第八話  橙火の光を清み

 ※橙火ともしびの光をきよみ……灯火の光が清らかで美しい。


 ※奈良時代、灯火のことを、燭火ともしびとも、橙火ともしびとも記した。




     *   *   *





 屋敷の居間、二十人は楽にすごせる大きな部屋に、今は大勢の衛士えじがひしめきあっている。

 すぐに郷長さとおさは縄をかけられ、衛士団えじだんの前に引きずりだされた。

 五十歳をすぎ、体全体肉づきが良いので、縄がきつく肉に食い込み、足をもつらせ、衛士団の前にどさりと膝をついた。

 衛士団の先頭に立つおのこを見上げる。


「誰だ?」

「オレは上毛野衛士かみつけののえじ卯団長少尉うのだんちょうのしょうい石上部君三虎いそのかみべのきみのみとら

 小田馬養おだのうまかい。税を着服したな?」


 ばさりと二つの巻き物を郷長の前に放り投げる。


調布ちょうのぬのの数があわん。」

「そんな、何かの間違いです。

 上野国務司かみつけののくにのまつりごとのつかさ山辺やまべさま、山辺さまを呼んで下さい。あの方に聞けば……。」


 郷長は声高く叫ぶが、


「そのおのこならもう捕まえてある。あとは裁きを待つだけだ。」


 郷長がギョッとした顔をして、うなだれた。


「あとお前、さとおみなを何人もさらったろう?

 ───地獄へ行け。」


 三虎が冷たく言い放つ。

 そこで、衛士たちの後ろから、小柄な人影が人を割って飛び出してきた。

 走りでた勢いのまま、縄をかけられている郷長を右こぶしで思いきり、殴った。


「ぐぅっ。」


 郷長は木の床に倒れた。


「やめろ古志加こじか!」


 三虎がなおも殴ろうとする古志加を、背中から抱きかかえて制止する。


「おまえ、おまえ───よくも。」


 古志加は涙をふりこぼし叫ぶ。


「だ……誰だ?」


 郷長は困惑したように、床から顔をあげて問う。


吉弥侯部きみこべの古志加こじか

 おまえが───さらって、首を締めて殺したおみなの娘だ!」

「知らん、知らん……。」

丙午ひのえうまの年(2年前)の十月、攫ったおみなに舌足らずがいたろう?」


 郷長は無言だったが、目を見開いて古志加の顔を見た。

 そんな顔をしては、心当たりがあると白状してるようなものだ!


「うあ、あ……!

 殺してやる────ッ!」


 古志加が絶叫し、いっそうもがきはじめた。

 三虎はさらにきつく古志加をいましめ、


「やめろ! おい、もう連れてけ。」


 と近くの衛士に言った。




     *   *   *




 三虎は、暴れる古志加を、後ろからしっかり抱き抱えた。

 小田馬養おだのうまかいの姿が見えなくなって、やっと古志加の力が抜けた。


「古志加。これで奴もおしまいだ。お前もおしまいにしろ。調べるのに時間がかかってすまなかったな。」

 

 古志加は、怒りの気配をふりまきながら、はあ、はあ、と荒い息をつき、小田馬養おだのうまかいが座っていた木床を凝視していたが、きゅっと唇を引き結び、目をきつくつむった。

 軽く身じろぎするので、腕の力をゆるめると、三虎の腕の中でくるりと身を反転させ、三虎のほうを向き、涙で揺れる瞳で三虎を見上げた。


(奴の破滅を見届けたな、古志加。

この先の人生、復讐に囚われて生きるな。復讐だけを考える道は、暗く、血の味しかしない。そんな道を歩くな。もうこれで、終わりにするんだ。できるだろ? わかったな?)


