第四話

「まず湯殿ゆどの。」

 日佐留売ひさるめは笑顔でそう言い、竹が沢山生え、更に竹垣たけがきで覆われた、屋敷とは別棟になっている湯殿に古志加こじかを連れて行った。


 湯殿では、少し濁ったお湯がこんこんと湧き出している。

 床には黒く平たい石が敷き詰められ、裸足で歩いても痛くない。

 大きな石で囲われた湯殿のお湯に全身浸かると、


「気持ち良い……。」

「そうでしょう? 今まではどうしていたの?」

「夏は川に入ったり、冬はお湯でお身拭みぬぐいしてたよ。」

「そんなことだろうと思ったわ。なんで女官が怖いの? 誰かに意地悪されたの?」


 意外なことを聞かれた。

 うつむくと、擦りむいた鼻にお湯があたってしみた。


「違うよ……。だってオレ、おのこみたいだろ。

 あんな美人の集まりの女官のなかに入って行ったら、場違いすぎて、恥ずかしいよ。

 オレ、全然、おみならしくない……。

 本当は女なのに……。」




     *   *   *




「まあ、そんなこと……。」


 日佐留売は、赤くなってうつむいている女童めのわらはをまじまじと見た。

 たしかに、くるくると巻いてる巻き髪は、あまり良いとはいえない。

 黒々としてまっすぐ、太く、艶のある髪こそ美しい髪だ。

 しかし、それ以外は……。

 大きな瞳が印象的な、かわいい女童めのわらはだった。

 意志が強いのだろう。

 目の光が強い。

 小さく赤い唇、かわいい顔立ちで、まだまだ今は童だけど、もっと成長したら、きちんと美しいおみなになるだろう。

 美女ぞろいの女官のなかでも、見劣りしないくらいの……。


「あなたは充分かわいいじゃない、古志加。母刀自ははとじはそう教えてくれなかったの?」


 古志加が目を見開いた。

 その瞳に悲しみと傷ついた色が広がり、


(あ……っ、訊くんじゃなかった。)


 と日佐留売は後悔した。古志加はうつむいて、


「母刀自が……、かわいいと言ってくれたことはあります。

 でも……。でも……。」


 それ以上は言葉がかえってこなかった。


 その後、肌を垢取りでこすったら、すごい量の垢がとれた。

 湯殿をでて身体を拭いてから、椿油を髪と顔にすり込んだ。

 やはり髪は傷んでいる……。

 そして、女官の髪型に結いあげた。

 左右の頭の上で美豆良みずらを二つ結い、左右の肩につく髪も、二つ、丸く縛る。


「その衣、三虎のじゃない?」


 と日佐留売がきくと、古志加が喉もとを手で抑えながら、


「うん。もらったの。」


 とニッコリした。


「今まで、むさ苦しいおのこばかりと一緒に寝てて、イヤじゃなかったの?」


 と、ついきくと、


「イヤじゃない。寝てるって言っても、オレはいつも壁ぎわの寝ワラで、皆と離れて寝てたよ。

 一緒に寝てたのは……。」


 古志加は小さい声になり、


「三虎だけ。」


 おやぁ? あの弟は……。

 どういうことかしら?

 二人で部屋に戻るため簀子すのこ(廊下)を歩きつつ、続きを促すと、


「オレ……、あたし、母刀自が黄泉に行っちゃって、夜、うなされてて……。

 そういう時は、三虎が側にいてくれた。

 多分、あたし、何回も泣いて、三虎が慰めてくれた。

 だから、ここに来て、一月くらいで三虎が奈良に行っちゃって、本当に悲しかった。」


 古志加はこちらを見て、


「……怒る?」


 ちょうど次会ったら、おでこを指で弾くくらいではすまさない、と思っていたところだ。

 何をやってるんだ、うちの弟は。

 それで本当に女童めのわらはと気づかないとは……。


 とは思ったが、あまりに必死に古志加こじかがこちらを見上げるので、


「怒らないわ。」


 と言ってあげると、古志加こじかはホッとして息を吐いた。


 部屋に戻ると、福益売ふくますめと二人の緑兒みどりこ(赤ちゃん)、母刀自ははとじ鎌売かまめがいた。

 もうおのこたちは全員帰ったようだ。


「どういうこと、大川さまを使いによこすなんて……。」


 と母刀自が厳しい顔で言う。福益売ふくますめが、


「あっ、あの、申し訳ありません。

 大川さまが、緑兒みどりこ(赤ちゃん)二人を世話しながら呼びに行くのは大変だろう、と仰って、自ら鎌売かまめさまを呼びに行ってくださったのです。」


 と慌てて言った。日佐留売は、


「主の手をわずらわせるなど、言語道断です。

 今後はないように。」


 と福益売をにらみつけた。


「申し訳ありません。」


 福益売は萎縮する。


 


