うらふく風の 〜母刀自、福成売〜

加須 千花

第一話  あたしは福成売。

【お願い】

『あらたまの恋 ぬばたまの夢』

 未読の読者さまは、、ぜひまたお越し下さい。

 かなりのネタバレがありますので……。

 

 ─────────────────────



 小菅こすげろの  末吹うらふく風の


 あどすすか  かなしけろを


 思ひごさむ




 古須氣呂乃こすげろの  宇良布久可是能うらふくかぜの  


 安騰須酒西あどすすか  可奈之家兒呂乎かなしけころを


 於毛比須吾左牟おもひすごさむ



 小菅こすがの葉先を吹く風のように、どうして愛しい子への思いを通り過ぎる──忘れる事ができるでしょうか。




      万葉集  作者不詳




    *   *   *




 ああ! あたしはどうしたの。

 覚えていない。何かすごく辛い事があったはずなのだけど、覚えていない。


 あたしは福成売ふくなりめ

 十歳の子供がいる。たった一人の娘。

 愛しい古志加こじか

 いつも一緒にいる。

 だって……。

 つまはしばらく前に、行方不明となった。

 あたしには古志加こじかしかいない。

 古志加が死んだら生きていかれない。

 山の家で、二人暮らしをしているのだ。

 いつも一緒にいるのに、ここに古志加はいない。


 どこに、どこにいるの? どうしてはぐれたの?

 ああ! 思い出せない。


 家に行こう。家に行けば、きっと──。


 変ね。やけに身体が軽い。地面を蹴っていないようだわ。

 すごく早く、空を駆ける事ができる。

 身体の全て、意識の全てがふわふわしている。不思議。


 見えた。家だわ。

 戸口が壊れてる。すう、と中に入り、寝ワラの上に小さくなって寝ている古志加こじかを見つけた。

 あたしはほっとして、笑顔を浮かべた。


 ────古志加こじか……。


 帰ってきたわよ、そう続けて声をかけようとしたら、戸口から、馬のいななきと、ガタン、と重たい物が地面におろされた音がした。


 古志加がハッと飛び起き、足をもつれさせながら戸口に走り、


(え?)


 すっとあたしの身体をすり抜けていった。

 ぶつからず、まるで、あたしがそこにいないように。


(どういうことなの?)


 古志加の背中を追いかけ、戸口に出ると、そこには。


 あたしがいた。


 仰向けに転がされ、固く目を閉じ、ぴくりとも動かない。

 首には締められた跡があった。

 響神なるかみ(雷)のように記憶が蘇る。


(そうだ、あたしはおのこに首を締められて殺された……。)


 あたしは悲しく、あたしのむくろを家の外に捨てていったおのこ達が馬で山道を去っていくのを無言で見つめた。


母刀自ははとじ! 母刀自!」


 古志加が地面に転がされたあたしの首に抱きつき、名前を呼び、涙を流した。


「返事をして! 返事をしてよぉ! どうして黙ってるの。」


 古志加は、あうううう、と泣き、しばらく泣いたあと、


「ごめん、寒いよね。暖かくしよう。ね? 寝ワラで寝てて。早く、元に戻って。」


 と言い、すりきれた灰汁色あくいろの衣の襟首をつかみ、ずる、ずる、とあたしの力を失った身体を、家の中の寝ワラの方へ引きずっていった。


 ───古志加。古志加。あたしが見えないの。あたしは、ここにいるの。


 あたしは、悲しみが心にあふれ、古志加を抱きしめようとするけれど、ちっとも古志加に触ることができない。

 試しに、あたしの身体に戻れるかと触れてみたけど、駄目だった。


「死んでない。死なないって言った。まだ暖かい。だから死んでない。死んでない。」

 古志加はぶつぶつと低い声で呟き、弾かれたように戸口にむかって駆け出した。


 ───ああ、待って!


 あたしは急いで後を追いかける。



    *   *   *



 娘は、救いを求めさと彷徨さまよい歩き、雪道で行き倒れた。


 ───このままでは、古志加が死んでしまう!

 誰か、誰か、助けて!!


 あたしは悲鳴をあげた。

 道の向こうから、二つの人馬が駆けてくるのが見えた。

 天のたすけ!

 でも、娘の身体の上を、うっすら、雪が覆い始めている。馬からでは、気づいてもらえないかもしれない。

 あたしは二人の若いおのこが乗る馬に近寄った。


 ───止まって! お願い! あたしの娘が、あそこに倒れているの!


 必死に先頭のおのこに声をかける。全く気が付かない。

 あたしは本当に死んで、今、魂なのだ。

 走る馬に苦もなく並走し、ふわふわ飛んでいる。

 ためしに、肩に触れてみたが、効果がない。先頭のおのこは、堅い表情で、深く物思いに沈んでいる。心が閉ざされている。

 全然気がついてくれない!

 馬の脚は速く、このままでは娘を通り過ぎてしまう!


 ───いやあああ!


 あたしは悲鳴をあげながら、後ろの若い男の胸に飛び込み、すり抜けた。


「……うお!」


 後ろの男は明らかに動揺し、目をあたりに素早く走らせ、古志加に気がついてくれた。


 ───助かった!


 良かった。本当に良かった。

 あたしは力が抜けた。ふよん、と空を上下に浮遊しただけだったが。


 後ろにいたおのこは、三虎みとらと名乗った。

 


   *   *   *



 あたしのむくろの前で、古志加が心の悲鳴をあげた。


 ……母刀自、どこ?!


 古志加は素早く、家の隅々を目で探す。

 あたしの魂を探している。


 ───あたしはここよ、母刀自はここよ!


 あたしは泣きながら、古志加が胸で握りしめた両拳りょうこぶしを手で包もうとする。

 触れない。

 見えてない。


 ───古志加、古志加!


 古志加が正気しょうきを手放そうとする……。

 そんなの駄目よ!

 あたしが恐怖と悲しみに悲鳴をあげようとすると、


「しっかりしろ、古流波こるは!」


 三虎が力強く古志加を抱きしめてくれた。

 父親から抱きしめてもらったことのない哀れな娘は、悲しみより驚きがまさって、正気しょうきに戻ったのが見えた。


 ───ああ、良かった。

 この人が古志加を救ってくれた。


 三虎はその後、あたしの墓を作ってくれて、不思議な味がするというくるみを、あたしにくれた。もう味わう事はできないけれど。

 そして、あたしの為にかぐわしい宇万良うまら(野いばら)の練り香油を分けてくれた。

 古志加が嬉しそうに、あたしの頬に高価な練り香油を塗ってくれて、すごく嬉しくて、


 ───ありがとう!


 と三虎の胸に飛び込んだら、彼は盛大に震えた。


 古志加はその日のうちに三虎に連れられて、上毛野君かみつけののきみの屋敷で、下働きとして暮らす事になった。

 おおむね、良かったわ。

 でもね、三虎。

 あたしの娘を、おのこだらけの衛士舎えじしゃで寝泊まりさせるなんて、なんて事を!

 あたしの娘は、女童めのわらは! おみななのよっ!

 



    *   *   *





 かごのぼっち様から頂戴したファンアート。私はかごのぼっち様の、この三虎が好きですぅぅぅ!

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023213319080677



私の挿絵です

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077136587521





「あらたまの恋 ぬばたまの夢」

 第一章  くるみの人  

 第五話  軽裘肥馬けいきゅうひば


 https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650523656110


 の、母刀自から見た光景です。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る