第6話② ひとこと余計なお嫁さん 後編


 📞📞回答パート📞📞



「金は?」

 玄関先で発したわたしの言葉を彼女は即座に弾き飛ばして、返報を浴びせかけた。

「うっわ、入ってくるなりそれかい。おもしろみのないったら。人としてどうかと思うよ、ええ? まあ、ナリだけは立派に育ったけどさ、中身が伴わないとねえ、ほら突っ立ってないで、とんかくなかに入んなよ、開けっ放しじゃ蚊が入ってきちゃうじゃん」

 彼女はいきなり説教から入る。そういう女だ。


夏生なつきさん。お客さんかい? 奥に通ってもらいなさい、お茶を出すから」

 ガラス戸の向こう、遠くから届いた声はすこし細くて、角張っている。

「ああ違うのよおかあさん。いいのいいのお茶なんて、どうせすぐ帰ってもらうんだから。招かれざる客ってやつよ」

「まあなんだろね本人を前にしてそんな言い方。あんまり礼儀をわきまえないと、あとで痛い目に遭うんだよ。因果はつながってるんだからね、ほんとだよ」

「はいはい、お説教はあとで聞きますよ。年齢としくったらあんまり出しゃばらないの、そうじゃなきゃ若いのに嫌われちゃうからね」

 奥から聞こえてくる声を払うように、彼女は手をひらひら振った。わたしは肩をすくめた。

「なによ?」

 眉をひそめて、こんどはわたしに牙を剥くかのようだ。その牙に、わたしはむしろ安心する。

「自分のこと言ってるのかと思ったよ。説教ぐせはあんただろ。こう口が減らないと、若いのに嫌われてしまうんじゃないのか?」

「あいっかわらずヒネた口きくんだね。成長しないなあ、はっは」

 彼女こそ変わっちゃいない――いや、変わったのか。むかしのことを思えば、生まれ変わったと言えるほど、いまの彼女は幸せのなかにいる。


 彼女の名は尾島おじま夏生。じつはわたしの幼馴染だ。当時は旧姓だったが、その名を口にすることは、二度とない。きっと。

 わたしの方にも、むかしのことをわざわざ掘り返して話す理由はない。

「金さえ出してもらえばとっとと帰るさ。お望み通りに」

 やさしい旦那に、子供が二人。旦那の両親と同居しようとも伸び伸び自由に生きている。いまの彼女とこの家に、取り立て屋は野暮な異物だ――はやく退散するのがいい。

「血も涙もないセリフだね」

 彼女がわらうと、目もとにむかしの面影が、すこしだけ覗く。

「涙はとうに涸れたよ。幾分かはあんたのおかげだ」

「じゃあそのに免じて、ちょっとおまけしてよ。昔馴染みじゃない」

 とは言ったものの、感謝しているわけではけっしてない。どちらかといえば、恨みだ。そうやって文脈を強引にすり替えるあたりも、むかしのままだ。

生憎あいにくこの商売に、私情は禁物なんでね。相手が親だろうが恩人だろうが……仇だろうとも、貸した金は取り返す。鉄則だ」

「ちぇっ、冷たいなあ。融通利かないのもあいっかわらずだね。そんなだから取り立て屋なんかになっちゃって……まあお似合いだね。お似合い過ぎて笑っちまうよ」

 当たるを幸い、毒を吐きたおしているが……これで悪気はないのだ、たぶん。


「借金返せなんて責められてるとさ、なんだかむかしに還った気がするねえ。思い出さない? あのアパートの連中ときたら、どいつもこいつも借金まみれで毎日どっかに取り立て屋が来てたよね。やつらがドアばんばん蹴る音が子守歌にもなるぐらいのさ、あはは。子供心にも借金なんかぜったいするもんか、って思ってたのに、まさか今になってマチ金から借りるなんてね。しかもハルくんが取り立て人と来たもんだ。人生わかんないね、はっは」

