第10話: それは天使の誘い




 ──公的にも世間にも『I・A事件』として改めて認められた連続突然死事件は、未だ解決の糸口をまったく見付けられていなかった。



 それは、誇張でもなんでもない。言葉通り、警察は何一つ手がかりを見つけられないでいた。


 まあ、そうなるのも仕方がない


 警察の調査はあくまで、それまでの経験と科学に基づいた現実的な調査。


 すなわち、監視カメラや目撃情報を集め、現場検証を行い、犯人へと繋がる物理的な証拠を集め、捕まえるというものだ。



 それが、『I・A事件』に限っていえば、全く通用しないのだ。



 監視カメラは当然の事、目撃情報も全く無い。まあ、当たり前だ……だって、被害者は例外なく他者が居ない自室か、それに近しい場所で死んでいるのだから。


 同様に、物的証拠も一切上がらない。


 被害者が居る部屋は自室であれ別であれ、争った形跡は一切無し。毒物の類すら全く見つからず、せいぜいが、市販されている睡眠導入剤ぐらい。


 それですら、多くて1回二錠のところを三錠飲んでいるという程度の話だから、実際は何も見つかっていないに等しい状況でしかなくて。


 死者だけは変わらず出続けているというのに、只々時間だけが過ぎて行くばかりで。



『──そうですか、袴田さんでも、糸口を見付けられていませんでしたか』

「すまんね、頼ってくれたのは嬉しいけど、このヤマ(事件のこと)ばかりは俺にも分からないことだらけなんだ」

『いえ、こちらこそわざわざお手数をおかけして申し訳ありません』



 かつては部下として面倒を見ていた人たちから、定年退職した袴田の下へ連絡が来るようになるのも……仕方が無かった。



「しかし、わざわざ退職した俺なんかを頼ってくるってことは、上は相当に焦れているってわけか?」



 とはいえ、既に退職している袴田を頼ってくるのは非常に稀……というか、異例な話である。


 なにせ、今は警察手帳を返納した一般人でしかない。いくら内情を知っている元仲間とはいえ、括りとしては完全に部外者だ。


 愚痴であっても、部外者に漏らせば情報漏えい。バレてしまえば、電話口の元部下が処罰されるのは必然であった。



『そうなんですよ……もう、現場はピリピリして大変なんです』



 しかし……元部下は、構う事はないと言わんばかりに溜息を零した。


 それを聞いて、古巣であるがゆえに内情を幾らでも想像出来た袴田は、我知らず苦笑を零した。



 実際のところ、現在の警察の空気は袴田の想像通りであった。



 連日連夜に渡って繰り返される『I・A事件』報道を受けて、徐々に世間から向けられる眼差しが厳しくなってきている。


 警察に対する信頼が厚いのは、事件が起こっても犯人を捕まえてくれるという安心感があるからだ。


 言い換えれば、犯人を捕まえもせず、只々犠牲者ばかりが増えていく期間が長ければ長くなるほど、信頼が失われる。



 この信頼というのは、短期的な問題ではない。




 警察が行うあらゆる捜査に対して、市民などから有用な情報を貰えるのは、この信頼が根付いているからだ。


 では、この信頼が無くなればどうなるか。


 極端な話だが、警察に協力してくれる人が減るのだ。そのうえ、『警察官だから』という前提で敷かれていた担保も目減りする。


 つまりは、警察という組織に対する様々な恩恵もまた失われていくわけで……だからこそ、上は一刻も早くホシを捕まえたいと躍起になっている……わけなのだが。



『俺たちだって本音では捕まえたいですよ……でもねえ、そんなに簡単に捕まえられるなら、もうとっくに捕まっているはずだと思いませんか?』

「そりゃあそうだ、それなら今頃俺の役職だって別になっていただろうしな」

『上が焦れるのは分かりますけど、今時気合で事件が解決出来るなら、科学捜査なんて必要ないと思いませんか?』

「話を聞いた限り、俺も思うよ。時間の無駄とは思わんが、昔の俺たちみたいに足で情報を集めようってのは非効率だとは思う」

『え、そこまでですか? なんか意外ですね、袴田さんがそんな事を言うのは……』

「なんだ、変か?」



 からかい混じりに問い掛ければ、『いえいえ、そういうわけではないです!』少しばかり慌てているのが声だけでも分かった。



『ただ、その、こう言ってはなんですけど……正直、袴田さんは昔ながらのやり方を好んでやる人だと思っていましたので……ちょっと、意外でした』

「ああ、なるほど、そういうことか」



 元部下の言葉に、袴田は通じないと分かっていても苦笑した。



「別に、昔のやり方が好きってわけじゃねえよ。要は、そっちの方が色々と慣れているからってだけの話だ」

『と、言いますと?』

「今のやり方の方が早くて正確なら、今のやり方でやれってのが俺の持論だ」



 ──もちろん、退職した後だからこそ言える話だがな。


 そう言葉を続ければ、電話口の向こうより沈黙が続いた後……ふふっとナニカを我慢するかのような笑い声が聞こえた。



『今さらな話ですけど、袴田さん……外部協力者として、うちに戻りませんか?』

「は?」



 思いがけない申し出に、袴田は思わず目を瞬かせた。



『実は、そういう話が出ているんですよ。経緯は何であれ、直近で一番長く事件に関わっていたのは袴田さんだから、協力してもらえないか……って』



 続けて言われたその言葉に……袴田は、深々とため息を零した



「辞めた俺が言うのもなんだが、本当に上は切羽詰まっているんだな」



 元部下からの返答は、なかった。