    *   *   *




 日佐留売が古志加に、女官の衣を与えてくれた。

 明るい赤橙の(足首まであるスカート)が柔らかい木綿で、風をはらむと、女官の腰まわりにフワリと広がるのだ。


(あたしも、これを着るのか……。)


 をはくのは初めてだ。


「この赤橙の……。」


 と言ったら、


「その色は蘇比そびと言うのよ。」


 と、日佐留売ひさるめにやんわり訂正された。


蘇比そびの袖なしの……。」

「それは背子はいし(ベスト)。」


 今度は鎌売かまめだ。

 上半身に着る袖なしは、背子はいしというのか……。

 に比べ、硬めでしっかりとした木綿だ。


背子はいしの下に着るほう(ブラウス)は桜色。帯は裏葉うらは色。領巾ひれ薄桜うすさくら。」


 鎌売が一気に言った。

 鎌売は女官を取り仕切る女孺にょじゅのなかでも、一番えらいそうだ。

 口調も厳しいし、顔も威厳があって、雰囲気が怖い。

 ああ、三虎の母刀自ははとじ……。と納得する。


「あとで、なめしがわを一足ぶん、女官部屋に届けさせるから、かのくつ(革のくつ)は教えてもらいながら、自分でいなさい。

 余分の革はあげられませんから、慎重に縫いなさい。

 しとうず(足袋)もあとから渡します。

 しとうずだけで歩いてはいけませんよ。

 すぐ破れますからね。」


 と日佐留売は言った。

 

「はい。」


 返事をしたあたしは、蘇比そび色の衣を前に、途方にくれる。

 あたしは着方がわからない。

 まごついてると、日佐留売ひさるめが着方を教えてくれた。


 あたしは何も知らない……。

 恥ずかしい。


 時間をかけ、髪も衣も、女官のものとなった。

 蘇比そび色のをつまみ、ちょっと振ってみるが、落ち着かない。

 おのこおみなの衣を着てるみたいだ……。


「ずいぶん幼いわね。いくつ?」


 鎌売が問う。


「十一歳です。」


 古志加は返事をする。


「そう……、女官の仕事を仕込むには、幼すぎない?」


 鎌売が日佐留売に言う。


「そうですね、ちょっと早いけど、女官の部屋に住まわせるのだから、そうも言ってられません。」

「そうね……。」


 と会話してる。


 怖い。

 怖すぎる……。




     *   *   *




 と、うとうとしていた浄足きよたりが、


「ああ……ん、ああ………。」


 と泣き始めた。


「おや、眠いのね。眠い、眠い……。」


 と日佐留売が浄足を抱っこしながら、

 身を優しく揺すり、




 菅叢すがむらのや はれ


 小菅叢こすがむらのや むらのや 


 菅叢すがむらのや


 ば われこそ


 かいらめ……。




 と美しい声で子守唄を唄った。


(あ……! この唄……!)


 つんつんした草のすが

 それが集まったすがむら、

 生えてきたら、

 あたしが刈ってあげましょう。


 そういう、深い意味はないけど、優しい唄だ。


「この唄、知ってる……。どこの唄ですか?」


 と古志加は震えながら聞いた。日佐留売が、


「え?」


 とこちらを振り返り、


「母刀自?」


 と鎌売を見た。鎌売が、


「日佐留売に教えたのは、あたしね。

 あたしは、宇都売さまから教えてもらったわ。」

「宇都売さまは、どこのさとのご出身ですか?」

多胡群韓級郷たごのこおりからしなのさとよ。」


 古志加は泣いた。

 声をあげては、緑兒みどりこ(赤ちゃん)を起こしてしまう。

 立ち尽くし、静かに泣きながら、


「この唄は、珍しい唄ですか?

 韓級郷からしなのさとでだけ、唄われるような……。」


 と訊いた。

 鎌売と日佐留売は顔を見合わせ、鎌売が、


「そんなに、珍しい唄では……。」 


 と言い、日佐留売は、


「どうしたの?」


 と言った。


「生前、母刀自が唄ってくれました。

 でも、あたしの母刀自は舌足らずだったので、


 ふはむやおや〜、


 としか唄えませんでした。今、とても綺麗な唄だったので……。」


 そこまで言って、

 古志加はとめどなく涙を流した。





 母刀自は、どこの郷に住んでいたか、オレが聞いても、首を振るばかりで、教えてくれなかった。


 だから、韓級郷からしなのさとが母刀自の郷かは、わからない。


 唄だって、珍しいものではないなら、決めつけはできない。

 でも……。 

 もしかしたら、そこが母刀自の郷なのかもしれない。



 母刀自……。

 可哀想な母刀自……。

 黄泉に渡る前に、魂だけでも、

 産まれ郷へ帰ることはできたのだろうか……。





「お願い、きかせて、子守唄を。唄って下さい……。」


 泣きながら古志加が懇願するので、日佐留売は優しい笑顔で、そっと、子守唄を唄ってくれた。











↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330659477587928

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