第7話 朝練
いつもより早い時間に設定したアラームが自分の恋路を応援するかのように甲高くなり続ける。
昨日ベッドの中で何を話すか遅くまでしっっっかり予習をしたからか、目が開かない...。
まあいつもギリギリまで寝てしまうくらいには朝に弱いから...と二度寝を決め込む寸前だったが、せっかくの予習と昨日の約束を無駄にするわけにはいかない。
と、うっすらと湧く心持ちで、どうしようもなくグワングワンする頭をギリギリ制してベッドから飛び降り、フラフラと階段を降りて朝ごはんを食べに行く。
「あら、ゆうと。おはよう。
今日はめっちゃ早起きやね。」
「今日から朝練行くから。おはよう。」
「そうなん、それは頑張ってね。
朝ごはん用意してるから後食パン焼いて食べね。」
台所で野菜を切るお母さんへの理由はこれくらいにしといて、いつもの朝ごはんの用意をする。
まず、何も考えずに食パンをトースターに入れ3分焼いて、その間にお皿に盛られたサラダと目玉焼きを机に持って行って食べる。
食べ終わりと同時にチン!って音が聞こえてくるから、こんがり焼けた小麦色を取り出し、その上に蜂蜜をまわしかけて箸で伸ばして食べる。
そんなあまりにもいつも通りすぎる空間で、いつの間にか何も考えずボーッとニュースを眺めていると、見たことないじゃんけんタイムの掛け声が聞こえて一気に目が覚める。
そうや今日はいつもより楽しい通学路が待ってるのに。
せっかく
意識がはっきりしてきたのと同時に沸々と自分にキレながら、急いで着替えと歯磨きと顔を洗って、間に合うギリギリのバスに駆け込んで『間に合えーーーー!』って祈る。
焦りと疲れで止まらない鼓動が法律を遵守するバスに八つ当たりしそうな勢いだ。
長い長い十数分で後悔と反省を何度も繰り返して、約束の時間を少しすぎた頃に解放され、懺悔する気満々で通勤ラッシュの雑踏の中、改札へ向かう。もちろん全力疾走で。
ホームに着くと、広い通路の隅っこに自分と同じ学校の制服がちょこんと椅子に座っているのが目に入った。
まだ柔らかい日差しの朝焼けが当たるその場所で、背筋を伸ばし足を揃えて本を読むその姿は、何だかちょっと知的でいつもの可愛らしい雰囲気よりも大人に見えて、魅入ってしまいそうで...
じゃない。遅れてるんやからさっさと謝りに行かないと。
「ほんまにごめん!!
朝弱くって、せっかく朝練行こうって言ってくれてたのに...」
「全然大丈夫やで!
電車一本くらいやったら練習時間そんな減らへんから!
おはよー、やね〜」
「...うん、おはよう!」
顔を上げてニッコリと笑うその仕草が真面目に本を読む表情とのギャップで、ドキドキするほど可愛い。
もう何かが口から出てきそうやわ!
おはよう以外に俺何も言ってないよな?!
しかも初めて待ち合わせしたのに遅れてくるという愚行を何も言わずに許してくれて...優しすぎる。
なんか後光が見えるわ。
天使の輪っかすら見えそうだったが、電車の音が聞こえてきたので二人慌てて改札を通ってホームへ向かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
クーラーが効いてるはずなのに暑い電車の中、ドアの前で息を整えながら、気まずくならないようになんとか話題を探す。
初手やらかしてしまっているからここからなんとか挽回していかないと。
「そういえば、今日なにで来たん?
バス一本前のやったら20分とか前やろうし......
いや、ほんとごめんな...」
いや、なに自分から話題振って鬱々としてるねん。
おいお前マジかよ。
「いや、ふーか基本自転車で駅まで行ってるから、ほんとに全然大丈夫やったで!
なんならふーかもギリギリについたから...お互い様よ。」
「あ、自転車なんや!
でも前帰り道バスじゃなかった?
