第12話 ただ一つの

 普段は森閑とした山の奥で、金属同士がぶつかり合う暴力的な音が激しく打ち響く。

 その只中でガットは、襲い来る無数の剣戟を辛うじて捌いていた。


「ぬぅ……苛烈……!」


 眼前に突き出された刺突を半身で避け、回転の勢いそのままに背後からの斬りおろしを剣でいなす。

 続けざまにさらにもう一人が追撃を試みようとする気配を感じ取り、包囲が緩んだ隙を狙い距離を取る。


(しかし……好機!)


 このまま相手が掛かってくれば、その瞬間のみ、疑似的に一対一の状況を作れる。そうなれば、例えそれが一瞬だろうと返しの刃で討ち取ることは、ガットにとって難しくない。


「待ちなさい!」


 だが、ゼンダルが鋭く指示を飛ばすと、今にも踏み込もうとしていた男がピタリと止まる。

 これだ。思わずガットは顔をしかめる。

 これまでにもこのようなチャンスは何度かあったが、その度にゼンダルが手綱を引き、野盗たちもそれに完璧に応える。加えて、ガットに対しては必ず二人以上が同時に斬りかかるようにすることで、反撃の隙を与えない。ゼンダルの統率力と、命令を忠実に実行する手下たち。総じて、一介の盗賊団とは思えないほどの組織力だ。

 

「敵ながら……見事な連携……!」


 思わず、称賛が口から零れる。

 決して余裕の表れなどではない。むしろ、このまま時間が経てばガットは不利になっていくばかりだ。しかし、仮にも武の道を歩む者として、ダンゼル達の洗練された動きは美しさすら感じた。


「これはどうも。これでも、元軍人なもので。それに、そうでない仲間たちも、毎日訓練を欠かしていません。彼らを心から誇りに思います」


 ゼンダルがにこりと答える。ヒュマールやガロニア王国の話題が絡まなければ、彼は驚くほどに穏やかだ。生来の気質は、やはりこちら側なのだろう。


「しかし、それと比べてあなたのバディはあまりにも酷い。いざという時に戦う覚悟もなく、あまつさえ仲間を置いて敵前逃亡とは……やはり所詮はヒュマール、といったところですね」


 やれやれというように首を振るゼンダル。その表情には、心からの軽蔑の色が浮かんでいた。


「やはり、あなたは我々と来るべきです、ガットさん。薄汚いヒュマール共の元にいても、都合よく使われ、裏切られ、最後には捨てられる……それは、これまでの千年の歴史が証明しています」


