最終話: 無職の老人と……



 ──答えはもう、考える必要などなかった。



「断るよ」



 たった一言……それを告げた瞬間、少女は……何とも曖昧な表情で首を傾げた。



「どうして?」

「すまんが、俺はもう歳を取り過ぎた。それに、俺は自分なりにやりおえた後だ……再挑戦をする気はないよ」

「挑戦するのに歳なんて関係あるの?」

「あるさ、少なくとも……俺は、ここでいいんだ」



 ぽん、と。


 袴田は床を叩いた。


 大して力を込めているわけではないから、その音は耳を済ませないと分からないくらいに小さく……けれども、確かな意思が込められていた。



「大なり小なり、俺がこの位置に居られたのは……色んな人たちのおかげでもある」

「……と、言いますと?」

「俺の意思に関係なく、俺は色々な恩恵を受けて生きてきたってわけだ。それらを一切合財無視してサヨナラってのは……俺なりに筋が通らねえってだけの話だ」

「筋がどうとかって、関係あるの?」



 尋ねられて、袴田は……首を傾げながらしばし沈黙した後で、正直に首を縦に振った。



「そうだな、言われてみたら関係ないな。筋がどうとか、変に格好つけただけだった」

「それじゃあ、どうして?」

「単純に、俺のプライドってやつだろう」

「プライド?」



 今度は反対に少女が首を傾げ……それを見て、袴田は自嘲が滲む苦笑を浮かべた。



「本当に今さらな話だが、俺は元警察官……どんな理由であれ、犯罪者との協力関係にはなるつもりはねえ」

「あら、私ってば犯罪者?」

「少なくとも、世間一般ではそうなっている」

「それじゃあ、貴方にとっては?」

「俺の意思なんて関係ねえよ。警察だって、世間一般の常識に基づいて動くわけだからな」



 その言葉と共に……袴田は、改めて少女を見やる。



「だから、俺は元警察官としてこれ以上アンタの領域に踏み込むつもりはないし、協力するつもりもない」

「それは、警察官として?」



 ──そうだ、静かに袴田は頷く。



「では、貴方の考えは?」

「それは──」

「私は、貴方の言葉を聞きたい。悪くはない……そう、心の何処かで思っているのに、どうしてと聞いているだけよ」



 そう言い終えると共に、まっすぐに見つめ返された袴田は……再び、しばしの沈黙の後……ポツリと、呟いた。



「ただの、意地だ」

「意地?」

「そうだ、最初からここまで流されて……最後までお前の思惑通りに事が運ぶってのが嫌だから……たぶん、それが俺の本音なんだろうよ」

「……意外と、子供っぽいわね」



 その言葉には、感心と呆れが入り混じっているのが袴田には嫌と言うほど理解出来た。


 まあ、実際、袴田もその点については自覚していたので、否定のしようがなかった。


 結局のところ、警官としての意地だの何だのと言ったところで、最終的な判断基準は……気に食わないから、である。



 もちろん、脊髄反射的にNoを返しているわけではない。



 当人が選んだ事とはいえ、部下を失った。それは、袴田にとっては苦々しい事実して胸に刻まれている。


 他にも、古巣である同僚や後輩たちへの負担を増やし、対応に追われるキャリア組……とりあえず、事実だけを並べれば袴田が首を縦に振るような要素は何一つない。


 眼前の、いや、『I・A事件』に関わるようになってから、良いことなんて全くなかったというのが、袴田の正直な感想で。


 つまりは、総合的に考えて……『何もかもてめえの思惑通りに事が運んで堪るか!』という、ある種の意趣返しであった。



「……そもそも、おまえはどうなんだ?」



 だからこそ、これ以上からかわれるのを嫌った袴田は、以前よりモヤモヤと胸中に渦巻いていた疑問を投げかけた。



「おまえなりの信念があって動いているのは分かった。だが、それをして何が変わるっていうんだ……何がそこまでおまえを突き動かすんだ?」



 ……。



 ……。



 …………少女は、すぐには答えなかった。



 ただ、答える気はあるようで、あごに手を当てて、「う~ん……そうだね……」しばし、ウンウンと唸った後……静かに、顔を上げた。



「有り体に言えば、ガッカリしてしまったってところかな」

「ガッカリって、何に?」

「それはもちろん、『人間』という生き物に」



 そう、満面の笑みで言い切った少女に、袴田は軽く目を瞬かせた。



「ご存じの通り、私には前世の記憶がある。この世界と、よく似ている世界……でもね、違う部分もちゃんとある」

「……たとえば?」

「有名どころといえば、歴史書に残っている武将の名前が違っていたり、地名の名前が違っていたり、大統領の名前が違っていたり、こっちでは存在しない動物がいたり……思い返してみると、色々あるわね」

「それ、だいぶ違うんじゃないのか?」

「名前や性別や見た目が違うだけで、やっていることや結果はだいたい同じなの。実際、名称が違うだけで見た目も性能もほぼ同じのゲーム機とかもあったし、前世では有った大企業が無くて、こっちでは有名な大企業が前世の世界ではなかったり……」