 三虎はそれを言葉にせず、古志加をしっかり見つめ、コクリ、と一つうなずく。

 それで充分だろう、と思うのが三虎だ。


「三虎……。」


 古志加はそれだけ言って、三虎の胸に、ばっ、と飛び込んできた。



     *   *   *



 三虎に礼を言わねば。


 そう古志加は思うのだが、何故か、三虎の腕の中で、三虎の顔を見上げ、


「三虎……。」


 と、名前を呼ぶ事しかできない。

 どうしても、ありがとう、の簡単な言葉が出てこない。

 どうして。

 どうして。

 何故。

 あのおのこ

 あの男だったのだ、母刀自ははとじを、あたしのたった一人の母刀自を奪ったおのこは。

 残虐に、常敷とこしへ(永遠)に、あたしから奪ったおのこは。

 憎い。

 憎い。


 でも三虎。

 あたしは復讐の為に、荒弓に剣を教えて、ってお願いしたわけじゃないんだよ。

 卯団うのだんの下働きに余裕が出てきたから、皆みたいに汗を輝かせながら、剣の稽古がしたい、ここでの暮らしの楽しみが増える。

 そう思ったからなんだよ。

 信じて。


 復讐は………。

 

「うわああああああ───!!」


 獣のような泣き声が喉からほとばしり、涙があふれ、三虎にしがみついて泣く。

 三虎が抱きしめてくれる。


 復讐は。

 卯団の衛士舎に放り込まれた始めの日、母刀自の話をして、皆、可哀想って口々に慰めてくれたけど、


「じゃあ殺しに行こう。」


 とは、誰一人言ってくれなかった。

 だから、あたしは、ただの郷人さとびとに過ぎないから、郷長さとおさは、殺しに出かけて行って良い存在じゃないんだ、って納得しようとした。


 母刀自をあんな目にあわせたヤツが、今ものうのうと、暮してる。


 そう思うと、手が震えることがあった。


 卯団の稽古場の草むしりをしている時も。

 石畳の道をほうきではいている時も。

 皆の衣の洗濯をしている時も。

 衛士舎の寝ワラを取り替えている時も。


 あたしは、母刀自を思い出し、顔もわからない憎い仇を思い出し、ふっと、手が震える事があった。

 忘れた事なんてない。


 だからと言って、あたしが卯団の下働きを今すぐほっぽりだし、剣をふところに隠し、ずっと歩いて板鼻郷いたはなのさとの郷長の屋敷まで行き、憎い仇を探しだし、剣を突き立てたら。


 あたしに帰る場所はない。


 卯団の下働きを、このお腹いっぱい食べられる幸せを、寝る場所に困らない幸せを、気の良い大人達に見守ってもらえる幸せを、あたしは簡単に失ってしまう。

 ただでさえ、いつまでも居れる保証は無いのだ。

 ただ、三虎に拾ってきてもらった。

 それだけのあたしは、いつ、誰かえらい人の気が変わって、捨てられてしまうか、わからないのだ。


 そう思って、復讐なんて考えないように、考えないようにしてきた。

 手が震えても。


 三虎。

 三虎が今日、憎い仇を探し出し、無惨に縄に縛られ、うなだれた姿を見せてくれた。

 復讐が叶うなんて、思ってもみなかった。

 復讐が叶って。


 どうしてあたしは、ありがとう、が言えないの。

 どうして。

 何故。


 復讐は叶ったのに、母刀自は帰ってこないの?


 三虎に言うなんて筋違いだ。

 でも、今、目の前で復讐が叶って、思うことは一つだ。

 どうして、母刀自はあたしの元に帰ってこないの?

 悪いヤツを懲らしめてやったよ。

 母刀自、帰ってきて。

 どうして、優しい笑顔で、あたしのすぐ側に立って、名前を呼んで、抱きしめてくれないの?

 何故、元通りにならないの?

