第六話  妻と吾妹子と妹

 難隠人ななひとさまの世話をするようになって、古志加こじかはやっと、大川おおかわさまに付き従う三虎みとらに会えるようになった。


「頑張ってるようだな。」


 と、三虎は声をかけてくれた。無表情だが、優しい声音。

 三虎のもとどりに輝く黒錦石くろにしきいしで作られたかんざし──黒く輝く石に、細い銀とくれないの線が走る、とても綺麗な貴石きせき。その輝きにあたしは目を細める。


「うん!」


 と笑うと、三虎は古志加こじかの頭の上に手を伸ばしかけ、そのままひっこめた。


「オレの姉上は、すげぇだろ。このまま頑張れよ。次に来た時は、良い物持ってきてやるからな。」


 と言ってくれて、本当に次に来たときは、くるみと、古志加こじか衛士舎えじしゃに置いてきた、灰汁色あくいろ上衣うわごろもを持ってきてくれた。

 くるみは、蜂蜜と桂皮けいひで味付けしたもの。

 あの素晴らしい味のくるみ。

 本当に嬉しくて、涙目になりながらお礼を言っていると、日佐留売ひさるめがそばに来て、


「三虎……。あなた……。」


 と、じーっと三虎を見るので、


「ちゃんと! あつかってます。姉上!」


 と、なぜか早口で三虎は答えていた。



 あたしはすぐ、日佐留売と福益売ふくますめと一緒に、くるみを全部食べてしまった。

 もったいない、と思いつつ、こうやって好きなだけ沢山食べるのも、胸が踊って楽しいものだ……。




     *   *   *




 女官部屋の皆とは、いろんな話をする。

 母刀自ははとじに教えてもらいそこねた事を、あたしは色々教えてもらった。

 えやみ(病気)で両親を失った者も珍しくなかったし、家が裕福な百姓ひゃくせいで、両親ともに健在だが、兄妹の数が多く、十五歳になった年に、ある日いきなり父親に連れられ、上毛野君かみつけののきみの屋敷に来て、女官となった者もいた。