「名前で呼ぶな。もうガキじゃない」

 子供のころの思い出などに、いまさら用はない。最底辺のどん底のようなぼろアパートだった。住人たちときたら、半端なゴロツキや、夜逃げした家族や、亡霊のように廊下をうろつくばかりの負け犬ども。子供はわたしと彼女のふたりきりで、四歳上の彼女にわたしは自然となついたが、今から考えると彼女のわたしを扱う姿勢は、まるで舎弟か子分をこきつかう女首領だった。


「そうやって突っかかるとこ、ガキのころのまんまじゃん。いやあなっつかしいねえ、ハルくん」

 その呼び方はやめろと言ったわたしの抗議はあっさり無視される。そういう女だ。

「そんなはな垂らしてた、かーいーガキんちょがまあいっちょ前になっちゃって。ナツ姉ちゃんはうれしいよ。あ、この歳では図々しいか。まあいいよねこのぐらいはさ、べつにだれに迷惑かけるってんじゃないし」

 こんなふてぶてしいところも、むかしから変わっちゃいない。

「そういやあんた、むかしあたしのこと好きって言ってたよねえ、あははは」

「……右も左もわからねえ、ガキのころの話だよ」

 どうせからかってくるだろうと思っていたら、案の定だ。

 あのときも、コイツはわたしの告白を一笑に付して、そのうえいつまでも笑いのタネにした。考えてみればそれは、告白以前から一貫して変わらぬ彼女の振る舞いで、つまりはわたしをどうにでも料理していい舎弟扱いしていたわけだ。彼女がぼろアパートを出て行くまで、それはつづいた。わたしはそのことに救われていたのだと思う。

 おかげでわたしは変わらず彼女の弟分でいることができた。ただし、それが彼女のやさしさゆえだったのか、それとも単にわたしをガキと見くびっていたためだったのかはわからない。


「で、なに? あんたまだ結婚してないの? あら、まあ。はは、でもわかる気がするわあ、あんた無愛想だし、人と関係つくるの不器用だもんねえ。ま、あきらめないでいい人探しな、こんなんでもいいって物好きがどっかにいるかもしんないし。蓼食う虫も好き好きって言うし、ほんと世間にゃいろんな人がいるからね、希望を捨てちゃいけないよハルくん、あははは」

「……いいからはやく、金を出せ」

「金! おお、金よ、金、金。やだねえ、人情のかけらもない。あんたそんなじゃ幸せになれないよ、人に呪われるばっかでさ」

 たしかにわたしも彼女も、あのころ借金取りたちを憎んでいた。とっとと地獄に落ちろと呪っていた。瀕死の貧乏人たちをいたぶるのが生きがいの、クズども。

「ハルくんもあいつらみたいにさ……お金返さなかったら、ドア叩きこわしたり、近所じゅう喚き散らしたりするのかな?」

「試してみるか?」

 彼女の目の奥を覗きこんで言う。もちろんわたしはそんな方法はとらない。相手がナツねえでなくともだ。目的は金であって、いやがらせでも憂さばらしでもない。そんなことはコイツも百も承知だろう。

「だいたいなんで借金なんかしてるんだよ。そんな必要ない人生を手に入れたんじゃなかったのか?」


 中学を卒業するとすぐ彼女は出て行った。まだ小学生だったわたしは泣いて止めた。

「腐ったどぶ川の底を這いまわるような一生なんて、ごめんだわ。ほら、あっちの世界――」

 彼女は、真新しいビルの一群を指さした。

「あっちには、ぜんぜん違う人生が転がってるの。どぶ川から脱け出して、あたしはあたしの人生をつかみに行く。ぐずぐずしてられないわ」

 そう言って未練なく彼女は去った。ぼろアパートと、どぶ川の世界にわたしは残された。腐ったザリガニと、工場から吐き出された油と、住人たちのまき散らすゴミの浮かぶ、裏のどぶ川に。

 そのとき以来、わたしは泣くのをやめた――と言えればドラマのようだが、現実はそう甘くない。ただ、いつまでもピーピー泣くガキでいられなくなったのは、確かにあのときからだ。


