第八話 橙火の光を清み
※
※奈良時代、灯火のことを、
* * *
屋敷の居間、二十人は楽にすごせる大きな部屋に、今は大勢の
すぐに
五十歳をすぎ、体全体肉づきが良いので、縄がきつく肉に食い込み、足をもつらせ、衛士団の前にどさりと膝をついた。
衛士団の先頭に立つ
「誰だ?」
「オレは
ばさりと二つの巻き物を郷長の前に放り投げる。
「
「そんな、何かの間違いです。
郷長は声高く叫ぶが、
「その
郷長がギョッとした顔をして、うなだれた。
「あとお前、
───地獄へ行け。」
三虎が冷たく言い放つ。
そこで、衛士たちの後ろから、小柄な人影が人を割って飛び出してきた。
走りでた勢いのまま、縄をかけられている郷長を右こぶしで思いきり、殴った。
「ぐぅっ。」
郷長は木の床に倒れた。
「やめろ
三虎がなおも殴ろうとする古志加を、背中から抱きかかえて制止する。
「おまえ、おまえ───よくも。」
古志加は涙をふりこぼし叫ぶ。
「だ……誰だ?」
郷長は困惑したように、床から顔をあげて問う。
「
おまえが───
「知らん、知らん……。」
「
郷長は無言だったが、目を見開いて古志加の顔を見た。
そんな顔をしては、心当たりがあると白状してるようなものだ!
「うあ、あ……!
殺してやる────ッ!」
古志加が絶叫し、いっそうもがきはじめた。
三虎はさらにきつく古志加をいましめ、
「やめろ! おい、もう連れてけ。」
と近くの衛士に言った。
* * *
三虎は、暴れる古志加を、後ろからしっかり抱き抱えた。
「古志加。これで奴もおしまいだ。お前もお
古志加は、怒りの気配をふりまきながら、はあ、はあ、と荒い息をつき、
軽く身じろぎするので、腕の力を
(奴の破滅を見届けたな、古志加。
この先の人生、復讐に囚われて生きるな。復讐だけを考える道は、暗く、血の味しかしない。そんな道を歩くな。もうこれで、終わりにするんだ。できるだろ? わかったな?)
三虎はそれを言葉にせず、古志加をしっかり見つめ、コクリ、と一つ
それで充分だろう、と思うのが三虎だ。
「三虎……。」
古志加はそれだけ言って、三虎の胸に、ばっ、と飛び込んできた。
* * *
三虎に礼を言わねば。
そう古志加は思うのだが、何故か、三虎の腕の中で、三虎の顔を見上げ、
「三虎……。」
と、名前を呼ぶ事しかできない。
どうしても、ありがとう、の簡単な言葉が出てこない。
どうして。
どうして。
何故。
あの
あの男だったのだ、
残虐に、
憎い。
憎い。
でも三虎。
あたしは復讐の為に、荒弓に剣を教えて、ってお願いしたわけじゃないんだよ。
そう思ったからなんだよ。
信じて。
復讐は………。
「うわああああああ───!!」
獣のような泣き声が喉からほとばしり、涙が
三虎が抱きしめてくれる。
復讐は。
卯団の衛士舎に放り込まれた始めの日、母刀自の話をして、皆、可哀想って口々に慰めてくれたけど、
「じゃあ殺しに行こう。」
とは、誰一人言ってくれなかった。
だから、あたしは、ただの
母刀自をあんな目にあわせたヤツが、今ものうのうと、暮してる。
そう思うと、手が震えることがあった。
卯団の稽古場の草むしりをしている時も。
石畳の道を
皆の衣の洗濯をしている時も。
衛士舎の寝ワラを取り替えている時も。
あたしは、母刀自を思い出し、顔もわからない憎い仇を思い出し、ふっと、手が震える事があった。
忘れた事なんてない。
だからと言って、あたしが卯団の下働きを今すぐほっぽりだし、剣を
あたしに帰る場所はない。
卯団の下働きを、このお腹いっぱい食べられる幸せを、寝る場所に困らない幸せを、気の良い大人達に見守ってもらえる幸せを、あたしは簡単に失ってしまう。
ただでさえ、いつまでも居れる保証は無いのだ。
ただ、三虎に拾ってきてもらった。
それだけのあたしは、いつ、誰か
そう思って、復讐なんて考えないように、考えないようにしてきた。
手が震えても。
三虎。
三虎が今日、憎い仇を探し出し、無惨に縄に縛られ、うなだれた姿を見せてくれた。
復讐が叶うなんて、思ってもみなかった。
復讐が叶って。
どうしてあたしは、ありがとう、が言えないの。
どうして。
何故。
復讐は叶ったのに、母刀自は帰ってこないの?
