兎に角

 我が輩はタマである。名前はまだ無い。


 あ、まちがっちゃった。


 私は名前の無い猫に憧れている。生まれてすぐに名前をつけられて、みんなが、タマ、タマ、と呼ぶものだから、名前が無いふりをすることさえできない。


 我が輩、という一人称も素敵すぎる。兎に角、という接続詞をいつか使ってみたい。でも、私はそんなキャラじゃない。私には名前があるから。生まれたときから愛されていると、愛されキャラのレールから外れることすらできない。


 (そいつは贅沢な悩みだな)


 ミーコは言う。ミーコは浮浪者たちに飼われている浮浪猫だ。


 飼われているいるといっても、本当は飼われていない。このあいだ、腐った刺身を食べておなかを壊したときも、浮浪者たちは何もせず、ミーコ、ミーコ、と呼ばわるだけだった。かかりつけの獣医もいないのに、飼われているなんてどうして言えるんだろう?


(タマよ。わしは、本当は名前がないんだ。3歳のとき、ふと思ったんだ。自分で自分に名前をつけてみよう。あのお屋敷で飼われている猫の名前がミーコだった。わしはミーコに会いに行って、あんたの名前をもらうけどいいか、と訊いた。ミーコは喜んで許可してくれた。あいつもお前さんと同じで、自分の名前にうんざりしていたんだ)


 ある日、お屋敷のミーコが家出した。ミーコ、ミーコ。お屋敷の奥様の声が聞こえたので、浮浪猫のミーコは塀を越えてお屋敷のなかに侵入した。夜のうちに奥様の寝床にもぐりこみ、朝を待った。朝になれば、わしはこの奥様の娘になれる。


(そのとき、奥様の悲鳴を聞きつけてやってきた書生に殴られてできたのがこの傷さ。わしはミーコの名前だけいただいて、それ以来、名前泥棒の泥棒猫として生きることになった)


(本当のミーコはどうしたの?)


(本当のミーコなんていない。わしがミーコだ。あの世間知らずのお嬢様猫は野垂れ死んだんだろうよ)


 名前を持って生まれ、名前を失い死んでいく。墓も無く、戒名も与えられず。素敵じゃないか。


 もう一回やってみよう。


 我が輩はタマである。名前はまだ無い。


 あ、またまちがっちゃった。


 兎に角、名前はまだ無い。


 でも、ウサギにツノってなんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る