一緒に帰った時。」
「あー、あの時はなんか...流れで?いやちょっと体験入部疲れたし、うん!」
「そう言う感じやったんか〜。
まあ馴れへん事は大変やしね。」
「そうそう!」
こんな会話の始まり方でも平和にしてくれる溝尾がやっぱりとてつもなく好きだなぁ。
素直に進んでいく会話が楽しい。
「そういや、結局フルートにしたんやんね?パート」
「うん。
そっちはパーカッションパートよね、いっつもみんなで仲良さそうなんみてるわ〜」
「そうやねん!
男子一人でアウェイやと思ってたねんけど全然そんな事なくて良かったわ!」
「ふーん、よかったやん。
...みんなも朝練してるん?」
「いや、そんな話聞いたことないから多分誰もいないんちゃうかな?」
「そっか!
じゃあいっぱい練習して早くみんなに追いつかないとね!」
「やね〜」
そんな他愛のない話をしているといつのまにか学校の最寄り駅に着いてしまっていた。
改札を出るともう学校は目の前だから、後数分自然に会話できたらとりあえず大丈夫......なんだけどもうすぐ隣でニコニコと喋る溝尾と別れることになるのはちょっとさみしい。
寝る前に予習した情報から、微妙に余った時間で喋れる話題を弾き出そうと上の空で改札口を通ると、今度は向こうから質問が飛んできた。
「ねぇ、
「持ってるけど、どうしたん?」
人混みの中でもはっきりと声が聞こえるその距離に、かなりドギマギする。
察されないよう落ち着いた口ぶりでいないと。
「いや、ふーか持ってなくって、今度親にお願いして買ってもらおうと思ってるんやけど、やっぱり便利?」
「そりゃね!
調べ物できるし、ゲームもできるし、LINKで友達に連絡気軽にできるし...」
「あ、LINKはなんか友達みんな入れてるから知ってる!
なんか喋るみたいにメール送れるやつでしょ。
絶対便利やんね〜」
道理で前LINKじゃなくてメールが使えるか聞いてきたのか。
これはぜひ買ってもらってLINK友達になりたいところ。
「絶対買ってもらった方がいいよ!
ほんまに便利やから!」
「やんねぇ。
親機械に弱くてスマホよくわからんって言ってるんやけど...今度お願いしてみる!
また買ったら使い方教えてね!」
「うん、頑張って買ってもらって〜!」
意図せず次喋る口実ができたことに喜びを隠しきれず、口角が重力に逆らっていくのに必死に耐えていると靴箱の前まで着いていた。
顔を見られないように颯爽とパーカッション室に行こうすると
「あっ、ちょっと待って!
教室の鍵取りに行かないと。」
まだ誰もいない、廊下。
この世界に自分しかいないと錯覚できそうなくらい静かだ。
そんな視界の真ん中に惚れてしまった相手がいる。
それだけでもうお腹いっぱいだったのに、まさかのここでアディショナルタイム。
...いや、嬉しいよ!?
嬉しいねんけど、心臓がもたんって!
そんな緊張なんて気にもしない猫のように、クリクリとした丸い目がこちらを向いて
「早く取りに行こっ!」
って。
そう言って溝尾は上履きを履いてふいっと職員室へ向かう。
あっ、これ夢の中かもしれん。
漫画の一枚絵みたいに綺麗でキラキラした光景に、真っ白な頭のまま着いていくことしかできず、気づくと自分の手に部屋の鍵が乗っていた。
「じゃ朝練がんばろっか!
まったね〜!」
「あぁ、うん、またね!」
口を突いて出た挨拶は口元を正す猶予はくれず、多分めっちゃ笑顔だった。
そのまま彼女が向かう教室と反対方向のパーカッション室に直行して、防音室なのをいいことに備え付けの机に突っ伏してしばらくあうあうと情けない声を漏らしていたのは内緒だ。
『体面は保ててたんだろうか。
せめて笑顔は爽やかであってくれ。』
そんな取り返しのつかないことに願いを込めるのは無駄だと気づいても落ち着きなんて取り戻らない。
諦めてひとまず興奮で力んだ手で楽器の用意を始める。
『俺も自転車を買ってもらえるように交渉しよう。』なんて今日の会話を思い起こして、頭の中のやりたいことリストをルンルンで組み上げながら。
ふーか、俺は幸せだ! 湯野叶 @yunokanau
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