第四話 彼との日常(3)

「失礼します」


 保健室にやってきた私と幼馴染の彼――タマは、電気が消え薄暗い保健室の中を覗き込む。しかし、生憎先生は留守のようで、人の気配は微塵も感じられない。普段は温かみを感じさせる優しい保健室も、人がいないだけでここまで変わるものなのか。


「誰もいないみたいだけど、とりあえず、奥のベッドを使わせてもらおうか」

「うん。そうだね」


 私は、彼の言葉に従った。体調が悪いと教室を出てきたのに、早く教室に戻りすぎても怪しまれる。おしっこがしたかっただけだなんて、思われたくはなかった。

 他に誰もいないのに電気をつけるのは勿体無い気がして、私たちは暗い保健室に入る。

 そして、カーテンで仕切られた二つあるベッドのうち、一番奥のベッドに腰を下ろした。


「……」


 しばしの沈黙が、私たちの間に流れる。

 誰もいない場所で男の子と二人っきり。

 彼を異性として意識するわけではないが、ちょっぴりドキドキとしてしまう。うるさい心臓の音が、彼に聞こえてしまっていないか心配だった。


 ……このまま告白とか、されちゃうのかな?


 漫画やアニメなどでは、だいたいこんな雰囲気の時に告白したりするイメージがある。そして恐らく、彼も私とおなじようなことを考えているはずだった。

 彼は、先ほどからソワソワと落ち着きがなく、しきりに目を逸らしたりしている。

 隠し通せているつもりかもしれないが、バレバレだった。昔から嘘がつけないところは、本当に可愛らしいと思う。


 ……もし告白されたら、ちゃんと断れるかな? 断ったりなんかしたら、今の関係が壊れちゃうのかな?


 私の中に、ふとそんな疑問が生まれる。

 もし関係が壊れてしまうくらいなら、自分の心に嘘をついた方がいいのだろうかという考えさえ浮かぶ。

 恋人になってもならなくても、この居心地のいい関係が壊れてしまうのであれば、いっそ彼の気持ちに応えるという選択も、なしではない気がしてきたのだ。


 ……まだ、かな。ドキドキしてたら、またおしっこしたくなっちゃった。


 自分の悪癖にため息をつきたくなる気持ちを抑えて、私はぎゅっと膝を閉じた。この程度なら、彼に悟られてしまうこともないだろう。今の彼に、私の細かい動作を注視するほどの余裕はないはずだ。

 それから、十分程度むずがゆい沈黙が続いたが、何も起こらなかった。

 するとその時、ガラガラ、と扉の開く音がした。


 ……先生が戻ってきたのかな。


 そう思って立ち上がろうとした私。それを彼は――。


 ……きゃあ!


 思わず悲鳴を上げそうになる私の口を、彼は手で私の口を塞ぐと、私をベッドに押し倒した。

 あまりに突然の展開に、私の頭は思考を放棄して、真っ白になる。息が苦しい、彼から目を離せない。心臓が、これまで以上に激しく高鳴るのを感じた。


 ……もしかして、このままキスとかされちゃうの?


 顔を熱くし、自分でも驚くぐらい変態な妄想をした私がベッドの上で目を回していると、彼は自分の唇に人差し指を当てて、静かにというジェスチャーをする。

 やがて、バタバタと二つの足音が聞こえてくる。


「言っただろう。この時間なら、保健室の先生はいないって」

「でも、本当にここでするの? 学校だよ?」

「普通にするより興奮するだろう? 最後の思い出作りだって」

「それはそうだけど、バレたらヤバくない?」


 聞こえてきた声は、若い男女の笑い声。十中八九生徒のものだった。

 二人は、いかにもいかがわしい会話をしながら、隣のベッドにギイ、という音を立てて座る。


 ……嘘でしょう。ここ、学校の保健室よ。


 信じがたい光景に、私はパニックになる。高校生や大学生ならともかく、まだ中学生なのに、そんなに進んでいるなんて、到底受け入れられるものではなかった。

 キスをされるかされないかで恥じらっていた自分が、急に恥ずかしくなってしまう。

 しばらくすると、男女のイチャつくような声が聞こえてくる。あまりに生々しくて、私は耳を塞いでいた。


 ……この状況で、私たちがいるのがバレたら、どうなっちゃうんだろう。


 下手をすれば、私たちもいかがわしいことをしていたのだと言われかねない。

 もしそんなことになれば、せっかく決まった推薦もなくなってしまう。それだけは、なんとしても避けなければならない。

 緊張でおしっこに行きたくなってしまう私が、通常の入試を耐え抜くことなんて、絶対に不可能だからだ。

 推薦の試験と面接ですら、おむつを穿いて乗り切ったというのに、五教科全てを受けるなんて、現実的に無理だった。


「……!」


 私が脚を組み替えると、ベッドがギシっと軋んだ。幸い、隣の二人は自分たちの行為に夢中で気づかなかたようだが、次はないかもしれない。

 声を出してはいけない。音を立ててはいけない。それはわかっている。

 だが、もうおしっこが我慢できそうにないのだ。

 ただでさえ、先ほどからドキドキしておしっこがしたかったのに、今は別の意味で緊張している。尿意の高まりは、いつもよりもずっと早い。

 じっとしていられるのは、後数秒が限界だった。


 ……もう、ダメ――!