三虎に言うなんて筋違いだ。
でも、今、目の前で復讐が叶って、思うことは一つだ。
どうして、母刀自はあたしの元に帰ってこないの?
悪いヤツを懲らしめてやったよ。
母刀自、帰ってきて。
どうして、優しい笑顔で、あたしのすぐ側に立って、名前を呼んで、抱きしめてくれないの?
何故、元通りにならないの?
大声で三虎に疑問をぶつけたい。
「わああ……………!!」
筋違いだ。言っちゃいけない。
言葉を喉で
衛士たちが忙しく働くなか、ずっと、あたしは三虎の胸で泣き続けた。
泣いて泣いて、どれくらい時間が経ったかわからない。
……拾ってくれたのが三虎じゃなければ、絶対に、
三虎だからだ。
拾ってくれたのが、三虎だからだ。
なんて
泣き声が静かにおさまり、長いあいだ顔を押し付けていた三虎の胸からやっと顔を離すと、さっと三虎が懐から清潔な手布をだし、ごしごし顔を拭ってくれた。
「う……、う……。」
あっ、鼻水でてた。
でも、ずびっと鼻をすするのは、三虎の前では恥ずかしい。
と瞬間的に思っていると、鼻の下もぐいぐい拭ってくれた。
「うぅ……。」
この遠慮のない力加減が嬉しい。そうだ。涙を三虎に拭ってもらったのは初めてじゃない。
「三虎、ありがとう。」
三虎に綺麗にしてもらった顔で、小さな声で、やっとお礼が言えた。
三虎が、無表情な、でも思い
眼差しが交差する。
眼差しに射られたように頭の後ろがジンと痺れ、こんな時だというのに、
(あたしのくるみの人……。)
三虎はすぐに口元が笑い、頭をぐりぐり撫でてくれた。手の平が気持ち良い。
「良し、行くぞ。」
そう言って、さっきより気軽な目線で、あたしの顔を確認した。
「はい!」
あたしは、大きな声で、返事ができた。
明日からは、母刀自を思い出しても、手が震えることはない。
(母刀自。これで良いんだよね。)
三虎はくるりと背を向け、歩きだした。キラリと
日が暮れ、暗くて
その背中を追い、あたしも歩き出す。
あたしを導く明かり。
───
三虎が仇をとってくれた。
もうお終いにしろ、って言ってくれたから。
あたしも力強く、この闇を歩き出せる。
三虎、ありがとう。
帰路はまた三虎の馬に
「おう古志加!」
とあたしの頭をぱあんと叩いて、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「良かったな!」
それから卯団の皆に
一月の夜は芯から凍える寒さなのに、あたしは暖かくて、心も温かくて、
「わああああん!」
皆のぽかぽかする暖かさの中で大泣きをした。
そして、心で母刀自に呼びかけた。
(母刀自。あたし、ここに来れて良かったよ。
三虎に、拾ってもらって、良かった。
本当に、良かったよ。)
きっと母刀自に、あたしのこの思いは届いてる。
そう思えた夜だった。
……
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