新しい生活様式

 隣国との戦争が始まって10年も経つと、殺すことも殺されることも日常になった。人間は何にだって慣れてしまうものだよ。ママンは言った。ママンが殺されたのは、4年前のお盆だっけ?


 戦争で死んだ人々がゾンビとして生き返り始めた。それも「新しい生活様式」として定着し、やがて何が「新しい」のか「古い」のか、誰にもわからなくなった。中学時代の連れション仲間たちはみんなゾンビになったという。私抜きで、今も仲良く連れションしてるだろうか。


 致命率100%の病、それは死だよ。じゃあ、死ななくなるワクチンを発明したらノーベル賞取れるね。そう言って、本当に死ななくなるワクチンを作った千田君は、小学生のときおっさんみたいなしゃべり方してたっけ。テレビに出るようになるとどんどんおしゃれになって、でも、しゃべり方はおっさんのままだった。


 反ワクチン派たちの信じる陰謀論はこうだ。死ななくなるワクチンにはICチップが混入されている。これはFBIの仕業であり、そのことは流出したD文書に記載されている通りだ。D文書のDは、DOGのD。国民をICチップでDOGのように操ることが当初の目的だった。しかしICチップと一部の接種者の免疫が複雑に作用することによりDOGはGODに反転し、人々はあらゆる社会規範を根底から覆す全能のGODになった。それが、いわゆるゾンビの正体なのだ。


 反ワクチン派のリーダーは千田君の妹だ。千田君と、千田君の妹は小学生のころからそっくりで、ふたりとも「おっさん」と呼ばれていた。


 しかし、こう戦争がつづくと、甘いものが恋しくなりますなあ。これが今年の流行語大賞なのだとユーキャンは言う。そんなこと世事に疎い私には信じられなかったが、このあいだ、防空壕のなかで小さな女の子が確かに言った。しかし、こう戦争がつづくと、甘いものが恋しくなりますなあ。しかし、こう戦争がつづくと、甘いものが恋しくなりますなあ。くりかえし、くりかえし、うたうように、さえずるように。老人たちは笑った。中年たちと青年たちと少年たちは何も言わず、ゾンビたちは防空壕の外をうろうろしていた。


 食料が無くなってきて、巷ではゾンビ料理が流行りだした。ゾンビのもも肉のしゃぶしゃぶ。ゾンビの胸肉の唐揚げ。ゾンビのバラ肉の生姜焼き。ゾンビのタンステーキ。ゾンビなら掃いて捨てるほどいるし、ゾンビはゾンビで古い肉を削がれると気持ちよさそうにゴロゴロ鳴く。こうして、人間とゾンビとの不思議な共生関係が始まった。ゾンビ肉は臭みのない熊肉のようだ、とジビエ愛好家の人たちは言う。


 千田君が首相になると、千田君の妹は隣国に亡命した。もうすぐ人口の8割がゾンビになる。人間はもはやマイノリティなのだ。アファーマティブアクションにより、企業でも省庁でも、人間を優先的に採用するのが人事のトレンドらしい。我が国はまだまだ遅れていると千田首相は言った。われわれはゾンビであることに胡座をかいていてはいけないのです。千田首相も立派なゾンビなのだ。


 このあいだ近所の小学校に採用された人間先生は、ゾンビ先生に頭をかじられて全治3ヶ月だったという。ゾンビ先生も、人間先生も、現状に胡座をかいていてはいけない。


 あなたはゾンビですか? すみません、それなら席をひとつ分空けていただけませんか。電車の中で隣の男性にそうお願いした若い女性は、男性に頭をかじられて全治3ヶ月だったという。3ヶ月あればだいたい何でも治る。


 頭をかじることは痴漢行為に当たるのかどうかが裁判の焦点となった。「ついムラムラして」という男性の供述が決め手になって、男性ゾンビに懲役5年が確定した。傍聴席にいた記者によれば、裁判官の読み上げる判決理由で“ムラムラ”という一言に過剰なアクセントがつけられていたという。


 隣のゾンビ一家の住む家にミサイルが落ち、家屋は全壊したが、ゾンビ一家は全員不死身で無事だった。私の家も半壊した。ゾンビも人間も、隣近所で助け合い、苦しい時をなんとかやり過ごさなければならない。炊き出しが始まり、人間はゾンビ汁を作り、ゾンビは人間の頭をかじった。災害後は、人間もゾンビもいわゆる「ハネムーン期」を迎え、連帯のムードに包まれるのだという。これもいつか美談になるさ。今年96歳になるゾンビがぼそりと言った。


 そう思えるのは、96歳だからなのか、ゾンビだからなのか。


 人間は古くなり、生活様式はますます新しくなる。

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