第六話  朱色の麻袋に入ったくるみ

(まったく、やっかいなことになった。)


 と三虎みとらは思わずにいられない。

 寝わらの上に寝かされている、三十歳くらいのおみなの首には、あきらかに締められた跡がある。


(ひでぇことしやがる……!)


 腕のなかのわらは古流波こるはは泣き続けている。

 まさか同じ日のうちに、うらぶれかけている人を二人も見ることになるとは思わなかった。

 可哀想に、もう……、気がふれかけているのかもしれない。


 男童おのわらはが泣きやんだ。

 抱きしめた腕をほどくと、ひっく、ひっく、としゃくりあげながら、両手を胸の前で握りしめて、


「立派な若さま……。あのくるみをもう一つだけください。お願いします。」


 と静かに言った。

 三虎は麑囊げいなう(仔鹿の革で作った、白い革のかばん)から、朱色の麻袋を取り出し、中から柏葉かしわばの包みを取り出し、柏葉かしわばを開け、くるみを一つ、古流波こるはの手に落としてやった。


「ありがとうございます。」


 古流波の顔は涙と泥、全身は泥水にまみれている。

 男童おのわらはは袖でぐいぐいと自分の顔をぬぐったが、袖も汚れているので、泥はそんなに落ちなかった。

 ちなみに、古流波の上衣うわごろもは、尻のところまでの短い裾だ。女童めのわらはの上衣なら、膝下まで裾が長い。


 古流波は、ふらふらと寝わらの上の母親に近づく。

 その足は、歩き通したのだろう、乎佐藝をさぎ(兎)の革で縫ったかのくつの指先は破れ、血がにじんでいた。

 男童おのわらはは母親の側にしゃがみこみ、その胸にぺたん、と頭を載せた。

 くるみを手に握りしめ、母親をじっと見つめ、


「……えへへ。」


 と笑った。ゆっくり涙を流し、しかしとても嬉しそうに、


母刀自ははとじ、オレ、立派な若さまに優しくしてもらったんだ……。

 柔らかい衣を着た、清潔な、立派な若さまさ。

 美味しいくるみも、もらったんだ。

 食べたことない、甘くて、不思議な味のくるみ……。びっくりするようなくるみ。……気になるでしょう?」


 とん、とくるみを母親の唇の上に置いた。


「これだよ。……ふふ。良かったねぇ……。」


 少し笑ってから、目を閉じ、感情がぎ落ちた顔で、静かに、


「立派な若さま。ありがとうございます。

 もうここまでで、けっこうです。」


 と大人びた口調で言った。

 三虎は立ち尽くす。

 このまま放っておいたら、男童おのわらはは、この雪の降る日、お腹にくるみだけを入れて、黄泉よみへ下ってしまうに違いなかった。


古流波こるは、家族は?」


 わらはは、まだいたのか、というように、ゆっくり目を開け、


「兄弟はいません。父は、ある日いなくなりました。もう一年近く前になります。」


 と言った。

 本当に一人か。

 あまりに哀れだ。

 三虎は決めた。

 古流波こるはに近づき、


「母刀自を埋めてやれ。」


 とハッキリ言った。

 わらはの反応は鈍いが、


「オレが手伝ってやる。埋めないわけにいかないだろう。郷人さとびとの手助けを呼ぶか?」


 とくと、首を横に振った。


「オレだけに掘らせるな。

 お前も掘れ。それで母刀自を埋めたら、オレと来い。面倒を見てやる。

 オレは石上部君三虎いそのかみべのきみのみとら

 オレの主は上野国大領かみつけののくにのたいりょう上毛野君広瀬かみつけののきみのひろせさまの御子息ごしそく上毛野君大川かみつけののきみのおおかわさまだ。」

「へ……。」


 古流波こるはは息を呑み、それ以上言葉が出ない。




     *   *   *




 陽がゆっくり西に傾くなか、家の裏に穴を二人で掘り終えた。

 二人で母刀自のところに戻り、三虎はふところから梔子くちなし色の麻袋を取り出し、中から白い小さな貝がらを取り出した。

 そして、その貝合わせを開け、中身の黄色いあぶらを親指の爪でふたすくい、すくった。

 オレに手をだすように言い、そのふたすくいの練り香油をくれた。

 すごく甘い、花の匂いがフワリとした。

 これは宇万良うまら(野イバラ)の香りだ……。


「すごく良い匂い。」

香油こうゆだ。大川おおかわさまの為のもので、貴重なものだから、あまり多くはやれぬ。

 だけどおみなは、こういうもの、好きだろ? 母刀自ははとじに塗ってやれ。」


 うん、と頷き、オレは母刀自の頬に練り香油を擦り込んでやった。

 そこには艶がうまれ、


「ふふ……、良かったねぇ、良かったねぇ……。」


 椿油つばきあぶらで、あんなに嬉しそうにしてたんだもの……。

 こんなに良い匂いで、母刀自はきっと心から喜んでいる。

 なぜか三虎が後ろでブルッと肩を震わせた。




 三虎が母刀自を土のなかへ運んでくれた。

 そして、朱色の麻袋を母刀自の胸のところへ、ポン、と投げ入れてくれた。


(あのくるみ、全部まるごと……!)


「い、いいの……?」

手向たむけだ。あな安らけ、安らかなる道を行け、しづ御魂みたま。」


 と三虎が言い、土をらいすき)で一かけしたところで、オレは泣き崩れてしまったが、


「ちゃんと埋めてやれ!」


 と三虎に一喝いっかつされた。

 泣きながら土を全部戻し終えて、


「良し。」


 と三虎は言った。

 そして、またぐいと腕をひかれ、その胸に抱きとめられた。


(!)


