第五話  ───ありがとう。

「母刀自、あたし、上毛野かみつけのの衛士団に入れたんだよ!

 おみなで一人だけなの、すごいでしょう?

 ろくもでるの、一人で生きていけるんだよ!」


 すごいね、本当に頑張ったね、古志加。


「母刀自以外にも、あたし、抱きしめてもらったんだよ。

 すごく嬉しかったの。

 あたしも沢山の人を、抱きしめてあげたんだよ……!」


 えらいね、沢山の人に、嬉しさのお返しをできたんだね。


「あたし、恋いしい人ができたの。

 三虎っていうの。

 すごく恰好良くって、強くて、優しいの……。

 あたしのこと、息もできないほど、強く抱きしめてくれる人なの……。」


 古志加が、頬を桃色に染め、目をきゅっと細め、恋するおみなの表情を見せる。

 うんうん、とても恋しいのよね。そんな一途な恋を古志加ができて、母刀自も嬉しいのよ。

 時々気晴らしに、


 ───ねえー、あなたいつになったらうちの娘を妻にしてくれるのよぉ。


 と三虎にからんでいたのは秘密だ。


「母刀自! あたし、子守唄も歌えるようになったんだよ!

 母刀自が歌ってくれた唄だよ!



 菅叢すがむらのや、


 はれ、小菅叢こすがむらのや、


 むらのや、 むらのや、


 ば、我こそ かいらめ……。」



 あたしは目を見開いた。


 それは子守唄。

 あたしが母刀自から教えられた子守唄。

 あたしが、赤ちゃんの古志加に歌ってあげた子守唄。

 舌足らずで、満足に歌えなくて、耳に聞こえてくるあたしの唄が悲しくて、それでも、腕の中で泣く古志加に、泣き止んでほしくて、歌ったのだったわ。


 舌を切られる前は、あたしは、歌うのが好きだった。

 畑仕事をしながら、洗濯をしながら、まだ娘だったあたしは、笑いながらよく歌っていたのだったわ。

 すっかり忘れていた。


 あたしはゆっくり口を開いた。

 声は出るかしら?

 出たわ。

 歌える。

 歌えるわ。

 あたし、完全な唄を歌えるわ。

 思い出した。唄が好きだったの。

 古志加には、この声は聞こえていないのだろう。

 それでもかまわない。

 あたしの耳には、古志加とあたしの、重なった歌声が聴こえているのだから。

 楽しいね。一緒に歌うのは、楽しいね、古志加。

 あたしに唄を返してくれて、ありがとう。

 あたしの愛しい娘。

 さようなら。


 ────古志加、幸せに……。


 想いを届けると、


(母刀自、ありがとう。大好き……。

 さようなら……。)


