、今、手を伸ばせば触れることができるところにいる。

『何の取り得もない私。全国コンクール金賞のピアニスト。私は何の力にもなってあげられない』そう思うと悲しくなってくる。

 そんなことを考えているうちに、どんどん時間が過ぎて行く、どんどん部屋が片付いていく『勇気を出して聞いてみよう』そう思った。


「彩音ちゃん。僕、彩音ちゃんに聞きたいことがあるんだ」

先に和也から声をかけられてドキッとした。

「なに?」


「……」

言葉に詰まる和也。


「なに?」

心臓の鼓動が速くなる彩音。


「うん」

下を向く和也。


「どうしたの?」

「聞きたいけど、聞く勇気がなくて」


 彩音は『聞いてほしい』と思った。和也に話しかけられる前の押しつぶされそうな大きな不安から、今の彩音の胸の高鳴りは大きな期待に変わっていた『和也君の気持ちが知りたい』そう思った。


「なに? なんでも聞いてよ。これから一緒に暮らすんだよ」

自分の言葉にドキッとした。和也も驚いたような顔をした。


「そうだね。でも緊張しちゃうな」

「全国コンクールで金賞とっても緊張するんだ」

「彩音ちゃん」

「ん?」


「僕は、彩音ちゃんのことが好き」


やさしい風に包まれて

時間が止まった。


見つめ合う二人。

彩音は自分の心臓の音が和也に聞こえるんじゃないかと思うほどドキドキしていた。


「片付いた? 二人ともおやつにしない? どうしたの?」

母親の玲子が帰ってきて部屋にやって来た。

「ごめん。タイミング悪かったかな。部屋片付いたら下りてきて、クッキーあるから、もらいものだけど、おいしいから」

と言って慌てて下りていった。


 しばらく黙って下を向く二人。彩音はまだ心臓がドキドキしていた。

下を向いたまま目線だけ和也の方に向ける彩音。


「僕は彩音ちゃんのことが好き。彩音ちゃんは好きな人いるの?」


 目を閉じて少し心を落ち着ける彩音。涙がでそうなくらい緊張している。それでも『精一杯の気持ちを和也君に伝えなければ』と言葉を探す。


「和也君。私の好きな人は和也君」


「本当? いつから、僕ことを」


「音楽の雑誌で和也君を見て、好きになって、そしたら、一緒に住めることになって……今起こってることが、うそみたい……和也君は?」


「僕は幼稚園のときコンクールで出会った綺麗な女の子を好きになったんだ。コンクールに出たら、また会えるかなって思って、ずっと頑張ってきた。あのとき会った女の子が僕に金賞を取らせてくれたんだ。カメラを向けられたとき、心の中で、その女の子に叫んでた『金賞取ったよ。僕を見つけて』って。僕は、ずっと、彩音ちゃんを探してた」


「うそみたい。私の王子さまは、ずっと、私を探し続けてくれてたの?」

彩音の目から自然に涙が流れる。


「王子様?」

「そうよ」


しばらく見つめ合う二人……


「これから、よろしくね。彩音ちゃん」

「よろしくね」

頷く彩音。

和也が涙を拭いてくれた。


「おやつ、食べに行きましょう。クッキー。貰いものみたいだけど、おいしいクッキーだから」

「そうだね」


二人は下りていった。


それから数日後、和也の母美和子はフランスに旅立った。


春休みが終わり新学期が始まる。

いよいよ中学二年生、新しい一年が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やさしい風に包まれて  KKモントレイユ @kkworld1983

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