第13話 一線を越える

 ソムラックの街の裏町に佇む、ゴストラ一家のアジト、通称「ホーム」。

 その一室にて、組織の頭領であるゴストラは、机に広げられた書類を前に渋面を作っていた。


「ちょっとぉ、顔が怖いわよぉ?……気持ちは分かるけどぉ」


 彼と向かい合う形で座る女性――シャンディは、目の前で考え込む男を諫めるように口を開いた。

 机の上に置かれた書類は、シャンディがソムラック周辺から三大国の国境付近まで足を伸ばして持ち帰った、様々な情報の調査報告書である。

 主には直近で損害が出ている暁の戦士団絡みのもので、その影響を受けた被害や変化などもまとめられていた。


「……奴らァ、ヒュマールの行商とあらば見境なく襲ってやがる。だが、気になるのはむしろ『それ以外』だ」


 ガロニア国とヒュマール族に強い恨みを抱く暁の戦士団が、その隊商を狙うのは理解できる。だが、シャンディの持ち帰った情報によると、ルーガルやドワーフなどを中心とした、ガロニア以外の国や地域の隊商も頻繁に襲っている。

 それらの隊商に共通しているのは、いずれも『遺跡』から出土した品を扱っているという点。遺跡で発見される武器や装飾品は遺物と呼ばれ、昔の加工技術や素材を研究するために、ドワーフ族が買い求めることが多い。

 しかし、普段使い用としては現代で一般に流通しているものと大差なく、わざわざ狙うようなものではない。

 ましてや、ドワーフ族の反感を買うようなことをしていればまともに遺物の買い手がつかない。

 例外として、遺跡からごく稀に発掘される「黒蝕器」だけは、比類する物がない程の価値を有する。が、黒蝕器は国のパワーバランスさえ崩しかねない程の代物。当然、三大国が常に目を光らせており、流通などするはずがない。

 総じて、暁の戦士団の行動には不可解な点が多いのだ。


「どうにもきな臭ェ。……それと関係あるかは知らねえが、ガロニアの三英雄が動いてるっつー噂もあるしなァ」


「あの子たちだけで行かせたのは失策だったかしらぁ……」


 シャンディは、暁の戦士団のアジトを突き止めるために遣わせた二人の新人が気がかりな様子だ。

 あの二人が並みの実力ではないことは、武の道の心得があるシャンディならば一目で分かる。

 しかし、シャンディにはそれでも二人を心配せずにはいられない理由があった。


「なんだァ?俺の選んだ新入りじゃ、お前のの連中より信用できねえってか?」


 若干の嫌味を含んだゴストラの言葉に、シャンディは思わず眉を顰める。


「そんなんじゃないわよぉ。……それに、彼らとは完全に袂を別ったの。二度とそんな言い方はしないで?」


 シャンディの機嫌を損ねかけていることを察したゴストラは、「悪かったよ」と肩をすくめる。そして、居心地の悪さを誤魔化すかのように飲みかけのカップを煽った。

 暁の戦士団のリーダーと思われる人物――ゼンダルについては、この場にいる両名とも知った顔であった。故に、彼の並々ならぬ、ガロニア王国とヒュマール族への憎悪も理解している。

 もしも、ガット達が彼と接触してしまった場合、ゴブリン族であるガットはともかくとして、ヒュマール族であるリーナがただで見逃されるとは思えない。シャンディの憂慮も当然と言えた。


「まあ、確かにあのゼンダルとかいうのがキレちまった野郎なのは分かるがな……だが、ガットが遅れを取るとは到底思えねえ。一応、オマケのゴブリーナもいるしなァ」


 今更、ガットの強さについては言わずもがな。小回りの利く瞬足に、鉄をも断つ一撃の切れ味。こと白兵戦においては、間違いなく大陸でも屈指の剣士であろう。

 そして、リーナ。彼女は戦闘の可能性がある今回の任務を最後まで渋っていたが、ゴストラの見立てでは決して魔法使いとしてのポテンシャルは低くない。

 彼女の身体を巡る魔法の力――魔力の流れを見るに、出力のコントロールには難がありそうだ。しかし、その魔力の総量や練度は既に魔法使いの平均を超えている。

 更に付け加えるならば、リーナが普段手袋で隠している指先には火傷の痕がある。火属性の魔法を多用する魔法使いによく見られるものだ。恐らく、毎日のように練習を繰り返しているのだろう。