「しょうもない話よ」

 と彼女はわらって、借金の問いに答える。

「車でぶっつけちゃってさ。四・六であっちにも責任があるってんで保険屋は通りいっぺんの補償しかしてくれないし、相手はねちねち文句つけてくるしでさ、イラっとしちゃって、『足りねえ分はそっくり払ってやらあこの強欲ババア』ってね。ついつるっとさ、はっはっは」

 すこしも反省してない顔だ。

「口は禍いの元よねえ、あはははは。旦那に迷惑かけんのもヤだからさ、へそくり崩して、ちょっと足りない分だけ借りてね。おかげでこの歳でまたパートに出ることになったけど、まあぼちぼち返すさ」

 どんな幸福も、わずかな陥穽から転落するリスクを孕んでいる。ちいさな借金につまづいてもし、せっかく掴んだ人生が手からこぼれ落ちてしまったら、なんのためにゴミ溜めから脱け出したのかわからない。

「せいぜい用心しろよ、借金地獄に落ちないようにな――あのアパートの連中みたいに」

 だがしっかり抜け目ない彼女が、転落することはないだろう。どぶ川から見送ったとき既に、彼女がこちらの世界へ戻ってくることは二度とないとわかっていた。そしてそれを願ってもいた。心の底から。

 ――愛だ。今になってわたしは気づいた。ガキのときはわからなかった。恋なのか愛なのか。

 これは愛だ。カタチないものの価値など認めないわたしに、わずかだけ胸の奥底に残っていた、愛のかけら。おもわずわたしは笑みを洩らした。さめた笑みを彼女はどう受け取ったのか、鼻で笑って返した。

「おしゃべりが長くなっちゃったかな。じゃあまたね」

 その勢いで玄関から押し出そうとするのを、わたしはつめたく斥けた。

「金を返してからだ。わざとやってんのか?」

 すると彼女はふてくされたように横を向いて、

「ちぇっ、乗ってくんないのね。つまんない」

 と口をとがらせた。

「つまらんで結構。あんたみたいに生きてくことはできない」

「それ誉め言葉よね、もちろん。そりゃハルくんには、あたしみたいな成功はむずかしいかもねえ、あははは。明るさが足んないのよ、決定的に。ま、それでもあのどん底からは脱け出せて良かったじゃん……それが知れてナツ姉ちゃんもうれしいよ。地獄には落ちないように、せいぜいうまくやんな」

 さんざん憎まれ口を叩いて気が済んだのか、最後は潔くさっと、財布から今月分を出した。

 次回もどうせまた毒舌をわたしに浴びせるんだろう。それでいい。それが彼女が、彼女らしく生きている証だ。



 彼女に背を向けると、外はもう夕焼けだった。

 遠いむかし、夕焼けの下のドヤ街を、ナツ姉に手をひいてもらって歩いたのが思い出された。同時に記憶のなかの、どぶ川の臭いが鼻を衝いた。腐ったザリガニと廃油の臭いだ。わたしたちのぼろアパートと町工場の間を流れていたどぶ川の。

 そんなから這い上がってナツ姉は幸福を掴んだ。一方、わたしは――あのころわたしたちを苦しめた、借金取りになっている。ただしおなじ取り立て屋であろうとも、わたしはあんな、人間のクズのような取り立て屋にはならない。そう固く誓ってこれまでやってきたが、結局のところは五十歩百歩、奴らと同じ穴の貉に過ぎないのかもしれない。

 だがそうだとしても、わたしはこの道を行く。

 わたしを救い、導いてくれるものは金だ。愛などというものをわたしは信じない。カタチないものは、みな幻影だ。

 彼女が借金を返しきったら、そのあとは――わたしと彼女の道が再び交わることは、二度とないだろう。そうでなければならない。ただどこか遠くで、彼女が幸せでいると信じることさえできるなら、それでいい。



(了)


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ハーフ&ハーフ3のための、取り立て屋物語 久里 琳 @KRN4

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