「あ~、そりゃあ……」

「でもね、そういう違いがちらほらある中で……一つだけ、前世の世界と全く変わらない部分があった」



 そう告げた瞬間──気づけば、袴田の視界には、少女の瞳が有った。



「それは、人の醜さ……本性とも本能とも言える、生きる為に備わった本質」

「本質だと?」

「そう、世界が変わろうと、そこは変わらない。人間という生き物は、どこまで行っても……何も変わっていなかった」



 互いの鼻先が、今にも触れ合う──そんな距離にて視線を交わす──しかし、お互いに驚きも気まずさもない。


 有るのは、互いに向けられ行う質問と返答。


 友人関係でもないし、敵対関係でもない。


 かといって、顔馴染みという間柄でもない……それらを互いに行う、不思議な関係であった。



「貴方には分かるかしら? その時に私が抱いた絶望と……どこまでいっても人間は変わらない、変われない生き物なのだということを」


「…………」


「歴史が変わろうが何だろうが、人は変わらないし変われない。他の生き物と同じく、奪い、奪われ、争い、集まり、生き抜いてきた」


「…………」


「もしも、なんて起こらない。小賢しく着飾ったところで、自分より弱い者を食い殺して生き長らえる生き物……でもね、そんな私の失望も……アレを見てから一変した」



 スーッと……少女の身体が消える。


 直後、少女は再び元の位置に戻っていて、何事もなかったかのようにだらりと頬杖を突いていた。



「アレが、人を人足らしめるナニカであり、アレと繋がっている限り、人はどこまで行っても変われないのだと……心底気付かされた」



 ──別にね、それは悪いことじゃないんだ。



 そう、言葉を続ける少女を、袴田は見やる。


 見た目はローティーンにしか見えないのに、どうしてか袴田の目には……何かに疲れ果てた老人のようにも見えた。




「人は独りでは生きられない。いや、人だけじゃない。アレと繋がっている生き物はみな、そのように設計されているのでしょう」


「それは、何時の頃からそうなったのか……初めからそのように設計されているのか、誰がそうやって設計したのか、どうしてそのように設計したのか」


「理由は分からないけれども、憶測は一つ……それは、より強くなるため」


「オスはメスを獲得する為により強くなり、メスはより強いオスと番(つが)い、より強い個体を産み落とし、次世代にて再び同じことをする……自然のサイクル」


「そう、アレが人に逃れられぬ孤独感を与え続けるのは、このサイクルを行わせるため」


「アレの目的は、より強い個体を生み出す事」


「分からないのは、それを続けた先に何をしようとしているのか……それとも、アレすらもそのように設計された存在なのか……まあ、さすがにここまで来ると神の領域になるでしょうね」




 その言葉と共に、少女の身体が再びスーッと音も無く消え──そして、次の瞬間には、テレビ画面の向こうにヒョイッと姿を見せていた。



『けれども、それって──それなら、私たちは何の為に生きるのですか?』



 スピーカーより聞こえるその声には……確かな怒りが込められていた。




『ただひたすら、癒えぬ孤独感に突き動かされるがまま他者を求める……それすらも、定められたプログラムなのだとしたら?』


『子を成し、育てて、死ぬ……それら全ての行いが、アレからもたらされているのだとしたら?』


『私たちは、アレの思惑の為だけに生かされ続けていることになるのだとしたら?』


『私たちが愛だの憎しみだの何だの色々名付けているソレら全てが、アレがもたらしたモノなのだとしたら?』




 ──フッと、少女の顔は自嘲と憤怒に歪んだ。




『許さない──許されるべきではない』


『だから、私は作った。アレから逃れる場所を、アレの手が及ばない存在になって、その場所を守る存在に』


『けれども、私は強制しない』


『何時だって、決めるのは人の意思。アレにもたらされない、貴方だけの強い意志……それだけでいい』


『ソレが見られるのならば、その輝きを見せてくれさえすれば』


『そのために、私はこの力を持って生まれたのかもしれない。全ては、アレから逃れるため……この時の為なのかもしれない』




 その言葉と共に、少女は踵をひるがえし……背後の家へ、真っ暗な室内へと向かい……直前にて、足を止めて振り返ると。




『さようなら、袴田さん。気が変わったら、何時でも呼んでね……私は誰の心にも居る慈愛の天使なのだから』




 最後に、その言葉を残して暗闇の向こうへと消えた。


 直後、画面にノイズが走る……そうして後に残ったのは、少女が来る前に放送していた番組だが、それももう間もなく終わろうとしている。


 時計を見やれば、せいぜい20分と経っていない。


 そんな僅かな時間ではあったが……それでも、人生で1,2を争うぐらいには濃密な時間だったと、袴田は独り思うと。



「……静かだな」



 そう、溜め息を零した。


 と、同時に、ジワリと、これから続くだろう独りの日々が脳裏を過る。


 沸々と湧いてくる……何とも言い表し難い、スーッと胸中を通り過ぎて行くような寂しさから……目を逸らしながら。



「……趣味の一つでも、初めてみるか」



 そう、誰に言うでもなく……袴田は、そう呟くのであった。




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インターネット・エンジェル 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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