 実戦では、覚えただけの百の魔法より、鍛え上げたたった一つの魔法の方が、余程役に立つ。そういう意味でも、リーナの実戦能力はそう低いものではないとゴストラは評価していた。


「そもそも、今回の仕事であいつらが戦うことは想定してねえ。真正面から殴りこむようなバカな事でもしない限りは、な」


 流石にそんなことはしねえだろ、と冗談気味に笑うゴストラ。

 それはそうだと、シャンディは頭では同意しつつも、なぜか胸騒ぎを抑えられずにいた。


(ゴストラはああ言うけど、ゼンダルは危険な男……。二人とも、無茶をしていないといいけどぉ……)



――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ち……っくしょうが!」


 オーガの男が上段から振り下ろした剣を紙一重で避けつつ、更に肉薄する。

 背後で追撃の準備をしていた別の男が一瞬躊躇し、動きが鈍った隙に目の前の男の足を切りつけ、男が悲鳴を上げ始める前に次の標的に接近する。


「皆さん!一旦距離を取りなさ――」


 させぬ。

 ゼンダルが号令を飛ばすより早く、敵集団の只中へ駆け出す。

 迎えうつ敵の斬撃をいなしつつ、一歩。

 さらに一歩、死地へ。

 四方八方を囲むは剣の林。一瞬、一挙手一投足をわずかにでも違えば、即座にこの身は八つ裂かれよう。

 この限り限りぎりぎり。命がまるで朝露の如く、容易に零れ落ちそうな状況が、久しく忘れかけていた闘技場での日々を思いださせる。

 生きるために、死中に飛び込む。それが日常であったあの頃を。


「……これほどとは……!」


 ゼンダルの額を大粒の汗が伝う。

 彼はガットを決して見くびってはいなかった。その証拠に、たった一人のゴブリンを仕留めるには過剰とも言える程に徹底した戦法を取り、実際にそれは上手くいっていた。

 だが、ガットはそれを即座に攻略してきた。

 彼は自らゼンダルたちの中心に飛び込んだのだ。通常ならば自殺行為に等しいが、これによって状況は一変した。

 オーガ族の長大で屈強な体格も、味方が密集する中ではむしろ窮屈で、満足に得物が振れない。

 それに対して、小柄なゴブリン族であるガットは、そのような中でも縦横無尽に動き回ることができる。加えて、ガットの神速が如き機動力と的の小ささも相まって、彼を捉えることは非常に困難だ。

 ガットにとっては無数の敵に肉薄し、小石一つ分でも間合いを違えれば即座に刃に飲み込まれるであろう状況。にもかかわらず、寸分の狂いなく攻撃をいなし、返しに斬り付けていくその様は、まさに剣身一体と言える神業であった。

 

暁の戦士団こちらのゴブリン族の方々が早々にやられてしまったのが痛いですね……ボルタさんたちもいつ戻れるか……)


 いくらオーガ族とゴブリン族とで身体能力に歴然とした差があったとて、ここまで体格が違うと戦いづらいというのが実情ではある。

 かといって、暁の戦士団が擁するゴブリン達は、この場に戦える者が残っていない。

 ゴブリン達の中でも特に身体能力に秀で、戦闘が得意なボルタ達は、逃げていったヒュマールの少女を追っている。

 間が悪い……というには、些か出来過ぎている。そう思い至った時、ゼンダルの背筋にぞくりと冷たいものが走る。

 もし、この状況が、彼らによってものだったとしたら?

 ボルタたちは、追いかけていったのではなく、実際には誘い込まれていたのでは?