 正直なところ、ゼンダルの言うことも一理ある。ガット自身、ゴブリン族だというだけで、人として扱われないような経験を何度もしてきた。

 例えそれがガロニア王国の外でも、角付きの種族はそれだけで疎まれることが多い。

 だが、ガットはもう知っている。

 角付きのものが街の往来を堂々と歩くソムラックの街を。

 ゴブリンと対等に語らい、共に往こうと手を取った右手のぬくもりを。

 闘争と差別が日常だったガットにとって、それがどれだけ鮮烈なものであったか。

 だから、ガットは迷わない。


「申し訳ない。既に共に歩む御仁がいるもので。」


「この期に及んでまだ言いますか?既に裏切られたんですよあなたは!」


 ガットは剣を構えたまま、言い放つ。


「裏切らぬ者を信ずるのではない。裏切られても構わぬと思えた者をこそ信ずるのだ!!」


「団長の厚意をてめえ……二度も無下にしやがって……!」


 ガットの返答に、ゼンダルを慕う手下たちは頭に血が上っていく。すぐにでもガットに襲い掛かろうと一歩を踏み出し――


「――!よしなさ――」


 瞬間、先頭に出ていた男の肩口を鋼鉄の疾風が切り裂いた。男は悲鳴を上げながら倒れ伏し、傷口を抑える。

 その眼前には、既に剣を構えなおした小さな剣士が一人。しかしゼンダルの脳裏には、かつて戦場で対峙した千の軍勢が浮かんでいた。


「漸く一人目、まだまだ先は長いか……いざ、参る」


 そして剣士は、再び白刃の嵐に身を投じた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 少女は走る。

 道と呼べる道など殆どない山の中を、全速力で駆け降りる。時たま、伸びた枝や草木の棘が肌を裂くが、そのようなことは気にも止まらない。

 ただでさえ慣れない山道なうえ、知っている道はここまで来たルートのみ。少しでも速度を緩めれば、たちまち追手に追いつかれてしまうだろう。

 口の中で鉄のような不快な味が広がり、心臓は破裂しそうなほどに早鐘を打っている。急速に循環する血液が脳を駆け巡り、つい、余計な思考が頭をよぎる。


(なんだろ……つい最近にもこんなことがあったような……ああ、そうだ)


 あいつと、ガットと初めて出会った日だ。あの時も、同じように追手に追われていた。

 思えば不思議なものだ。これまでさんざん人を利用し、信頼などしたことのなかった自分が、助けてもらったとはいえ初めて会った者にコンビを組もうなどと持ち掛けるとは。

 それはもしかしたら、夢を語るガットの眼が、幼いころに憧れた父とそっくりだったからなのかもしれない。ひたすら真っ直ぐに、遠くの一点を見据えるようなあの眼差しが……。今となっては恨みつらみばかりが溢れる父だが、あの頃は確かに尊敬していた。


(まあ、いざコンビを組んだら組んだで碌な目にあってねえけどな)


 リーナは心の中で自嘲気味に一人ごちると、ゆっくりと足を止める。

 肩で息をしながら木に寄りかかっていると、遠くの方から複数人の走る足音が聞こえる。どうやら、逃げるのもここまでのようだ。

 ほどなくしてリーナの前に現れたのは、アジトまでガットを連れて行ったボルタと呼ばれていたゴブリンに、二人のゴブリンを加えた計三人。

 山での活動にたけた者達なのだろう。三人とも多少呼吸は乱れているが、息も絶え絶えなリーナとの差は歴然だった。

 

