第二話  母刀自であるあたしの胸中は複雑だ。

 三虎みとら古志加こじかの面倒を良く見てくれた。

 夜しか古志加と会えない日も多かったけど、古志加が三虎を頼りにして、心から懐いてるのが良くわかった。


 あたし以外、身体を触らせなかった子が──もっとも、うちはガラの悪いおのこがしょっちゅう出入りしていたから、安全の為にそうしつけたのだけど──夜寝るときに、自分から身体をすり寄せているのには驚いた。


 涙を流し、三虎がぬぐう。

 古志加は安心しきった顔を見せる。

 良かった、と思うと同時に、女童めのわらはだから! 誰か気づいてぇ! と思う。

 つまの意向で古志加はおのこの格好をさせていたけど、ここまでおみなと気づかれないのか。

 母刀自ははとじであるあたしの胸中は複雑だ。


 何日か経った頃。


 夜、三虎が、遊浮島うかれうきしま──おのこに金をもらって共寝ともねする遊行女うかれめがいる処───に行ってしまった。

 魂だけになったあたしには、よーく見えてるんですからね!

 うちの子を放っておいて、そんな処に行って!

 案の定、古志加は夜中に一人で起きて、三虎を探して泣き始めてしまった。

 もうっ! 許さないんだから!

 古志加、待っててね、この母刀自がすぐ三虎を連れてきてあげますからね!


 あたしはさーっと夜を駆け、遊浮島うかれうきしまで美女を相手に手枕をして幸せそうに眠ってる三虎をあっという間に見つけ、迷わず一気にその胸に飛び込んで、きつーい冷気を見舞ってやった。



    *   *   *



「あ、わ、わ、わあ!」


 三虎は慌てて布団から起き上がった。

 隣で寝ていた莫津左売なづさめが、


「いかがなさいましたの?」


 と驚いた。

 三虎は細かく震えながら、


「何でもない。なぜか寒気がしてな。うう。今日はもう帰ろうかな。」


 といつもより早めに、脇目も振らず屋敷へ帰った。

 湯殿に行こうかな、さっぱりするし、と思ったが、なぜかまた、ぞわわっと胸のあたりが冷えて、不思議と、


衛士舎えじしゃに行ってあのわらはの寝顔でも拝むか。」


 という気持ちになった。

 もう今日は、オレは衛士舎じゃなく、自分の部屋で寝よう、半端な時間に帰ってきたし、と思っていたのだけどな。



   *   *   *



 すごすごと衛士舎へむかって歩きだした三虎を、ふわふわと空中から見下ろし、あたしは、ふんす! と鼻息をはいた。

 どんなもんよ、母刀自の手腕は。


 とはいえ、今のあたしは、鼻で息をしているか怪しい。

 お腹も減らないし、物音も耳で聞いてるのかどうか。

 第一、自分では普通に喋ってるつもりだけど、そんなはずはないのだ。


 あたしは舌足らず。

 上手に喋れない。


 ───りょうぶにひゃべれらい。


 そのようにしか、喋れないのだから。

 あのおのこ、あたしを攫って妻にしたおのこ、あたしのつまであり、古志加の父親が、あたしの舌を切ったのだから。

 今、あたしは普通に喋れているのだろうか? 良くわからない。


 誰もあたしの声を聞いてくれないから。


 古志加とお喋りがしたい。

 そう心から思い、時々、夢枕に立ち、古志加を膝枕させ、夢らしく、普通にお喋りを楽しんだ。


「ふふふ、母刀自。」


 と古志加は嬉しそうにあたしの膝に甘える。

 でも、あたしが夢から去ると、悪夢を見てしまう事が多い。


「あ……、や……、母刀自……!」


 と泣きながら寝言を口走り、時には力なく腕を振り廻す。

 あたしは古志加の側にいるのに、その腕を抱きとめてあげることすらできない。

 どういうわけか、古志加の胸に飛び込んで、背中に抜けても、三虎ほど古志加は冷気を感じないようだった。

 涙ぐんで、


 ───古志加、古志加。


 とあたしは必死に声をかける。


古流波こるは! 落ち着け!」


 そういう時、三虎は古志加の隣ですぐ起きて、小さめの声で鋭く言い、空中を掻きむしる細い腕をしっかり掴まえ、暖かい胸に古志加を抱き寄せた。


「夢、夢だ、古流波こるは。安心して寝ろ。」


 何回も、三虎は根気強く、そう声をかけた。そう時間はかからず、古志加は落ち着き、三虎の衣を握って、また眠りにつく。

 三虎が古志加の涙を拭う。



 あたしは、ずっと古志加の側に寄り添っているのにね。

 何もできない。

 死んじゃって、ごめんね。



 そして、とうとう。

 古志加はおみなだと皆にばれて、日佐留売ひさるめという、まっすぐな黒髪で、艶のある美女が、古志加を良く見てくれるようになった。

 

 おみなの衣の着方がわからない古志加に、着付けを教えてくれた。

 女官として働いていけるよう、色々教えてくれた。

 そして、あたしが大好きだった唄を、舌足らずになってからは、とんと歌わなくなった唄を、古志加に教えてくれた。

 古志加は泣いた。


(母刀自。)


 と古志加があたしの事を思って、悲しんでいるのがわかった。


 ───泣かないでね、古志加。それなら、ちょっと古志加の側を離れるけど、母刀自は、故郷へ行ってくるわね。


 懐かしい、韓級郷からしなのさとへ。


 あたしはぐんと空を駆け抜け、南へ、南へ。魂をさらに飛翔させ、甘い風香る、あたしの故郷にやってきた。


 あたしは光となり、風となり、子供の頃遊んだ野原を見つけ、すーっとその草むらを一直線に駆け抜けた。

 柔らかいの先端を撫でながら、身を翻し、栗の木のこずえをくるんと一周し───あたしはこの木の栗を毎年拾った。

 近くの小川の水面に遊び、光がきらきら反射するのに合わせ、ひらひらと舞った───あたしはこの小川で洗濯をし、川魚かわなを捕まえた。


 ───ふふふ。


 微笑がもれる。まるで肺が甘い風をいっぱいに吸い込んだみたいに、気持ちが良い。


 ───あたしの故郷。あたしは、たしかにここで育った。

 あたしは、ここにいたのよ。あのおのこ伊太知いたちさらわれていなければ、きっと今だって。


 ふわふわと、母父おもちちの家に魂で訪れる。

 

 


    *   *   *

 



 かごのぼっち様からファンアートを頂戴しました。

 生前の福成売の様子ですが、きっと古志加の夢のなかでは、二人はこのような顔をしていたと思います。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077113601887



私の挿絵です

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077136885289







「あらたまの恋 ぬばたまの夢」

 第一章  くるみの人

 第七話

https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650624873086


 第二章  蘇比色の衣

 第四話

https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650671678644



 の母刀自から見た光景です。




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