新しいアッチーケ
* * *
厳しい特訓の日々、子狐はいくらか魚や鳥を捕まえられるようになりました。遠吠えもかすかに木々を揺らし始めます。
月日が経てば、子狐は大人になり、大きな体を持つ獣になりました。狩りもすっかり上達し、アッチーケと同じくらい獲物を捕まえられるようになりました。満月への遠吠えだって、アッチーケに負けません。
さらに年月が経ち、子狐だった獣は気付きます。
「アッチーケ、あんまりお腹が空いてないの?」
アッチーケの獲物の数が、自分より少ないことに。
「アッチーケ、今日はもう、眠いのか?」
アッチーケの遠吠えが、自分のものよりも小さいことに。
アッチーケは何も答えませんでした。けれども確かに、アッチーケが激しく動くことは減り、遠吠えも小さくなり、その数も減っていました。
「お前が成長しただけさ」
やっとあった返事は、たったそれだけ。
けれども、ある日アッチーケが起き上がれなくなって、その言葉は嘘だったのだと、子狐だった獣は気付きます。
「アッチーケ。アッチーケは、もう、年を沢山とってしまったんだね」
いつの日にか見た、満月に吠えるアッチーケの姿は、ひどくたくましいものでした。勇ましく、孤独なんてなんのその。そんな姿に憧れて、自分もアッチーケのようになろうと思いましたが、いまのアッチーケは痩せてぼろぼろでした。いつからこうなっていたのでしょう。
「アッチーケ、気付いてあげられなくてごめんね、いつからこんなに弱っていたんだ」
子狐だった獣が尋ねれば、アッチーケは弱々しくも笑いました。
「いつからだと? 最初からこんなものだったはずだ」
「そんなことはないよ。アッチーケはとってもかっこよくて、独りぼっちでもたくましかった。だから僕はアッチーケに憧れたんだ……ねえ、僕は、アッチーケみたいになれたかな?」
洞窟の寝床で横たわったままのアッチーケは、瞳だけを動かして、子狐だった獣を見つめました。しばらく考えた後、最後の息で答えてくれました。
「なってしまったかもしれないな」
そうしてアッチーケはもう二度と喋らず、二度と動きませんでした。
子狐だった獣は、無言で洞窟を出ました。死んだアッチーケに寄り添うようなことはしません、やり残したことや、もしもあの時こうだったのなら、なんてことも考えません。一匹になったからといって、なんのその。アッチーケのようになったというのなら、めそめそ泣くわけにはいかないのです。
「ごめんねアッチーケ、僕はアッチーケみたいになれなかったみたい!」
洞窟を離れ、少し歩いたところで、ついに子狐だった獣は泣き出してしまいました。
アッチーケのように孤独でも、たくましく。そんな風になりたいと望んだけれど、再び独りぼっちになり、わんわんと泣かずにはいられませんでした。
アッチーケは死んだのです。もういないのです。
* * *
アッチーケは、いつだったか、孤独な子狐に、他の群れを探せばいいと言いました。
けれども、子狐だった獣が川を見下ろせば、そこに映っているのは、もう狐とは呼べない何かでした。
独りぼっちになった獣は、呆然と日々を過ごしました。大木のようにその場から動かなかったり、川に映る自分の姿をじっと眺めたり。時折、お腹が空いたなぁ、と思えば、近くまで寄ってきていた小動物や魚を、思い出したように捕まえて食べました。
そしてある日の夜。今日は明るいなと思えば、紺色の空には大きな満月が輝いていました。
満月の日は、遠吠えの日。でももうアッチーケはいません。アッチーケに憧れた自分はアッチーケのようになれませんでした。それでもなんとなく、獣は崖の上に立ち、満月を眺めます。
ふと思い立って、遠吠えを響かせました。獣の声は森を揺らし、風を怯えさせ、月まで届くかと思うほどに長く響いていきます。
死んだアッチーケに、この声が届いたのなら、と思ったのです。
アッチーケのようになりたかった。けれど、こんなに寂しいのはやっぱり耐えられない。
もしも返事があればと思い、獣は遠吠えを続けます。
月には死んだ動物達の魂が眠っていると、アッチーケは言っていましたから。
それならば、この遠吠えで、アッチーケを起こして、ここに戻ってきてもらって。
「――もしかして、アッチーケ?」
不意にそんな声が聞こえて、獣は振り返ります。
いつの間にか、背後には子鹿がいました。身体を煤まみれにした子鹿の顔には、泣いたあとがあります。
「すごい、すごいね! とってもかっこいい!」
突然現れた子鹿に、獣は驚いて何も言えません。対して、無邪気な子鹿は、
「わあ、私も、アッチーケみたいになりたいな! あのね、山火事で、みんないなくなっちゃったの。でも、アッチーケみたいになれたのなら、私、一匹でも強く生きていけるよね?」
なんだか覚えのある言葉に、獣は瞬きをします。そしてとっさに、言ったのです。
「……あっちいけ。鹿の群れなら、探せばどこにでもいるでしょ」
自分で言って、思い出します。
かつてアッチーケも、自分に同じことを言った、と。
だから強く思ったのです。
この子鹿に、自分と同じ轍を、そしてもしかするとアッチーケと同じ轍を踏ませるわけにはいかないと。
「わあ! やっぱりアッチーケだ! 森の怪物アッチーケ! 『あっちいけ』って言う孤独の怪物だ! かっこいいね! かっこいいね!」
もちろん、子鹿はそんなことを知りません。無邪気な様子で跳ねています。
なんて馬鹿な奴! そう思って、獣はとっさに子鹿を蹴って飛ばそうと思いましたが。
――いま自分は独りぼっちで。
――もしこの子と一緒に暮らせたのなら。
けれどもそれは、この子のためにはならない。
でも。でも。
果てに、獣は耐えきれず、満月に向かってより大きな遠吠えを響かせました。
アッチーケに、この悲鳴を聞いてもらいたかったのです。
いま、アッチーケの全てに気付いたために。
自分は「本当のアッチーケ」になってしまったのだと気付いたために。
――散々遠吠えを響かせて、新しいアッチーケは寝床へ歩き出します。
子鹿は無邪気についてきますが、アッチーケには、追い払うことはできませんでした。
【終】
森の怪物アッチーケに憧れた動物達 ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya
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