「ったく、ようやく観念しやがったか。この山で俺らから逃げられるもんかよ」


 勝ち誇ったように笑いながら、ボルタは背負っていた手斧を取り出す。所どころ刃が欠けているものの、それがかえって肉を裂くような一撃を想像させる。

 他の二人もナイフやこん棒など各々の得物を手に持ち、じりじりとリーナとの距離を詰めていく。

 まさに絶体絶命とはこのこと。しかも、今回は運よく誰かが助けてくれたりはしない。

 だから、リーナの取るべき行動は一つだった。


「へっ……そういうセリフはな、捕まえてから言いやがれってんだ!」


 そう言うなり、リーナは即座に背を向け、背後の藪に突っ込む。

 既にリーナが諦めたものと思っていたボルタたちは、一瞬、反応が遅れる。が、状況を理解すると、すぐさまリーナを追いかける。


「……ッチ!往生際の悪い……!」


 最早逃げ切れるような状況ではないにもかかわらず、尚も悪あがきをする小娘に、ボルタは苛立ちを覚える。

 次に追いついたときは、真っ先に足を潰そう。そう考えながら、リーナの後を追い、藪の中に足を踏み入れた瞬間――ボルタの眼前に、突如として壁が現れた。


「なっ……!?」


 咄嗟に手で顔を守るものの、強かに体を打ち付ける。鈍い痛みで我に返ると共に、足首に絡まっているものに気付く。

 それはロープだった。そこでボルタは理解する。目の前に壁が現れたように感じたが、実際には藪に隠されたロープに足を取られ、勢いよく転倒したのだ。

 ここまでの一瞬の出来事に、思考と共に現実が追いつく。


「なんだぁっ!?」

「うぎゃっ!」


 ボルタのすぐ後ろに着いてきていた二人も、勢いを殺しきれずにボルタに躓き、転倒する。

 彼らがすぐに顔を上げると、その先には三人をやや遠くから待ち構えるように、一人の人影が佇んでいた。


「オレがテメエを尾ける間によお、なんも逃げる準備をしてねえとでも思ったのかよ」


 リーナは自分に、ガットやゴストラのような、または生前の父親のような、常識を超えた強さなどないことを知っている。しかし、その上で、険しい道を進むと決めた。

 だから、用心し、準備し、思考する。必要なことは、できうる限りなんだってやる。人を騙そうが、罠に掛けようが、卑怯かどうかなど知ったことではない。

 それが、リーナの覚悟でもあった。

 

「まんまとかかってくれて助かったぜ?……これでお前らの戦力を


(この女……わざと逃げるフリをして……?全部最初から……!)


 ガットが戦うと決めた時点で、二人とも生きて帰ることのできる方法、はこの場で『暁の戦士団』を殲滅することのみ。

 絶対に逃げようとはしないガットを置いて逃げれば、リーナだけは助かるのかもしれない。しかし、それでは意味がない。リーナは、彼抜きでは『黒蝕器』にたどり着くことはあまりにも厳しいと、直感的に悟っていた。

 黒蝕器を探し求める。それは、今のリーナにとって人生の意味に等しい。あくまでも打算的にガットを見捨てる道を選ばないことは、非常に彼女らしい選択と言えた。

 

(まあ……まるっきり情が移ってねえわけじゃねえけどよ)


 兎も角、こうして策が嵌ったことはこの上ない僥倖と言える。ここで三人を減らせば、残りは十人足らず。急いでガットの加勢に向かえば、彼の剣技で切り抜けることは不可能ではない。


「つーわけで、あばよ……」


 三人が体勢を整える前に、一撃で決める。

 深く息を吐き、呼吸を整える。

 右手は拳を作り、そこから人差し指と中指だけを真っ直ぐ伸ばす。

 左手は台座。掌に右手を乗せて軽く包む。

 イメージするのは城壁に備えつけられたいしゆみ。何よりも速く、全てを貫く一撃。

 そして、小さく唱える。


火魔法フォイヤード……」


 それは、幼少の頃、唯一父から教わった魔法。

 上手く魔法が扱えないリーナに、父はこのルーティンを授けた。

 父曰く、魔法は使える数が大事なのではない。それよりも、一つの魔法を誰よりも極めろ。

 その日から、リーナはひたすらに、この魔法を練習した。ただの初歩魔法だと揶揄されても、父が亡くなった後も、ただこれのみをひたすらに。

 魔力を練りこんだ指先にボウ、と炎が燈る。それは加速度的に大きさを増し、すぐに拳大ほどになる。


「なんだよ……このサイズ……」

 

 ボルタが思わず呟く。は、ボルタの知る簡素な魔法とは、最早別物だった。

 膨張を続け渦巻く炎が、やがてその成長を止める。完成した火球を燈した指が、その標準を定める。

 そして、それは撃ち出された。


「……炎弾ショット!!」


「……ッ!」


 反動で腕が跳ね上がる程の勢いで撃ち出された紅蓮の弾丸は、折り重なるように倒れたボルタたちに着弾すると、圧縮された魔力が爆ぜ、標的を吹き飛ばす。

 そして勢いよく周囲の樹木に打ち付けられた彼らは、微かな呻き声と共にその意識を手放した。

 

「ハアッ……ハアッ……ああクソ、やっぱ調整がムズくて、燃費が悪いな……」


 自らの魔法の反動で尻もちを着いたリーナは、その場でしばし座り込む。

 昔から魔力の調節が苦手で、唯一使える初歩魔法ですら、どれだけ練習しても大雑把になってしまう。ままならないものだ。


「でも……ま、俺にしては上出来か……」


 伸びたボルタをチラリと見やりながら、相棒のようにはいかなくとも、確かな手ごたえを感じた少女は静かに拳を握りこんだ。

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