7にまつわる恋の話

橋本ちかげ

どこにもないたった一週間の恋愛

「1週間ね」


 と、君は言った。朝と夜がたったの7回だ。桜が満開になると、僕は思い出してしまう。たった1週間で僕が、君を好きになると言ったこと。


 結論から言えば、それは真実だった。


「恋愛してる時間は、本当は人生には必要のない時間」

 最初の日の夜、君は言った。


 本当はそうなのかも知れない。その夜、僕たちは朝になるまで楽しく話し続けていたけど、何を話していたかなんて、今になったら、カケラも思い出しはしないんだ。


「花火みたいだ」

 って君はつぶやいた。2日目が終わる頃だった。次の日も僕たちは一緒にいて、あてどもなく夜をさまよっていた。そうだね花火みたいだと僕も思った。


 どんなに綺麗でも、打ち上がってしまったら夜空には、少しも痕跡は残らなくて。後には不揃いな感激の記憶と、ピントのずれた思い入れが残っている。

 十年経っても僕たちは、あの日花火を観たことを、その夜と同じままの気持ちで語り合っているだろうか。


「それは愛だから無理だよ。恋とは全然違う」

 3日目の昼下がり、君は言った。僕たちは美術館で16世紀の静物ヴァニタス画を眺めていた。

「愛と恋だと違うんだ」


 同じ芸術でも、絵画と音楽が違うように。


 心の形ある思い出に、安らぐのが愛。

 心の形を変えられて不安なのに、いつか消え去ってしまうのが恋。

 絵画には終わりはない。

 音楽は最後まで聴いたら終わってしまう。


 同じようで決定的に違うもの。

 どちらも心に残るのに、儚いもの。


 もしこのまま1週間過ぎたら、僕たちはどうなるの?と聞いたけど、君は何も答えなかった。


「不安になるからもっと、好きになれるんじゃない?」

 と、僕は言った。4日目の朝、君は珍しく無口だったから。


 音楽が終わるように、いつか恋する時間は終わってしまう。だからこそ、恋を始めたら、もっと、もっと、って好きになろうとするんだ。


「でもいつかは、終わってしまうんでしょう?」

 と、君は不安そうに訴えた。

「どちらかが夢から覚めたらもう、終わってしまいそうな気がする」


 5日目は、僕たちを激しく引き寄せた。金曜の晩、僕たちは何も語り合わなかった。何もかも、分かり尽くしたと思った。不安を吐き出し尽くして、苦しみを分かち合って、好きで打ち消し続けたら、僕たちはずっとこのままでいられるんじゃないかと思った。


 実際その日は、最高の気分でいられた。僕たちはただ、身を寄せあっていた。例え今、終わりがやって来ても、このまま終わるなら、何も後悔はしない。優しい音楽が安らかに、僕たちの中を流れ続けていた。


「あと1日だね」

 と、君は悪夢から覚めたように言った。

 僕は悪夢に引き込まれたようだった。音楽が途絶えてきた。始めの頃のように僕たちは二人きりで街を一日歩いた。冷たい雨が一日中降っていた。


 僕たちの話は止めどなかった。

 夜中までお互いに話し続けたが、何かが決定的に違った。結局は僕たちは話が途切れないように、声を出し続けていただけだったことが分かった。


 やがて沈黙がやってきて、僕たちはいたたまれなくなって眠った。あと、1日だった。雨と風で桜が散り始めていた。


「わたしを好きになったでしょう?」

 僕はうなずいた。

 たったの1週間だった。確かに僕は、君を好きになった。

 最後は夜更けに、桜並木の道を君と歩いて別れることにした。音楽は終わりかけていた。朝から二人で過ごしているのは変わらないのに、僕はもう、今日で別れることを知っていた。

「もう終わりなの?」

 と、僕は聞いた。とっくにどこかでは、諦めているくせに。

「花火みたいだって言ったでしょう?」

 僕はうなずいた。もう、跡形もない。だけど、僕の心は、元の姿が分からなくなるくらい、形を変えられていた。


「好きになったことだけは、絶対忘れられないよ」

 と、僕は言った。


 それは消えたりなんかしない。


 形あるものは何も残らないには違いない。でも、好きになった君と過ごした一週間は心のどこかで形を残している。それは誰に触れられなくても、存在しないと言われても、紛れもなく、僕のものだ。もう、それだけでいい。


「どこにもいないみたいだ」


 と僕は言った。


「どこにもいないのかもね」


 と君も言った。


 思い出は残っても、今の僕と君はこの夜で消える。

 今度会う時は、別の僕と君になる。

 もうこれで、今の僕たちはどこにもいなくなるんだ。


 次の春に新しい桜の花が咲いたとしても、今晩散った桜とはもう、違うものなるように。


「さようなら」


 僕たちは言った。


 よそよそしい優しさが、冷たくて心地よいくらいだと、もうお互いが気づいているかのように。



「一週間だったね」

 と、心の中で君が言う。


 桜が咲く頃はいつもそうだ。朝と夜がたったの7回。人生で必要のない時間だったかも知れないけど、それが欠けがえない。


 たった一週間で、僕は君が好きになったんだ。


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7にまつわる恋の話 橋本ちかげ @Chikage-Hashimoto

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