第四話  愛しい娘よ。

 あたしは、見守りたい人のまわりを、ふよんふよん、とまとわりつきながら、嬉しいときも、悲しいときも、気ままに生きている人の胸に触れた。 


 人によって、感じ方の差があるが、冷気を感じるようだ。

 古志加は全く感じない。

 三虎と花麻呂は感じる。

 言葉が通じないので、何か伝えたくなると、触れたくなってしまう。

 それは許してほしい。


 あたしは魂。

 ちょっとずつ、生きていた頃の感覚がなくなっていくのを、感じる。

 反対に、魂となって、生きている人には分からない事が分かるようになった。

 古志加に命の危機が迫っている!

 

 ───助けて、助けて! 花麻呂!

 あなたしかいない、兄であるあなたしか。古志加を助けて!


 あたしがしつこく花麻呂に触れると、


「うっ。」


 花麻呂は寒そうに震え、そのうちに歩みが遅くなり、お腹をおさえた。青い顔で、


川嶋かわしま。悪い。今日は早く休みたい。酒壺ひとつぶんで、馬の世話を代わってくれ。」


 と前を歩く衛士に声をかけた。やっと分かってくれた。


 ───は・や・く・し・て!


 あたしは花麻呂の胸をずっと冷やしながら、きりきり舞いをした。



 期待通り、花麻呂は見事な活躍をし、事なきを得た。

 頼れる息子を持って幸せである。

 という事で、これからは事あるごとに、三虎より花麻呂を頼ることとなる。



 何回かそんな事があったが、あたしが最大のきりきり舞いをさせられる事態がおこった。


 花麻呂に、助けて、助けて、と訴えてるのに、花麻呂は寝床ねどこに寝そべったまま、動いてくれない。

 いや、いったん起き上がり、隣にいた三虎に古志加を助けに行くよう促し、もう三虎は部屋を出たのだが、花麻呂自身はまた寝てしまった。


 ───助けてよっ! 早くして!

 動いてっ、動いてぇ!


 あたしは花麻呂をぽかすか殴ったのだが、


「うう。」


 と頭と手足をはし布でぐるぐる巻きにした花麻呂は真っ青になってうめくだけだ。


 ───あたしは花麻呂に助けてほしいの。うわあああん! 


 盛大に胸と腹を冷やしてやり、このままでは、古志加に間に合わない! とあたしは一人で古志加の元に駆けつけた。


 危なかった。なんとか三虎が間に合った。

 いえ、これは、間に合わなかったかもしれない。


 ───古志加。


 あたしはボロボロと泣いた。

 深い嘆きの果て、古志加のなかの魂がひび割れてしまったのが見えたからだ。

 夢枕に立ち、なんとか古志加の悪夢を追い払おうとするが、できない。

 古志加は心を閉ざし、悪夢の深淵に囚われてしまった。

 あたしを救えなかった己を責め続け、あたしの非業の死に、何回も何回も、意識をむかわせてしまう。


 ───もうやめて、もう自分を責めないで。


 あたしは古志加に繰り返し声を届けようとするが、届かない。


 あたしの、魂の持つ力が弱ってきているからだ。


 なんとなく、分かってはいた。

 ずっと、魂のまま、不思議と幸せな時間を娘と息子の側で過ごすのは、いつまでも続かないと。


 空に呼ばれている。

 魂のまま、人の世にずっといてはいけないよ、と。


 古志加の心の声が、助けを呼ぶ悲鳴が聞こえた。



 ───母刀自。

 怖い夢はもう見たくないの。

 怖い夢のなかで暴れて、あたしのくるみの人を傷つけたくない……。

 もしできるなら。

 怖い夢を見る前に、あたしを迎えに来て。

 するりと手をとって、あたしの魂を素早く体から黄泉に連れ去って。

 お願い母刀自。

 お願い……。



 ───古志加!


 ああ、なんて事!

 古志加から助けを求められれば、この母刀自はなんとしても助ける。

 魂の力を使い果たし、砕け散ろうとも。

 これが最後の古志加への働きかけになる。

 寸暇すんかも迷わない。


 ───今すぐ、助けてあげるからね!


 あたしは覚悟を決めて、ぼろぼろ泣きながら、古志加に飛び込んだ。






 いつの間にか、朱色の小さな麻袋を持っている。

 中には、三虎がくれた、あたしが生前口にした事のない味付けの、高価なくるみが入っている。

 三虎がこれを墓に放り込んでくれた時、古志加がビックリして、深く三虎に感謝し、母刀自、良かったね、と心が震えていたのが、あたしには見えていた。

 古志加にそう思ってもらって、あたしは嬉しかった。

 だからあたしは、この朱色の麻袋を、空に持って行きたいと思っていたのだったわ。


 最後の力という事なのだろう。

 いつになく意識が明瞭だ。手足の感覚もあるような気がする。


 あたりは白いもやに包まれている。

 どうやら古志加の悪夢を蹴散らすことはできたらしい。

 ほら、ちょっと離れたところに、ちょこんと古志加が立っている。


「母刀自!」


 古志加が気づいた。

 目を丸くし、大きく何度もあたしを呼ぶ。


 ───古志加、と声を出すが、ここでは、あたしの声は届かない、聞こえないらしい。

 あたしが舌足らずだから、ではなく、生きる者との隔たりが、そうさせるのだ、と、今のあたしは何故か分かっていた。

 しょうがない。精一杯の笑顔をむける。


 古志加は、こちらに両手を伸ばし、走りこんでこようとする。

 駄目よ。こちらに来ようとしちゃ。

 まだ、こちらに来る時期じゃないでしょう、古志加。

 一向に縮まらない距離に焦れた古志加が叫ぶ。


「母刀自! 助けてあげられなくて、ごめん……!

 死の間際に、そばにいてあげられなくて、ごめん……!

 一人にして、ごめん!!

 怖かったでしょう、無念だったでしょう、あたしを許して……!」


 あたしはハッと息をのんだ。

 古志加、許しを乞うなんて、必要ない事よ。

 死の間際は、たしかに別々の場所にいたけれど、あたしや古志加がそう望んだわけじゃない。

 愛しい娘よ、悲しみと憎しみのなかで生きていこうとしないで。

 それより、笑って。

 教えたはずよ?


 ───いいのよ。古志加は、笑っていてくれれば。

 それだけで、母刀自は生きていかれるのだから。

 あなたが笑っていてくれる事が、大事なのよ。


 そう、何回も、あの山の家で教えたわ。

 だから、笑って。

 いつもは頬をトントン、二回つついてあげるのが、笑って、という合図だった。

 でも、今は古志加と距離がありすぎて触れない。

 だからあたしは、自分の頬を二回、トントン、とつついて、ニッコリ笑いながら、


 ───笑って。


 と唇の動きが読み取れるよう、ゆっくり言った。


 通じた。


 古志加は驚き、くしゃりと泣きそうになりながら、頑張って笑顔を作って、あたしに見せてくれた。

 うんうん、それで良いのよ。


 ああ、空に呼ばれる。後ろに引っ張られる。古志加から遠ざかる。

 古志加が慌てて口を開いた。


 


 







 挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077137706861



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