 大声で三虎に疑問をぶつけたい。


「わああ……………!!」


 筋違いだ。言っちゃいけない。

 言葉を喉でき止め、だから、ありがとうも言えない。声は大きな泣き声となり、いつまでもやまない。




 小田馬養おだのうまかいの家族は全員縄をかけられ、屋敷の居間から引っ立てられた。その後、衛士が総出で金目の家財を屋敷から持ち出す。

 衛士たちが忙しく働くなか、ずっと、あたしは三虎の胸で泣き続けた。

 泣いて泣いて、どれくらい時間が経ったかわからない。


 ……拾ってくれたのが三虎じゃなければ、絶対に、小田馬養おだのうまかいを破滅させるところまで追い込むことはできなかったろう、と思った。

 三虎だからだ。

 拾ってくれたのが、三虎だからだ。

 なんて得難えがたい人に、あたしは拾ってもらったんだろう、と思った。

 泣き声が静かにおさまり、長いあいだ顔を押し付けていた三虎の胸からやっと顔を離すと、さっと三虎が懐から清潔な手布をだし、ごしごし顔を拭ってくれた。


「う……、う……。」


 あっ、鼻水でてた。

 でも、ずびっと鼻をすするのは、三虎の前では恥ずかしい。

 と瞬間的に思っていると、鼻の下もぐいぐい拭ってくれた。


「うぅ……。」


 この遠慮のない力加減が嬉しい。そうだ。涙を三虎に拭ってもらったのは初めてじゃない。

 得難えがたい人。


「三虎、ありがとう。」


 三虎に綺麗にしてもらった顔で、小さな声で、やっとお礼が言えた。

 三虎が、無表情な、でも思いりの満ちた、澄んだ眼差しで、あたしの目をまっすぐ見た。

 眼差しが交差する。

 眼差しに射られたように頭の後ろがジンと痺れ、こんな時だというのに、心臓しんのぞうが早鐘を打ち始める。


(あたしのくるみの人……。)


 三虎はすぐに口元が笑い、頭をぐりぐり撫でてくれた。手の平が気持ち良い。


「良し、行くぞ。」


 そう言って、さっきより気軽な目線で、あたしの顔を確認した。

 

「はい!」


 あたしは、大きな声で、返事ができた。


 明日からは、母刀自を思い出しても、手が震えることはない。


(母刀自。これで良いんだよね。)


 三虎はくるりと背を向け、歩きだした。キラリともとどりに挿した黒錦石くろにしきいしかんざしきらめく。

 日が暮れ、暗くてほこりくさい部屋の中、戸口に向かう三虎の背中は、外で待つ衛士の掲げる無数の燭火ともしび(松明)に照らされ、輪郭が揺らめく橙色として浮かび上がる。

 その背中を追い、あたしも歩き出す。


 あたしを導く明かり。

 ───橙火ともしびの光を清み。


 三虎が仇をとってくれた。

 もうお終いにしろ、って言ってくれたから。

 あたしも力強く、この闇を歩き出せる。


 三虎、ありがとう。


 帰路はまた三虎の馬にまたがったが、夜駆よがけに集中する三虎と会話はほとんど無かった。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷に戻り、三虎の馬から降りたら、さっと薩人さつひとが笑顔で近寄ってきて、


「おう古志加!」


 とあたしの頭をぱあんと叩いて、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 荒弓あらゆみには、ワシャワシャと両手で頭を左右から挟まれ撫でられた。


「良かったな!」


 それから卯団の皆にわるわる小突こずかれ、抱擁してもらった。

 一月の夜は芯から凍える寒さなのに、あたしは暖かくて、心も温かくて、


「わああああん!」


 皆のぽかぽかする暖かさの中で大泣きをした。

 そして、心で母刀自に呼びかけた。


(母刀自。あたし、ここに来れて良かったよ。

 三虎に、拾ってもらって、良かった。

 本当に、良かったよ。)


 きっと母刀自に、あたしのこの思いは届いてる。

 そう思えた夜だった。






 ……小田馬養おだのうまかいとその家族は、一人が抵抗し斬り殺されたが、それ以外は裁きの末、全員下人げにんに落とされたという。



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