 引き入れられた力は強かったが、抱きしめる力は優しかった。

 そして、背中を優しくポンポンと叩いてくれた。


「あ……!」


 瞬時に身が震え、泣き声がせり上がってきた。

 再び、三虎の胸で泣く。








 抱きしめられながら。


 背中を優しく叩かれながら。


 泣くのは。


 こんなにも心地が良い。


 今日この日。


 くるみの人がいてくれて良かった。


 一人だけで泣くより。


 ずっと良い……。


 どうして、こんなに優しくしてくれるの?









 母刀自以外に、こんなに優しくしてもらったの、初めてだよ……。










 オレは、母刀自のくしだけ持って、三虎の馬に乗った。

 陽が落ちて、真っ暗になる頃、見たことのない立派な塀とやぐらのある大きい門をくぐり、広い屋敷についた。

 馬を降りてすぐ、


「おまえら、面倒を見てやれ。」


 と、十六人の濃藍こきあい衣に身を包んだ、年がまちまちのおのこたちの中へ、オレはぽーんと放り込まれた。


「み、み、三虎……!」

「口はついてるだろ。説明は自分でしろ。オレは忙しい!」


 そして三虎はさっさと行ってしまったので、


吉弥侯部きみこべの古流波こるはです……。」


 とオレは全て自分で説明せねばならなかった。

 母刀自の話をすると、じわっと涙が出てきた。

 話し終えると、十六人のおのこたちも皆涙ぐんでいた。

 皆は、ここ上毛野君かみつけののきみの屋敷を守る衛士えじで、ここは衛士舎えじしゃなのだという。


「うんうん、大変だったなぁ、可哀想かわいそうに……。」


 と言ってくれた三十代なかばのおのこは、荒弓あらゆみと言った。

 頬骨がはり、体格ががっしりしている。人が良さそうな顔をしている。


「ここにいれば、食事と寝るところの心配はねぇからな。」


 と笑顔で言ってくれた二十歳すぎのおのこは、薩人さつひとと言った。

 背が高く、ひょろりとして、目が細い。


 一人であの家で過ごすより、誰か郷人さとびとに助けを求めるより、くるみの人のところで、と思ったけど、結局その日、そのあと、三虎は顔を見せなかった。

 十人のおのこたちがワイワイ話す声を聞きながら、(六人のおのこつまがいる、と各々の家へ帰っていった。)衛士舎のすみの、清潔な寝わらで、オレは眠りに落ちた。 




      *   *   *





 悲鳴が聞こえ、口を布で塞がれたのだろう、悲鳴がくぐもった声になる。


(母刀自!)


 体が動かない。

 動け……! 動け……!

 二人のおのこが母刀自を麻袋に入れ、ひょいと持ち上げる。


(やめろ、やめろ───ッ!)


「おい、古流波こるは!」


 若いおのこの声がした。

 大きく息を吸い、瞬時に目が覚める。

 は……、は……。

 己の息が荒いのがわかる。

 目の前に、三虎が無表情にこちらをのぞき込んでいるのが見えた。

 顔が近い。


「夢だ。うなされてたぞ。」


 つう、と目から涙が伝うのがわかる。


「夢……。」

「そうだ。」


 母刀自の夢だ。

 ……助けられなかった! 

 ごめん、母刀自……。


「うぅ……っ。」


 泣きだしてしまう。

 三虎が、ハァ、とため息をつき、となりの寝わらに横になった。


「今日はここで寝る。」


 と腕を頭の後ろで組みながら言う。


「えぇっ、三虎、自分の部屋があるのにッ、どういうことッ。」


 と薩人さつひとがわざとらしい声をだす。


「うっせぇ。なんだか今日はやたら寒気すんだよ。ここなら、あったけぇ。」

「それは遊浮島うかれうきしまのあれですな……。」


 と荒弓あらゆみも笑いながら言うので、


「馬鹿、うっせぇ、うっせぇ。」


 と三虎が荒弓あらゆみにむかって寝わらを蹴る。

 皆が笑う。

 オレはすん、と鼻をすすり、涙がひっこんだ。



 三虎が隣にいる。

 少しくっついても良いだろうか。

 ちょっと身を擦り寄せる。

 この人、この胸でオレを泣かせてくれたし……。

 あの温もりをもう少し追いかけたくて、三虎の着てる衣をちょんと手でつまむ。

 昼の衣と違う。

 澄んだ薄い藍色の……はなだ色の、やはり、上等の木綿。

 お身拭みぬぐいをして、着替えたのだろう。

 三虎は、清潔な良い匂いがした。

 甘く深く、天にたなびいていきそうな香り。

 親父とも、家にたむろしていたおのこどもとも、百姓ひゃくせいとも違う……。

 そのまま、ちょんと手で三虎を捕まえたまま、安心して、ふぅっと眠りに落ちた。




     *   *   *




 自分の脇に、すこやかな寝息をききながら、三虎は目を開く。


「なんか、ひょんなことから、こういう流れになってなぁ……。この男童おのわらは、言ってることおかしいか?」

「いえ、別に……?」


 と荒弓がかえす。


「たった一人で、しばらく母刀自のむくろと一緒だったんだ。少々、気がふれてるかもしれん。」


 皆が沈痛な面持ちになる。


「まあ、支障ししょうのない限りで、ここで頼む。

 もし面倒見きれないなら、石上部君いそのかみべのきみの屋敷に移すから、言ってくれ。」


 碓氷郡うすいのこおり秋間郷あきまのさと石上部君いそのかみべのきみの本屋敷がある。

 少々気がふれていても、三虎が言えば、一人分くらいの働く口はある。


「可哀想な子じゃないですか。任せてくださいよ。」


 荒弓が言い、皆頷いてみせる。













↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330661677863880

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