勝手に生きて、勝手に死ね。


 あなたはどんな高校にどうやって入った?
 進路はもう決まっている? 一体どんなものを選ぼうとしている?
 だったらこの作品を見てみると良いかもしれない。
 残酷だがタメになる、最後通牒が記載されているから。

 この作品で何が書かれているか。
 受験・偏差値・学校のブランドが偏重されてきた経緯が前提にあって、本来あるべき教育の形からずれてきた。
 そのずれた学校教育の果てに何が待っているのか、ということを示している。
 色々と味が濃くて読むのに痛みを覚えるが、良薬は口に苦いものだ。



 以下は、これを読んで思った個人的な意見である。

 日本という国は……人生を「一人きりの気休め」として割り切れる人なら、良い場所だと思う。治安は基本的に良いし。
 置かれた場所で咲け、この言葉に何のつっかかりも感じなければ素質があると思う。
 だがそこに「普通の生活」という名の、今となっては高めの願望が絡んでくると一気に難度が上がるのも事実だけれども。

 学校教育に関する価値の目減りに関しては、
 誰もが収まるように網を無理やり押し広げたら隙間が大きくなってしまい、スポスポ抜けるようになってしまった(網の機能としては本末転倒)というイメージである。
 最高学府である大学ですら、保険証や免許証と同じ、最低限のパスポート(有料)程度の状態。
 改善の目途が立つのが相当先だろうことは、当作品を読んでいれば察せられる。

 この現状は、勝手に生きて、勝手に死ねと……暗に投げかけているのではないか、と思っている。
 だから、自分で何とかするしかない。他の人にも聞いてもいいが、その人も正解を知らない可能性は念頭に置いた方がいい。

 あと、学生時代の自分には「1日5分でいいから、将来計画なりテストの反省なり、自分の力で作戦を立てるクセをつけとけ」と声を大にして言いたい。



 この作品は、様々な方面から進路(キャリア)のケースを考えている。
 偏差値ごと、公立私立は勿論のこと、工業、商業、農業、短大、専門、音大、歯科大、通信制 など……
 恥ずかしながら私はこの作品を読むまで、こんなに「学校」の種類があることを知らなかった。
 自分の見ている景色だけが、世界のすべてではないし、その進路の一つ一つの違いによっても、全然違う景色が見えてくるのだろう。

 読み終えた後、そんなことに思いを馳せていた。