第三話  あどすすか

 もう母父おもちちはそこにいなかった。

 あたしの生まれ育った家には、兄と弟と、見知らぬ兄嫁と弟の嫁、沢山のその子供達がいた。

 きゃはは、うふふ、と子供達の笑顔で満ちていた。


 ───兄さん。福足ふくたり。元気そうで、良かった。


 あたしは、庭で薪割まきわりをしている兄と弟の肩に、そっと触れた。

 返答はない。

 もう充分だ。

 もう、ここに母父おもちちはいない。

 もう、あたしの家ではないのだ。


 やっぱり、板鼻郷いたはなのさとの山の家で耐えて生活をして正解だった、と思う。

 凶作になればわらは間引まびくものだ。

 いなくなった年増女がふらっと子連れで帰ってきたって、居場所は……。


 古志加こじかが気になる。古志加のもとに帰ろう。

 あたしの愛しい娘のもとへ……。





 あたしは、娘に寄り添いながら暮らした。





 三虎が仇をうってくれた。

 あたしは悲しく顔を伏せ、古志加こじかが憎しみと悲しみで泣きじゃくるので心配になったが、三虎が上手く古志加をなだめてくれた。


 古志加が、居間を出る三虎の背中をしっかりと見据え、大きく息を吸い、歩きだしたのが見えた。

 瞬間、娘の心の声が天高く吹き上がり、あたしを貫いた。


(母刀自。これで良いんだよね。)

(三虎が仇をとってくれた。もうお終いにしろ、って言ってくれたから。あたしも力強く、この闇を歩き出せる。三虎、ありがとう。)


 あたしの心もあふれ出す。あたしは緩やかに笑い、


 ───三虎。娘を男童おのわらはと間違えたの、許すわ。

 仇をとってくれて、ありがとう。

 娘を悲しみから救ってくれて、ありがとう。


 そう思っていると、ぐちゃぐちゃに泣いた古志加の想いが、また、力強くあたしに届いた。


(母刀自。あたし、ここに来れて良かったよ。三虎に、拾ってもらって、良かった。

 本当に、良かったよ。)


 ───うん、良かった。良かったね、古志加。


 あたしも泣きながら、うなずき、愛しい娘を抱きしめた。感触はなかったけれど。




 そして、何年か経った頃。




 あたしは予想もしなかった喜びと出会った。

 魂となっていなければ、分かり得なかった、喜びだ。


 上毛野衛士卯団かみつけののえじうのだんの新入りの紹介時、


若田郷わかたのさと出身、北田花麻呂きただのはなまろです。よろしくお願いします。」


 と凛とした声を放ち、爽やかにニッコリ笑った十五歳の少年を見て、一目ですぐ分かった。


 ───ああ、あたしの息子!


 古志加の兄。産まれてすぐ、あたしが寝てる間に、あのおのこが、どこかへ売り払ってしまった、あたしの緑兒みどりこ(赤ちゃん)!

 こんなに、大きくなって。

 立派になって。

 明るく爽やかな笑顔を浮かべる少年になって。

 生きていてくれて、良かった。

 再会できるなんて、思ってもみなかった。

 しかも、たった一人になってしまった、古志加のすぐ側に、あなたはやって来てくれた。

 ありがとう。

 ありがとう!


 あたしはオイオイ泣きながら──本当に涙がでてるのかは良くわからない──花麻呂にまとわりつき、肩に手をやり、それでも足りなくて。すいすい胸の出入りを繰り返してしまった。


「うっ。」


 花麻呂が笑顔を貼り付けたまま、青い顔でお腹を抑えた。




 花麻呂は本当に良い若者に育っていた。明るく笑い、まわりにも男らしい優しさで接する。

 あたしは古志加に寄り添ったり、花麻呂にべったり寄り添ったりで、忙しくなった。

 ある日、花麻呂が母父おもちちの話を衛士の仲間としているのを聞いた。


「だから、オレの両親は若田郷わかたのさとにいるの。うちの親父と母刀自ははとじは、良い両親だぜ! 大好きだ!」


 そう言って屈託なく笑う花麻呂を見て、胸が傷んだ。

 本当の母刀自は、あたしなのよ。

 そう言ってやりたかった。

 でも同時に、これで良かったのだわ、と思った。

 あたしと伊太知いたちのもとでは、こんなに明るく笑う息子として、育てられなかったろう。

 あたしがどんなに愛情を注いだとしても。


 花麻呂を見ていて、思い知った。

 古志加も明るくは笑うけど、時々、瞳に暗いかげがさす。


 花麻呂を育てた両親は、もしかしたらしつけの為でも、一回も暴力をふるった事がないのかもしれなかった。

 良いところで、食べ物にも、愛情にも不自由無く育ててもらったのだろう。

 花麻呂は両親と血のつながりがないなど、露ほども思っていないようだ。

 花麻呂の育ての親に感謝しなければいけない。

 あたしはそう思った。




 花麻呂、花麻呂。

 そう、浄酒きよさけが好きなの。

 花麻呂、花麻呂、剣が好きなのね。

 ふふ、そこは父譲りなのよ。

 知らないでしょうね。

 強くなるわよ、花麻呂。


 魂でも、息子を側で見ていられるのは、幸せだった。


 本当に優しい子だった。わらは悪戯いたずらに傷つき、うつむく古志加の頭をガシガシ撫でて、明るい声で、


「お前もいいヤツだなぁ! まあ、そういうことで、これまで通り、何も変わらない、古志加。な?」


 と慰めてくれた。

 いつか、「兄か姉か、弟か同母妹いもうとが欲しいなあ。」と口にしていた古志加は、花麻呂にむかって、


「うん!」


 と自然な微笑みを浮かべ、身体から緊張が抜けた。

 古志加。今話しているのは、本当の兄なのよ。

 花麻呂、今笑いあっているのは、あなたの同母妹いもうとなのよ。


 花麻呂。古志加を慰めてくれて。

 ありがとう。

 あたしは花麻呂の胸に手を伸ばした。

 今こそ、あたしに身体があれば、と思った。二人を抱きしめたい。


 あたしは泣いた。




    *   *   *




 挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077137351832




「あらたまの恋 ぬばたまの夢」

 第二章  蘇比色の衣

 第八話  橙火の光を清み


 https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650707603386


 第六章  遊行女の夢なら

 第六話  掛け鈴〜かけすず〜


 https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650995192066



 の母刀自から見た光景です。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る