第五話  軽裘肥馬

 軽裘肥馬けいきゅうひば………身分が高く財産がある人の服装。

 または、常にとても富貴な様子。



   *   *   *



 雪道を東へる人馬が二つ。

 脇目もふらず、馬を疾駆しっくさせる。

 先頭を行くは、雪よけの白い軽裘けいきゅう(軽い毛皮けがわで作られた上等な外套がいとう)の下に、桔梗ききょう色の衣を身につけた、十六歳の姿形きらきらしいおのこ

 おみなのような優美な顔立ちで、ただ、目は虚ろに何かを考えこんでいる。


 後に続くは、黒い軽裘けいきゅうの下に胡桃くるみ色の衣を着込んだ、同じく十六歳のおのこ

 愛想のかけらもなく、はれぼったい目、ニコリともしない唇で、とっつきにくそうなことこの上ない。


 二人とも、上等な身なり、立派な見目好みめよい馬を駆っているので、育ちが良いことは一目でわかる。


 先頭を行くおのこ大川おおかわ

 後に続くおのこ三虎みとらという。




     *   *   *




 雪道を、大川さまのあとについて、馬を駆る。

 四つ(午後2時半)ほどか。

 姉のところを辞してから、ずっと大川さまが無言だ。


 ……大丈夫だろうか?


 だがいちいち、止まって確認はしてられない。

 夕餉ゆうげの時間には間に合うよう帰りたい。

 まだ大川さまは母刀自ははとじ宇都売うつめさまと、上野国かみつけののくにに帰ってから挨拶しかしてない。

 母想いの大川さまに、ゆっくり宇都売うつめさまと語らいながら夕餉をきょうさせてあげたかった。

 と考えてると、ふと、


「……うお!」


 衣の中のはだかの胸に、薄いしゃのような、おみな領巾ひれのような軽い感触がふわりと触れ、背中に冷たさが抜け、背筋がぞくりとした。


(……雪か?!)


 いや、首もとは濡れていない。


(なんだ……?)


 三虎は馬を駆りながら、あたりを見廻す。

 と、道の左端ひだりはじに、薄く雪をかぶった人が倒れこんでいるのが見えた。

 おそらくわらは


「大川さま!」


 前を走る大川さまを呼びやるが、大川さまの馬脚はゆるまない。


(ちっ、見えてねぇのか。)


 手綱をぱんと打ち、馬脚を速め、大川さまに並ぶ。


「おい、大川さま、おい、止まれ!」

「あ、三虎……。どうした?」


 ようやく馬を止めた。


「あそこに人が倒れてる。」

「それは……!」


 大川さまが息を呑んだ。

 三虎は馬を戻す。


 イイイン、ブルルッ。


 回頭した大川さまの馬がいななき、大川さまが後ろをついてくるのを、三虎は背中で感じた。




     *   *   *




 肩を誰かに揺さぶられてる。


「……おい! おい!」


 若いおのこの声。

 オレはゆっくりと目を開いた。

 目の前にオレに呼びかけているおのこの顔があった。

 十七、十八歳くらい……?

 知らない人。

 頬をぱん、ぱん、と叩かれた。


「飲めるか。」


 口もとに瓢箪ひょうたんをあてられた。

 水が流れ出し、


(あ!)


 考えるより先に口が水を求めた。

 夢中で瓢箪ひょうたんに吸いつき、水を良く飲んだ。

 若いおのこが腕で体を支えてくれていた。

 身なりが立派で、黒いなめらかな毛皮の下に、胡桃くるみ色の衣を着ている。

 清潔感が、知っているおのこたちと圧倒的に違った。

 百姓ひゃくせいではない。

 側にもう一人、やはり十七、十八歳くらいの、立派な白いふさふさの毛皮の下に、紫色の衣をまとったおのこが立っていて、切れ長の黒目がちな瞳で、心配そうにこちらを見下ろしていた。

 そのおのこは肌が雪のように白い。


「は……。」


 口に何かを押し込まれた。


「ゆっくり噛め。」


 何か小さめの、硬いもの。舌に触れると、甘く、なにかピリリとした刺激を感じた。噛むと、コリッと軽快な歯ざわりがし、


(くるみ……。)


