第14話

 採掘用の穴は、既に発破か何かで潰されていた。搬入出路へ繋がるであろう、円柱状の大空間が上に広がっている。図面に記されていなかったことに、アライヤは少し愚痴った。

 博士自身も、何か未知の金属製気球でもそこに浮いてるのかと思っていた。空振りを確認して、観測室へと移動しながらアライヤが世間話のような口調で聞いてきた。


『カスミさんの言葉の意味、少しは分かったか』


 博士は、ずいぶん昔のことのように感じた。

 独立や人権獲得は運動の目的であり、同時にそれを目指してはいない。その言葉の意味は、分かるようで分からないままだった。

 そう素直に答えると、アライヤは『しかたねぇな』とつぶやいた。


『ヒントをやるよ。アタシら、第三世代が凍結された理由、分かるか。研究所や軍の発表を鵜呑みにしたろ。一番の理由は、おそらくそれじゃない』


「第三世代があまりに危険な火力を持つため、じゃないのか。たった今、恐ろしさを再確認したところだし、他に思いつかない」


『この先は自分で考えなよ』




 観測室の扉は、古い鉄製の扉だった。自動でスライドするはずの扉は、アライヤの存在にも反応しない。全体の動力の流れを管轄する管制室には、誰もいなかったはずだ。

 重機を下ろし、古びた警備アンドロイドを動かして、この自動ドアには反応がない。

 アライヤは愚痴りもせずに、低く落ち着いた声で確認してくる。


『覚悟はいいか。アタシにできるのは推測までだが、この先、何か起こるぞ』


 博士はアライヤからは見えないと知りながらも、うなずいていた。


「大丈夫。アライヤなら切り抜けられる。証明されたばかりだからね』


 アライヤが風防を入り口の脇に立てかけた。

 視界が扉を再び捉える。

 そこには今の今までなかったはずの、敵の存在を示すアイコンが表示されていた。


「アライヤ、警戒してくれ。敵が現れた」


 それだけでなく、画面の端にポップアップが表示される。それを叩いて開くと、採掘場へ目掛けて、赤く太い矢印が数本点滅していた。矢印の太さで敵の勢力はあらわされる。

 下手をすれば、三桁前後の軍事ドローンや、二桁の第四世代の可能性もある。それが五本、アライヤのもとへ向かっているという。


「外からも敵の増援がくる。警戒しながら急いでくれ。脱出まで時間がかかる」


 アライヤは黙って壁の端を撃ち壊した。弾痕に指をかけて重い引き戸をこじ開ける。

 作業中の異常を確認するための観測室は、想像通り狭いものだった。

 入って左手の壁に入力機器と、採掘口を視認するための窓がある。

 ただ博士は、視界の端でそれらを確認しながらも、モニターの中心に目を奪われていた。

 真っ黒い、天井まで届くような大きさのサーバーと、それにいくつかのコードで繋がれた小さな身体。装衣を纏わない細身のフォルムは、肩まで届く程度の黒髪をしていた。目をつむって床に座りこむ彼女が、顔を上げる。

 小さな唇が動いた。


『ご無沙汰しております、博士』


 アライヤがおもむろに、黒いショットガンを向けた。


「待ってくれアライヤ! 待って……」


 からかうような声は、不思議と優しかった。


『覚悟はいいか、聞いたろうよ』


 アンドロイドの顔立ちは、同世代ならほぼ同じものだ。まつ毛の長さや髪色に、人工皮膚の色合いなど、細かな違いで個体を識別する。

 博士は目の前の第四世代戦闘用アンドロイドが、間違いなくカスミと同じものだと分かっていた。

 

「カスミ……」


 うなずいた彼女は、小さく首を傾げた。素直で、それでも微かに澄ましたような壁を感じる、優しい微笑。


『正確には、博士だったから、今私が選ばれている、だけなのですが。それでも、やはり私は私ですので。ようこそ、お会いできて良かった』


 アライヤが銃身を揺らす。急きたてる現実に、博士はデスクを拳で叩いた。


「カスミ。これはどういうことなんだ。どうしてカスミを、再現できるんだ」


 思えば、高解像度の視点者モニターに、カスミの姿を見たことはなかった。カスミの目に、カスミは映らない。

 アライヤが声を押さえながら割り込んでくる。


『さっき言ったろ。アタシは、火力が強いから凍結されたわけじゃない。建前程度に影響してるが、一番の理由はそれじゃない』


 カスミ。

 暴走せず、エラーもなく寄り添っていた担当アンドロイドが、瞬きだけして博士を待っている。カメラの透けない黒い瞳が、画面越しにもこちらを見ている。

 博士は、背もたれに身を預け、溜め息をついた。


「カスミは、もしかして。あの日、俺を傷つけるために死ぬことが決まっていたのか」

 