 もしそうだとしたら、そもそもボルタたちがここに戻って来られない可能性が高い。

 こうしている今にも、一人、また一人と着実に仲間たちは倒れていく。

 時間をかけるのは不味い――ゼンダルがそう判断した、その時。

 

 カィーーーーン……


 突然、どこからか聞こえてきたのは、木を打ち合わせたように軽く、しかしどこまでも響き渡るような澄んだ音。

 ゼンダルはこの音には聞きおぼえがあった。これは、鈴響石という鉱石を打ち鳴らした際に生じる音だ。もっぱら、高原の山羊飼いなどが、離れた仲間同士の合図に用いるものである。

 合図。その単語がゼンダルの頭をよぎった時には既に、ガットはすぐさまその場を飛び退き、駆け出していた。

 刹那、ゼンダルの視界の隅に映ったのは、彼らから五十歩ほど離れた木の陰に立つ人影。それは先ほど逃げ去っていったはずの、ヒュマールの少女だった。


「ドンピシャだぜ、ガット……火魔法:炎弾フォイヤード……!!」


 少女が唱えると同時に、その指先から煌々と燃え盛る火球が放たれる。それは、ゼンダルもよく知る初級魔法とよく似ていた。だが、少女の放ったそれは、同じものだと思えぬ程に大きい。

 大気を灼き裂きながら迫りくる轟音は、ゼンダルが咄嗟に放とうとした号令の叫びすらも呑み込んでいく。それはやがて地面に腰を落ち着けると、そこに内包された全てのエネルギーを解き放った。

 直後、凄まじい轟音が大地と木々を揺らす。爆発により瞬時に膨張した空気が弾け、周囲のあらゆるものを吹き飛ばした。

 やや離れた位置にいたリーナの顔を豪風が叩きつけ、思わず目を瞑ってしまう。

 やがて風が収まるにつれゆっくり目を開けると、目の前にはもうもうと土煙が立ち込め、野盗たちが立っていた場所を覆いつくしていた。

 そしてその土煙が丁度切れた境に、ゴブリン族の男が一人、仰向けに倒れているのをリーナは認めた。


「ガット!」


 気付くや否や、彼女は直ぐに彼に駆け寄る。倒れたガットの背中に手を回し、身を起こす。


「ガット!おい、大丈夫かよお前……!」


 幸いにもガットは直ぐに反応を示した。


「リーナ殿……面目ない、想像よりも爆発が激しく、転んでしまった次第で……」


 お恥ずかしい限り、と照れ臭そうに笑うガットに対し、リーナはがっくりと肩を落とした。


「なんだよそれ……ったくよ……」


 リーナは眉をしかめたままガットの手を取り立ち上がらせると、周囲に目を配る。

 二人の周りには、吹き飛ばされ意識を失った、暁の戦士団の構成員たちが転がっていた。

 咄嗟にその場を離れたガットと違い、彼らはリーナの魔法をもろに受けたのだ。こうなってしまうのも当然と言えた。

 この様子だと、もう暁の戦士団に戦える者は残っていないだろう。

 予定外の事は多々あったが、結果としては出来過ぎな程に良好と言えた。

 あとは、倒れている彼らを拘束してゴストラに報告するだけだ。


「つーかガットよぉ、お前にゃ色々言いたいことが……」


「リーナ殿、待たれよ」


 好き勝手に動いた相棒に文句の一つでも垂れようかと口を開きかけたリーナに対し、ガットは手をかざし即座に制止する。

 厳しい目つきでガットが見据える視線の先で、砂煙がゆっくりと晴れていく。それにつれて、ぼんやりと一つの人影が浮かび上がった。


「やってくれましたね……薄汚い雌ヒュマールと……それに与する裏切り者が……!」


 やがて完全に砂煙が晴れたとき、そこに立っていたのは、それまでの穏やかな表情からは想像もつかない程、憤怒に歪んだ形相のゼンダルであった。


「殺します……ええ、壊しますとも。壊して、砕いて、踏み躙ってェ!貴様らの命も!尊厳も!涙に塗れて垂れ流す糞尿ごと全部!全部を!!」


 隔てるものなき山中に、男の中で濁りきった純粋な狂気がこだました。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゴブリンズ~最弱達は最強の英雄を目指す~ 河童ラッパー @kappa-rapper

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