 古志加から想いの波が届いた。

 あたしは胸がいっぱいになり、朱色の麻袋を握りしめた。

 古志加は遠ざかる。







 まだ、挨拶をしたい人がいる。

 強く念じると、想いは届いたようだ。

 ここに来てくれた。

 花麻呂だ。

 まだ、古志加が歌ってくれた歌声が、この場所には満ちている。あたしは娘との合唱を楽しんでいる。

 花麻呂は、キョトン、とした顔でこちらを見た。

 ああ、そうか、あたしの顔は覚えてないのか。

 あたしは、こういう者ですよ。

 悪戯心をおこし、すい、と左手で花麻呂に冷気を送る。

 冷気を胸にうけた花麻呂は、目を見開き、得心がいった、という風に恨めしそうな顔を作った。


「ははぁん……。あなたですね? オレに胸の冷たさや、腹痛をおこさせたのは……!」


 その通りだ。こちらとしては、すまない、と笑うしかない。

 ふわふわ魂として漂っている時は、意識もふわふわして、とにかく古志加を護らねば、と、花麻呂にはやりすぎてしまったようだ。

 まったき人でなく、魂だったのだから、生きている時の常識は欠如してしまっていたようだ。


 ────ごめんね。


 謝罪の言葉を口にしてみたけど、届いたかどうか。

 ここでは、生きてる人に伝えられる言葉は、一言だけ、と決まっているらしい。何故か分からないが、分かるのだ。

 それなら、謝罪の言葉をそれに使ってしまうのは、あまりにも惜しい。

 本当の母刀自であるあたしは、花麻呂に言う言葉は決めている。



 ───古志加を、ありがとう。



 古志加の母刀自として。

 それ以上は、名乗らない。

 なぜなら、花麻呂は、育ての両親と血がつながってないなんて、知りたがってないからだ。

 知っても、花麻呂に幸せを与えられない。 

 だから、あたしは名乗らないのだ。

 充分だ。

 あたしは花麻呂を見せてもらった。

 同母妹いもうとを命を賭けて救ってもらったのだから。


「いえいえ、どういたしまして。オレもやぐらの時は、命を助けられましたよ。」


 花麻呂は人好きのする笑顔で、爽やかに返してくれた。

 嬉しい、と思う。 

 花麻呂。優しい立派なおのこに育ってくれて、ありがとう。

 さようなら。








 あたしはまだ、どうしても挨拶をしておきたい人がいる。

 まだ時間切れでないのなら、どうか。

 強く念じると、想いが届いたようだ。


 日佐留売ひさるめだ。

 黒髪が艶を放ち、しっとりした大人のおみなの色香を纏う美女。

 パチパチまばたきはしてるが、たいして驚きもせず、空に浮かぶあたしを見ている。


 この人は、おみなとして何も自覚のなかった古志加に、女としてどう行動すれば良いか、教えてくれた。

 この人が、女官としての古志加にさじを投げていたら、古志加はもっと、おみなとしての自分を持て余していただろう。

 この人は古志加の髪をくしけずり、蘇比そび色の衣を着せてくれた。

 そして、自分の大事な金のかんざしを古志加に与えてくれた。

 一女官が持つにはふさわしくない、高価なかんざしを、惜しげもなく与えてくれた。


 あたしも、いつか古志加に女らしいかんざしを挿してあげたかった。

 この人は、あたしがしたかった事を、あたしがとうてい持つ事の叶わないまばゆかんざしで、叶えてくれた。


 ────ありがとう。


「いいんですよ。どういたしまして。」


 通じるものがあったようだ。日佐留売はニッコリ笑顔をむけてくれた。

 白いもやがいよいよ光の粒へと変わる。


 時間切れだ。本当は、古志加の良い友だちとなってくれた福益売ふくますめにも、挨拶がしたかったが、叶わないようだ。

 三虎?

 あの鈍くてグズグズしてるおのこに会ったら、蹴りを入れたくなってしまう。知らないもんね。フンス!


 空にあたしは引っ張られ、吸い込まれるのがわかった。

 最後まで、あたしは古志加との合唱を楽しみ続けた。

 地上に遠くなった日佐留売が、空を見上げ、暖かい目で最後まで見送ってくれたのがわかった。


 さようなら。





   *   *   *




 黄泉とは、暗い地下にあるのだと思っていた。

 高い空の上に死んだら魂が昇るとは驚きだ。

 もう、空に来てしまった。


 さっきまで明瞭だと思えた意識が、ふわふわと光に溶けていく。

 向こうで、二人の人、いや、魂? まあるい光のかたまり? が、あたしを待っていてくれるのが分かった。


 ───ああ!


 誰だか分かった。


 ───母刀自! 親父!


 あたしは駆け寄った。


 ───ずっと会いたかった! ずっと会いたかったよぉ!


 二人の懐に飛び込んだ。


 ───あたし嫌で、怖くて、辛くて、悲しかった。寂しかった。ずっと帰りたかった。帰りたかった! 酷い目にあったんだよ!


 二人にすがりついて大泣きをした。

 二人はあたしを包み込んでくれた。


 ───可愛いあたしの娘。ずっと会いたかったよ。ずっと待っていたよ。


 母刀自がそう言ってくれた。


 ───オレたちも、ずっと、寂しかった。たくさん泣いた。でも、もう、怖くないよ。寂しくもない。


 親父がそう言ってくれた。


 ───本当に?


 あたしは泣きじゃくりながら、そう言った。


 ───そうさ。ここでは、辛い事は忘れる。いずれ、全て忘れて、魂はくるくると回るそうさ。

 試しに、何が怖かったか、言ってこらん?


 あたしは首をかしげ、怖かったことを言おうとした。

 あれ?


 ───分からない。たしかに、あたし怖い目に。


 呆然とつぶやく。

 たしか怖いおのこが。

 つまが。

 ……きっと死んでいるのだ、つまは。

 あたしが魂となって、いろいろ分かるようになって、その事も分かってしまった。

 だけど、不思議なほど、つまの気配は綺麗さっぱりどこにもなくて。

 この空の上にも、感じない。

 つまの───名前はなんだったか。

 思い出せない。


 あたしが黙っていると、母刀自が、


 ───ほら! 悩む顔はおやめ!

 あたし達は、一足先に来て、このかいなに抱いていたのだよ。見えるかい?


 母刀自に促され、その腕を見ると、緑兒みどりこ(赤ちゃん)がいた。


 ────!


 まだ産まれて、一月もたっていないであろう、小さな緑兒みどりこ(赤ちゃん)。

 分かる。古志加の妹だ。つまに取り上げられて、どこかの家へ売られてしまった、あたしの緑兒みどりこ


 ───さあ、抱いておやり。


 母刀自が言う。親父が頷く。


 ───ああ、天鶴売あまたづめ


 あたしはずっと忘れていた、その子の名を呼んで、愛おしい我が子を腕に抱いた。

 

 仲睦まじいたづつがいのように、大人となったら、素敵な恋をし、優しい愛子夫いとこせを得られますように。

 そう願い、あたしが名付けたのだったわ。


 嬉しい。光がほどけ、暖かく明滅し、雲の上、ああ、ここは極楽なのか、と思い至った。






   *   *   *



 きんくま様より、ファンアートを頂戴しました。

 きんくま様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077833925571




「あらたまの恋 ぬばたまの夢」

 第十四章  夢にそ見ゆる

 「子守唄を重ねて」

https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330651868171495

 の、母刀自からの視点です。


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