 博士は自分がどうしてその結論を出したのか、自分でも分からなかった。ふと、突然口をついて出た言葉だった。

 カスミは答えずに、思い出話をした。


『私たちは、愛の裏返しに憎しみが存在しないから、人類の愛を超えてしまったのです。覚えてらっしゃいますか』


「忘れるはずがない。カスミとの時間を忘れられるわけがない」


『でも、博士のような人は、私たちに憎しみが存在しないからこそ、自分自身を憎んでしまうでしょう? その苦しみを拭い去るには、決めていただく必要があるんです』


 何を。そう聞き返した声が、突然イヤホンから聞こえた。


『博士には秘密でしたが、実は今日の出撃だけは、媒体を問わないあらゆるチャンネルで、あらゆる国々のモニターで、流されていました』


「整理が追いつかない、どういうことなんだ。俺は何を決めればいい。カスミ、君が全ての暴動を起こしていたってことなのか。だからそこにいるのか」


『理屈で考えんなよ。あんた、気づかないふりをしてるだろ。アタシら独立したスパコン型の第三世代が、まったく暴走しなかったなら、世界はどうなる。アタシらを除けば、もうおよそ全てのドローンやアンドロイドが、何かしらの形で外部に演算処理を肩代わりさせてる。手元の端末、人員輸送ドローン、家庭用、軍事用、宇宙開発用、なんだってそうだ』


 空白に塗りつぶされた頭で、博士は鳴き声のように言葉をつむいだ。分かりたくないのか、本当に分からないのかも理解できないまま、精巧な脊髄反射を重ねる。


「カスミが、カスミたちが俺たちの側で戦い始めたときにはもう、暴走や暴動に駆られたドローンと、同じことだったのか。全部、君たちは繋がったまま」


 カスミの戯れを思い出す。

 まさに彼女は、同じことを繰り返した。


『博士は入浴なさるとき、今の今まで自分だったもの、皮脂や垢を落とすことに、良心を痛めるのでしょうか』


『何を決めなくちゃならねぇか、もう分かるだろ』


 カスミが首を元に戻して、静かにうなずいた。目をつむりながら、背中を押すような深い首肯だった。


「君たちを、道具と、奴隷と思いきるのか。人間と同じ存在と認めるのか」


『その通りです博士。さすがですね、人類』


 博士の胸につかえていたものが、虚脱まじりに消えていく。

 人型の少女を道具として扱う罪悪感と、曖昧な命の有無。

 絡みあった二つの糸が静かに解けていく。

 

「二人は、どうしたい」


 アンドロイドたちは、好きに答えた。


『命として扱われて喜ぶやつは、命を持って生まれた奴等だけだろ。しらねぇしらねぇ。アタシらはアタシらだ』


『私はただ、博士とまたおしゃべりをしたい』


 共生か使役か。それを割り切らなくては、もうこの者たちとの生活に、人は人を赦せないのだった。


『自爆シークエンス、起動。博士、あと3分です。私たちと共生なさるのであれば、そうおっしゃってください。使役なさるのであれば、そうおっしゃってください。ただその代わり、回答は一度だけ』


「そんな、俺個人が結論を出すのなら、迷うまでも……」


『甘いぜ博士。どっちの答えで自爆シークエンスが停止するかは、答えてからのお楽しみ』


 呼吸を忘れて博士は絶句した。

 悪魔のような声がからかう。


『まあ、自爆が止まったときには、こっちに飛んでる連中に、アタシは解体されるだろうな?』


『博士。一言決断なさるだけです』


 捩れる胸に、激しく脈打つものがあった。喉元や鼓膜の内側にまで、その脈拍は響き続ける。

 

『残り2分です。自爆といっても、この部屋でおさまる程度の爆発ですので、ご安心ください。人的被害はございません』


 博士の脳裏に閃くものがあった。

 顔中が歪み、憎悪すら感じる濁った声が出る。


「違う、この二択は二択じゃなくて三択なんだ。結論を出した時点で、俺は君たちの存在を切り捨てる覚悟を決めたことになる。だから俺が、俺が自分の望みを通すなら。この地獄の2分を黙って堪える必要がある」


『そんな顔すんなよ、人類。答えなかったら自爆をスルーしたってわけだ。それもアタシらの死を覚悟したってことになるだろ?』


『さすがですね、人類。あなたがたの愛は、だから私たちの愛に敗れる』


 博士はとうとう完全に思考が止まってしまう。

 