 だがこれは食べたことのない味のくるみだった。

 甘さが濃く、複雑でしびれるような香りが鼻に抜け、後味あとあじがさわやかで、くせになる。


「もっと欲しい。」


 つい目を見開いて言ってしまった。おのこは無言で、表情を全く動かさず、もう一個口に入れてくれた。


「これ、何……?」


 口をもぐもぐさせながら問うと、


「くるみに蜂蜜と桂皮けいひをまぶして乾燥させた、気つけ用だ。」


 とぶっきらぼうに教えてくれた。

 けいひ…。薬草の名前、なのかな。

 とにかく高価そうな響きだった。

 そこでハッと頭が覚醒かくせいする。


母刀自ははとじを助けて、お願い、息はしてないけど、死んでないんだ、だから……!」


 と一気に言った。

 立派な身なりの若さま二人が顔を見合わせる。


「何かあったようだな。」


 立ってる人が、くるみをくれた人に言う。


「このまま捨ておくこともできまい……。とにかく三虎みとら、何とかしろ。」

「一人で大丈夫か?」


 くるみをくれた人が間髪入れず、立ってる人にむけ、


「雪道で足を滑らせないか? 一本道だが迷わないか? ちゃんと無事に屋敷につけるか?

 大川おおかわさまに万一のことがあったら、オレも後を追うからな!」


 と一気に言った。

 肌が雪のように白い人、大川さまと呼ばれた人は、何か言いたげに顔をしかめた後、苦笑して、


「心配するな。大丈夫さ。もう……父親だからな。」


 と、なんだか少し寂しそうな笑い方をした。

 オレは二人の立派な若さまを必死に見つめる。

 初めての良い感触。

 この人たち……助けてくれそうだ!


「お願い、ここからすぐのところの山の中腹ちゅうふくに、オレの家がある。そこに母刀自はいる。一緒に来て……。」


 大川さまは笑顔でこちらを見て、


「私はいけないが、三虎を向かわせよう。万事良く運んでくれる。」


 と言ってくれた。


(やった!)


 おのこたち二人は、うなずきあい、別れた。

 後に残った、三虎と呼ばれた人は、こちらを見て、ため息……、かなり大きいため息をついた後、


「名は?」


 とこれまたぶっきらぼうに聞いた。


古流波こるは。」


 オレはこたえた。

 家はあっち、と歩こうとすると、ぐいと腕をとり、馬の上に乗せてくれた。


 道すがら、何があったかオレは話した。くるみの人は、渋い顔をしたが、何も言わなかった。


 家についた。もどかしく馬を降ろしてもらい、


「母刀自! ごめん時間がかかって……!」


 叫びながら家に入る。オレが寝わらに引きずって寝せてあげた母刀自に駆け寄り、……顔色が青い。


「あ……!」


 震えながら、頬にふれる。冷たい。

 冷たい……。

 もう、冷たい……。


古流波こるは、もう、死んでる。」


 くるみの人が言った。

 し、死んでる……?


「死んでるの……?」


 カタカタと震えながらつぶやき、


(死にはしない、って言ってたじゃない。)


「死んだの……?」


 そうなの……?


「そうだ。」


 くるみの人が肯定した。

 そうなのか。


 そこで閃いた。

 きっとまだ、この辺りに母刀自のたましいがあるはず。

 オレを置いて遠くに行ったりしないはずだ。

 それを捕まえて、体に戻せば、あるいは……。

 いや、手でつかめはしないかもしれないけど、母刀自の魂、どこ……?!


 震えつつ、両手を握りしめ、両腕を自分の胸に押しつけながら、素早く四方しほうを探すと、ぐいと腕をひかれ、くるみの人に抱きしめられた。


「え……?」


 すごい力だった。

 すらりと細身で、背もうすいのに、抱きしめられると、十歳のオレはすっぽりと胡桃くるみ色の衣に埋まってしまう。

 ぴっちりと隙間がないように、深く強く抱きしめながら、くるみの人──三虎は大声で、


「しっかりしろ、古流波こるは!」


 と名を呼ばった。

 オレは驚きすぎて声がでない。

 力が強く息ができない。

 母刀自以外に抱きしめられたのは初めてだ。

 優しくて柔らかだった母刀自と全然違う……。

 もっと強く、かたい。

 とく、とく、とみちが脈打ってるのがわかる。

 あたたかい……。


「しっかりしろ! 古流波こるは!」


 また三虎みとらが大声をだした。

 はい、と返事をしようとして……。

 あふれでてきたのは泣き声だった。


「うわぁぁぁん……!」


 そのまま涙を流し、声を振り絞って泣き、体の力を全て泣くことにそそいだ。

 自分で立っていなくても、三虎が立たせてくれた。

 だから体の力を抜き、体を三虎に預けて、がむしゃらに泣きたいだけ泣いた。


(母刀自……! 母刀自……!)


 泣きやむまで、三虎はずっとそのままでいてくれた。






↓三虎と大川の挿し絵です。


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330660189675038



↓かごのぼっち様より、三虎と古流波のファンアートを頂戴しました。(私の近況ノートに飛びます。)

 かごのぼっち様、ありがとうございました!


https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023213319080677

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