 親が女官で、わらはの頃から女官になるよう言いふくめられていた者は、上級女官として5人部屋に住まい、宇都売うつめさまや、広瀬ひろせさまに仕えている。



 福益売ふくますめは、父親を亡くし、泣き、青ざめた母刀自ははとじに手をひかれ、十五歳で上毛野君かみつけののきみの屋敷へ連れてこられたと言う。


「あたしのおかげで、同母妹いろも二人と母刀自ははとしは、しばらくは飢えなかったはずよ。」


 と、悲しそうに、でもさばさばとした笑顔で教えてくれた。




     *   *   *





 福益売は、ある日は、


「大川さま付きの女官になりたかったわぁ。

 あの美しいお顔を、もっと頻繁ひんぱんに見れるのよぉ……。」


 と、うっとり言い、またある日は、


「あたしも、一度でいいから、誰か素敵なおのこに、恋してます。オレのいもよ……。って言われてみたいわぁ、キャ──ッ!!」


 と、かわいい八重歯を見せながら、大きく叫んだ。

 あたしは、最初、つまつま吾妹子あぎもこしか知らなくて、


いもってなあに?」


 とたずねたものだから、女官部屋一同が騒然となった。福益売が、


つまつまは、婚姻を結んだ、男女だんじょのことよ。

 親も認めた、家同士のつながりでもあるわ。

 跡取りも、妻が産んだ子の中から選ばれる。

 で、おのこは、妻を何人持っても良い。」


 ピッ、と指を一本立てて、言う。


吾妹子あぎもこは、妻までいかない、男女の仲よ。

 家同士のつながりは、ない。

 妻以外のおみなを持てる、金の余裕があるおのこが持つものよ。

 恋が冷めれば男に捨てられるし、逆に妻となれる場合もある。

 家や子に縛られないぶん、純粋な恋の炎が二人をつなぐえにしよ。

 で、男は、吾妹子あぎもこを何人持っても良い。」


 ピッ、と二本めの指をたてて、福益売ふくますめが言う。


いも愛子夫いとこせは、心で結ばれた、運命の男女よ。

 たいていは妻の一人ね。

 でも、家同士のつながりとか、共寝ともねした仲であるかどうかすら、関係ないの。

 たとえ妻にすることが叶わなくても、そのおのこおみないとと呼び、その女が男を愛子夫いとこせと呼んだなら、いも愛子夫いとこせよ。

 他に代わりはいない、お互い、たった一人きりの、おのこであり、おみななの。」


 両手の平をひらひらと振り、ぱんと両手をあわせ、福益売は言った。

 そして大声で、力強く、


「あたしもいもがいい────!」


 とこぶしをにぎって叫んだ。

 他の皆も、きゃあきゃあ言いはじめる。


「本当に、いも愛子夫いとこせを、知らなかったの?」


 キャーキャー叫ぶことに夢中になった福益売のかわりに、いつも控えめな甘糟売あまかすめが、古志加こじかに聞く。

 甘糟売あまかすめは、つぶらな目をした、おとなしいおみなだ。

 あたしは、呆然としながら、


「本当に、知らなかった。」


 とつぶやいた。下唇をかむ。


 母刀自ははとじが知らなかったとは、思えない。


 母刀自は妻で、親父はつま


 もし、あたしが、どこかの金持ちに気に入られて、妻になれずとも、共寝ともねしにおのこが通ってくる関係となったら、それは吾妹子あぎもこなのだと。

 吾妹子あぎもこと呼ばれて初めて、おのこと呼べるのだと、母刀自は教えてくれた。


 でも、いも愛子夫いとこせについては、教えてくれなかった。

 なぜ?

 ……多分、教えてもらったら、あたしは訊くからだ。


 母刀自は、親父のいもなの?

 親父は、母刀自の愛子夫いとこせなの?


 と。

 そしてそれは。

 母刀自の答えられない問い。

 答えたくない問いだからだ。


 あたしの両目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「あっ……! 古志加が泣いてる!」


 慌てて甘糟売あまかすめが大声を出し、


「きゃあ! 泣かないで古志加!」


 と福益売がすっ飛んてきて、あたしを、ぎゅっ、と抱きしめてくれた。


「うっ……、うっ……。」


 あたしは泣きながら、福益売を抱きしめかえす。

 あったかい。

 柔らかい。

 福益売ふくますめ、優しい……。

 抱きしめてもらうの、あたし、本当に嬉しいんだよ。


「ありがとう、福益売……。」


 福益売の柔らかさに、身を預けながら、


(母刀自、いつか、教えてくれるつもりだったんだよね?)


 と心で語りかける。

 あたしは、男童おのわらはみたいにツンツンしてたから。

 もっとおみならしくなったら、話してくれるつもりだったんだよね?

 そう、十一月の、実りの祭りのときにでも……。

 まさか、こんなに早く、あたしの側からいなくなるなんて、思ってもみなかっただけだよね……?


いも愛子夫いとこせって、ステキだね。

 教えてもらって、良かった。」


 鼻をすすりながら言うと、福益売は体を離し、


「そうなの、そうなのよぉ──っ!」


 と何度も頷いた。


 女官は、使いや、主のお供でなければ、上毛野君かみつけののきみの屋敷の敷地を出ない。

 早番、遅番の半日の休みは多いが、丸一日の休みはない。


 ではあるが、婚姻を禁じられているわけではない。

 この屋敷に出入りする商人が、木簡もっかんをこっそり渡してきたり、

 もしくは、ここは群家ぐんけなので、役人が屋敷内でつとめをはたしている。

 もちろん、宇都売うつめさまや、難隠人ななひとさまが暮らす住居とは、区切られてはいるが……。

 その役人に偶然見初められて、妻となることも、あるそうだ。


 家柄の良い上級女官や、女官をとりしきる女孺にょじゅは、また別の話し。

 ほとんどが結婚できるそうだ。


 ただ、下級の女官のほとんどは、おばあちゃんになって死ぬまで、女官として暮らす。

 おのことは縁がない。

 美しいおみなばかり集められているのに……。


 皆、それがわかってる。誰か素敵なおのこに、


「恋してます、オレのいもよ……。」


 と言われることなんて、ほとんど夢のような話だと……。


(あたしも、あたしも……。)


 心のなかに浮かぶ顔はあったが、それ以上は明確な言葉を与えず、古志加はそっと目を伏せる。




    *   *   *




 まとめ。


 ○つまつま

 婚姻関係。一夫多妻制。親の承認要。


 ○吾妹子あぎもこ

 愛人関係。ただし現代のような卑下するニュアンスはない。親の承認不要。


 ○いも愛子夫いとこせ

 妻、吾妹子、関係なく、たった一人の男と女。共寝した仲かどうかさえ関係ない。

 親の承認不要。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る