 私は、恥を忍んで、彼の目の前だというのにお股を押さえる。まるで小さなk子供のような姿晒す。あまりの恥ずかしさに私が目をつぶると、彼はそっと私の手を握ってくれた。

 慌てて私が目を開けると、彼はこっくりと首を縦に振った。

 その意味を、私は直感的に悟った。


 ……このまま出していいよ。


 彼はそう言っているのだ。

 そんな恥ずかしいこと、できるはずがない。

 彼の前で、しかもべっどに押し倒された状態でなんて、とてもじゃないが無理だ。緊張で、上手くおしっこができる気なんてしない。

 しかし、尿意はすぐそこまで差し迫っている。このまま何もしなくても、結果は変わらないだろう。

 だったら、いっそ自分の意思で出してしまってもいいのではないか。

 そんな悪魔のような誘惑が、私の中には生まれた。


 ……本当に出すよ。


 私は、視線で彼に確認する。それが伝わったかどうかは知らないが、彼はまた頷いた。

 ちょうど、隣の二人の行為が山場を迎えようとしている。恐らく、これが最初で最後のチャンスだ。

 私は意を決して、お腹に入れていた力を抜いていく。


 ……あっ。


 直後、お股を押さえていた手に、じわりと温かい感触が広がった。

 私はついに、彼の前で放尿――お漏らしをしてしまったのだ。

 しぃ――とくぐもった音が響くが、男女の声に上手い具合にかき消されていく。私はただ、してはいけない場所で、おしっこをしてしまったのだという事実に、呆然と天井を見つめるだけだった。


 ……私、また彼の前で。


 私は、こぼれ落ちそうになる涙を、ぐっと堪える。ここで泣けば、彼を困らせてしまうかもしれない。下手をすれば、二度と口を聞いてくれないかも。それは絶対に嫌だった。

 やがて、おしっこが終わる。すると、隣のベッドを使っていた男女が、部屋を出ていく。

 それを待って、私たちは大きくため息をついた。


「はあ……」


 彼は、私の上からゆっくりと下りる。そして、布団に広がったシミを前に、今にも泣き出しそうな顔をしているであろう私の頭を、そっと撫でてくれた。


「大丈夫。全部、俺が悪かったってことにするから。何も心配はいらないよ」


 その一言に、私の胸はじっと熱くなる。私は彼の行為につけ込んで甘えているだけなのに、彼はどこまでも私を大切にしてくれる。自分が悪いことをしているようで、胸の中が重苦しい罪悪感で満たされていく。


 ……やっぱり、いつかははっきりさせなきゃ。少なくとも、卒業式までには。


 私はそう心に決める。すると、ガラガラと扉が開いた。

 今度は足音が一人。先生だった。


「それじゃあ、行ってくるね」


 彼はそう言うと、先生に声をかけに行く。

「先生。まずはごめんなさい」

「ど、どうしたのよ急に……」

「実はその、体調が悪そうなクラスメイトを保健室に連れてきたのですが、男の自分の前では言い出しにくかったようで、ベッドの上で粗相を……」

「まあ、それは大変。その子は大丈夫なの?」

 そう言って電気のスイッチをパチンと入れた先生は、私の方に歩いてくる。そして、カーテンがめくられた。


「あらあら、気にしなくていいのよ。男の子の前でお手洗いに行きたいなんて、なかなか言えるようなものじゃないもの。あなたは、ジャージをとってきてあげて」


 先生に促されるまま、彼は保健室を後にする。ちょっと心細い気もするが、ようやく落ち着くことができそうだった。


 それから私は、先生の用意した濡れタオルで体を拭いて、保健室に常備してある下着を借りた。本来は、生理などのアクシデントに対応するために置いているものだが、私みたいな生徒もたまにいるらしい。

 そして、彼が届けたくれたジャージを着て、保健室を出た。汚れた制服は、放課後取りに来ることになっている。

 保健室を出る前に、もう一つのベッドで休んで行くようにも言われたが、流石にあんなことがあったベッドで、ゆっくり横になるなんてできなかった。


「ごめんね。迷惑かけて。色々とありがとう」


 私は、素直に彼に謝り、そして感謝を伝えた。


「別にいいよ。だって、僕たち幼馴染だろう? 僕だって、昔マルちゃんとお昼寝しえた時に、おしっこひっかけちゃったことがあったじゃないか」


 その言葉の裏に隠された意味を、私は見抜いていた。相変わらず、わかりやすすぎるのだ。


 ……本当は、私のことが好きだからって言いたい癖に。


 私は、心の中で微笑みながら、ゆっくりと彼の後に続く。

 幸い、午後の授業は、参加希望者だけが集まって行う体育。ジャージ姿でも、何も不自然ではない。

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私の嫌いな『私の悪癖』 きゆう @kiyuu-999999

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