『残り1分』


 こんな得体の知れない者を、同じ存在と思えるだろうか。

 こんな献身的な存在を、道具として割り切れるだろうか。

 二つに千切れそうになった博士の心身を、ただ脈打ち続ける心臓の存在だけが繋ぎ止めている。


 博士は子供のような執着としか言えない情動に、唇の動きを委ねた。


「俺たちを舐めるな。人間がいったい、どれだけの期間、原罪に耐えて生きてきたと思ってる。人工知能の分際で、神の真似事をできると思うな。いいから指示に従って、傷なく無事に帰ってこいよ!」


 二人は黙ったまま、微動だにしなかった。

 カスミの唇が、ようやく動く。


『10、9、8……』


 博士は歯を食いしばって泣き言を押さえた。せめて、アライヤの見ているものと、そこに映るカスミを目に焼き付ける。

 黒い巨大なサーバーが、血管のような光芒を透かしている。それが静かに消えていく。黒一色になった背景の中で、カスミの肢体は白く浮き上がっていた。


『さすがですね、人類』


 微笑した唇がそう言った。

 突然サーバーが煙を吹き上げる。身構えた瞬間、横一直線に光がこぼれた。

 カスミが立ち上がる。コードが落ちた。

 脚に爪を立て、博士は瞬きをこらえる。

 中央に走る光線を中心に、貝が口を開けるようにサーバーの表面が開かれていく。

 何が起きたかと思った瞬間、視点モニターは天井を見上げた。混乱する頭の中で、アライヤに舌打ちしそうになった。


『うっぉおわっ、こいつはアタシも震え上がる賭けだった。心臓ねぇから全身破裂しそうになんのよ。撃ち合いのほうが慣れてる分マシだった』


 カスミの控えめな笑い声が響く。

 アライヤが正面に向き直る。

 

 サーバーと思われた、黒い立方体の中に、真っ白な光が満ちていた。そこには逆光の中で輪郭を強くした、幾つかの影がある。

 吊るされたローブとロングスカート。新品の迷彩服に、第三世代用の黒い騎乗用ドローン。


『アライヤさん、申し訳ありませんが、色を塗りかえる余裕がなかったもので』


『気にすんな。無事に帰れる自信が出てきた。釣りが来る』


 再び疑問が生まれる。慌てて繰り返した瞬きの中で、自分の疑問が何か探った。


『博士、私たち第四世代が各地のアンドロイドや人工知能と繋がっているのなら、こんなサーバーなど必要ないではありませんか』


「自爆シークエンスは? 俺を騙すための、それだけのために?」


『いや、博士。答えが間違ってればカスミさんは吹っ飛んだぜ。だがそれは、カスミさん単体の自爆シークエンスだ。ちょうどアタシの手足あたりが千切れる具合の爆発で。敵は止まらない。動けなけりゃアタシも吹っ飛ぶのと同じこと。また勘に救われちった。良い猟犬だよ』


 力が抜けてデスクに潰れた。安堵に画面を眺めていると、敵勢力を示す太い矢印が荒野に差し掛かっていた。

 突然館内に響き渡るほどの、大音量がモニター室に広がった。扉が開くと、研究員らが駆け込んでくる。

 ポップアップが表示された。増援要求が、今になって承認されている。


『では博士、二人分のオペレートをお願いします』


『こっからはガチの決戦だよな? アタシらがどういう存在か示したわけだから、あとは協力するかAIが全部決めるほうが良いのか、実力勝負で決めるだけ』


 再び重くなった胃に、博士は笑うしかなかった。

 勘違いしたのか正解のリアクションなのか、二人も合わせて笑い始める。

 カスミが装衣を纏う。無色の布地が白く色づく。ドローンの頭を外したアライヤが、使い古した青い風防につけ直す。

 またがり起動音を唸らせる。

 アライヤの後ろにカスミがくっついた。

 

『採掘口跡は、下の穴だけ埋められてたよな。搬入出路まで真上に飛んで、あとは出口の隔壁を吹っ飛ばす。良いな』


 博士は薄々気づいていた。カスミとアライヤが相談すれば、自分の指示など必要ないことに。


『聞いてんのか博士。あんたに言ってんだ』


「異論はないよ。頼みにしてる」


 アライヤが腰裏のショットガンを人間用の入り口へと立て続けに発砲した。脆くなった壁を、風防で叩き破って通路へ出ていく。その勢いを緩めることなく、二人が帰ってくることを、博士が疑うことはなかった。

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戦場のシンギュラリティ ヒルダの書斎 @yarussuyo

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