第五話  福益売、頬をむにむにする

 教わった女官の仕事は、古志加こじかには辛いものだった。

 やることは掃除や料理などだが、何をするにも優雅に、美しくふるまうことが求められた。

 できてない、と判断されると、裳裾もすそをまくるよう言われた。

 ふくらはぎを棒で叩かれるのだ。

 これが痛い。

 まずれいの角度が悪いと叩かれた。

 その後、焚いてあったお香を裳裾もすそでひっかけて派手に落としてしまい、叩かれた。



 すっかりしょげて女官の寝る部屋へ案内された。

 室内へ入ると、十人の美しいおみながいっせいにこちらを振り向くので、


 「ひぃ。」


 と古志加は悲鳴を飲みこんだ。

 すぐに日佐留売ひさるめの部屋にいた、十六歳くらいの女官が近くに来て、


「あたし、福益売ふくますめよ。隣に寝ましょ、さあ!」


 と腕をとった。

 古志加はもじもじする。


「ありがとう、福益売ふくますめ。良い名前ね……。」

「そうでしょ!」


 福益売は歯を見せて笑った。

 八重歯がかわいい。

 顎がすっきり尖り、目がいつも笑っている印象だ。


「日佐留売が、あなたが一通り仕事を覚えたら、あたしと一緒に難隠人ななひとさまの世話をさせるって言ってたわ。

 仲良くしましょ!」


 と床から一段高い寝床ねどこに腰掛けた。

 すごく大きい寝床だ。

 だが寝床自体は一つで、ここで全員眠るようだ。

 上にかけるのは、こも。ただし、


「うわあ、柔らかい。ここで寝るの?」


 寝床の上に、木綿でくるまれた厚みのあるものが敷いてあった。

 手で押すと、手が柔かく沈む。


「布団よ。中には綿が入ってるの。気持ち良く眠れるわよ。」

「へえ!」


 寝ワラでしか寝たことはない。

 それで充分だと思っていたが、布団の上に身を横たえると、身体がちょうど良く沈んで、気持ち良い。

 福益売の、


「今日は日佐留売に怒られて怖かった……。」

「大川さまが優しくて素敵、本当、奈良から戻られて嬉しいわ……。」


 と、あとからあとから湧いてくる話を聞きながら、


(福益売は美人だけど、怖くないや。)


 と、ホッとした。


「あなたも今まで大変だったのね。

 こうやって話したいこと話して良いのよ。

 おみなはお喋りが華。

 それで明日も頑張れるんだから。

 ほらほら古志加も何か喋りなさいよ。」


 と福益売が言うので、圧倒されながら、


(ええと……。)


 と、話すことを探した。


「ええと……、三虎が奈良から戻ってきて、嬉しい。」


 と言ったら、なぜかすごく恥ずかしくなって、赤くなってしまった。

 福益売は、


「やだ、この子かわい──。」


 と言って、こちらの両頬を手で挟んでむにむにした。


 むにむに。むにむに。


(ヒェェ……。そんなことするのか。)


 古志加はびっくりした。

 でも、福益売はニコニコ笑っているので、悪い気はしない……。



 布団の寝心地は最高で、疲れもあいまって、横になったらすぐ眠気が襲ってきたが、眠りに滑り落ちる前に。




(三虎が奈良から戻ってきて嬉しい、は、本当だ。

 首を踏まれたって、それは変わらない。

 今日は、落ち着いて顔を見ることも、話すこともできなかった。

 一緒に寝たかったなぁ……。)




 との思いが、心に、ふっ、と浮かんで、それから深い眠りに落ちていった。





     *   *   *





 それからは、なかなか三虎と会えなかった。


 昼餉ひるげ夕餉ゆうげに、大川さまに付き従って来てるはずだが、仕事を覚えたての女官は近づけてもらえない。

 いつも、料理を作る炊屋かしかやの仕事にまわされてしまうのだった。


 遅いながらも、古志加は女官の仕事を覚えていった。


 難隠人ななひとさまと浄足きよたりの世話をした時は、古志加があまりに緑兒みどりこ(赤ちゃん)に不慣ふなれなので、日佐留売をガッカリさせたようだが、それでも緑兒みどりこの世話の仕方を、福益売と二人で、根気強く教えてくれた。



 明るく話し好きの福益売も。

 おっとりしつつ、頼もしい日佐留売も。

 古志加は大好きになった。



 緑兒みどりこの世話は、驚きと忙しさの連続だったが、緑兒みどりこ二人が同時に昼寝をした時などは、女官三人でちょっと米菓子こめがしなどをつまみ、ゆったりする時間がとれた。

 なんという楽しみ!

 古志加は白湯さゆを口に含みつつ、日佐留売に、わらはの頃の三虎の話をねだった。




     *   *   *




 日佐留売は古志加を見る。

 三虎の話をねだられるのは、何回めだろう?

 古志加は頬を染めて、うっとりした笑顔でこちらを見てる。


「ねぇ、お願い、きかせて。日佐留売。」


(十一歳でも、小さくても、おみなだわ。)


 日佐留売はそう思う。福益売があきれて、


「もぉ、いつも古志加は、そればっかり!」

「だって、聴きたいもん……。」


 古志加は、ますます顔を赤くしつつ、譲らない。


 この女童めのわらはは、いつも自分のことは話さない。

 自分のことをおのこみたいだ、と言うこの女童めのわらはの親は、どんな親だったのだろう?


「話しても良いけど、たまには、古志加の話もききたいわ。

 かわいい古志加。

 あなたの父親や、母刀自ははとじ、なんでも良いよ。教えてちょうだい。」


 と優しく日佐留売が言うと、古志加の顔が、さっ、とくもった。


「ち、父親は、人間のクズでした。

 話すことは何も……。

 あたしと母刀自は、親父が帰って来なくなって、戸惑いつつ、ホッとしたくらいです。は、母刀自は。」


 そこで古志加はあえいだ。


「ただの郷人さとびとでしたが、綺麗なおみなでした。

 舌足らずでしたが、あたしを一心に愛してくれました。」


 言葉を口にのせるとともに、古志加は、ぽろり、と涙をこぼした。

 ぽろり、ぽろり。透明な雫が、十一歳の女童めのわらはの頬をつたう。


「三虎とあたしは、二人で、墓を掘って、母刀自を埋めました。

あたしは、三虎に感謝してもしきれません。

きっと、三虎が、母刀自を埋めるように言わなかったら、あたしは母刀自を土に埋めようとせずに、もう息をひきとった母刀自に寄り添って、一緒に黄泉渡りしていたと思います。」


 日佐留売は古志加の手をとった。


「わかったわ。教えてくれて、ありがとう。泣かないで、古志加。」


 見れば、福益売が赤い目もとを袖でぬぐっている。日佐留売も目もとを拭い、


「じゃあ、三虎のとっておきを教えてあげましょうね。

 あの子……、花かんむりが作れるのよ。

 教えたのは一回きりだから、今も作れるかはわからないけど……。」


 えぇっ、と福益売と古志加が声をあげる。

 古志加は日佐留売の話にすぐに夢中になった。

 その顔には、哀しみの影はない。

 三虎の話は、効果絶大……。


(本当、小さくてもおみなだわ。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る