 あまり突っ込まれたくない事であると察した袴田は、「あ~、そうだな……」しばし声に出して迷いを見せた後……拒否した。



「そう言ってもらえるのは嬉しいが、体力が持たん。気が抜けたのか、前と同じように動けって言われても動けんぞ」

『それはまあ、こっちが合わせますから』

「それに、俺が戻ったところで役に立たん。言っておくが、謙遜じゃないぞ。本当に、俺に出来ることなんて何もない」

『それは……』

「そもそも、俺が何かを出来ていたら、とっくの昔に捜査は進んでいただろ? そうなっていないってことは、そういうことなんだよ」

『…………』

「正直、俺が行っても足を引っ張るだけだ。相談には乗れるが、それ以上を期待しても無駄に終わるだけだ」



 そう、言い切れば。



『……分かりました。上にはそうお伝えします。すみません、突然変な事を言ったりして……』



 しばしの沈黙の後、元部下はそう言葉を残し……静かに、電話を切ったのであった。



 ……。



 ……。



 …………そうして、受話器を元に戻した袴田は、二度目となる溜息を零すと。



「話したところで、こんなのを公表して世間が納得する……わけないか」



 そう愚痴を零しながら、チラリと……テーブルに置いた一冊の本を見やった。


 それは、七つ目の別荘にあった本で、その場では読まずに自宅に持ち帰った……製作者の日記であった。


 いったいどうしてコレだけは持ち帰ったのか……それはひとえに、七つ目の別荘の中が異様な有様で、長居したくなかったからだ。



 いったい何があったのか……逆だ。あまりに何も無さ過ぎたのだ。



 これまで見て来た別荘は大なり小なり使用された形跡があったのだが、七つ目の別荘に限って言えば、それが無かった。


 靴やスリッパは無く、家具もほとんど無い。生活するうえで残る痕は何もなく、建てたは良いが放置されたままのガワだけのモデルルーム。


 しかし、一つだけ……あまりに無機質なその場所に、一つだけあった。



 それが、日記だ。



 ポツンと放置された空っぽの本棚へ、無造作に放置されたままだった一冊。それだけが、あの家にある異物であった。


 他の別荘も大概な薄気味悪さがあったが、この七つ目もまた薄気味悪い。いや、方向性が違う分、ある意味では一番気味の悪さを袴田は感じていた。


 だから、袴田はその本を見つけてすぐにリュックに入れると、その家を後にした。


 窃盗という言葉が脳裏を過ったが、それはもう今さらな話で……そうして、自宅へと戻った袴田は、その日記を開いた。



 それが……半月ほど前の事である。



 日記の内容は、正直……ただ思うがままに書き記したといった感じの、本当にプライベートなモノばかりであった。


 感情のままに書いているから、内容の時系列もバラバラだ。


 これまでの別荘での経験が無かったら、間違いなく『頭の弱った人が書いたネタ帳か?』と鼻で笑っているぐらいには、荒唐無稽な内容であった。



 ……だが、今の袴田なら……ふんわりとではあるが、記された中身の意味を想像する事が出来た。



 あくまでも、想像するだけだ。


 何故なら、袴田は製作者ではない。


 どれだけ窺い知ったところで、それは想像の域を出ない。あくまでも当人がそうだと納得しない限りは推測なのだ……っと。



「……今日の被害者、か」



 点けっぱなしにしてあるテレビからは、現時刻にて確認された『I・A事件』に関するニュースが流されていた。


 『I・A事件』自体は、おおよそ一日1人のペースで死人が出ている。


 なので、本来ならば歴史にも名が残る連続的な大事件ではあるが、今のところはニュースにこそ流れているが、そこまで大騒ぎにはなっていない。


 理由は……まあ、何と言っても事件に関与しているとされている『I・A』そのものの配信を終了し、製作者のHPも閉鎖されてしまったことから『I・A』を起動出来ないからだ。


 つまり、新たに『I・A』を手に入れる術も起動も出来ない以上、犯人こそ不明なままだが、後はもう収束に向かうだけ……というのが、世間の大まかな考えであるからだ。



 ……いや、訂正しよう。実際のところは、少し違うのではないか……そう、袴田は思っている。



 警察が発見(要は、被害者が使用していたモノ)出来た遺留品には、ちゃんと動いている『I・A』は一つも無かったと小耳には挟んでいる。


 だが、それでも、ネット等では今もなお似たような書き込みが多く行われており、袴田も、全てが真実ではないにせよ、一部は本当なのではないか……そう思っている。


 ……何故ならば、だ。



「『I・A』……これでおまえは満足なのか?」



 座椅子に腰を下ろし、冷めた茶を啜りながらポツリと呟けば──唐突に、テレビ画面の映像にノイズが走る。



『──満足かという質問ですか? ならば、非常に満足していると、私は答えます』



 時間にして、数秒のノイズが流れた後……ピタリと治まった画面に表示されたのは、『I・A』の姿であった。


 『I・A』は、前に見た時と変わらず……温和な微笑みを浮かべていた。スピーカーから聞こえる声も、前と同じだ。


 まるで、これまでの事など何も無かったかのような……以前ならばそうでもなかったが、今の袴田は……苦笑を抑えることが出来なかった。



 いったいどうして『I・A』が……答えは、一つ。



 もう、『I・A』はアプリを通じて警戒心を解いて、心の壁を取り除く必要はない。そんな事をしなくとも、『I・A』を知らぬ者はこの日本にはいないからだ。


 なにせ、『I・A』が動かなくとも、マスコミが連日連夜に渡って『I・A』を広めてくれる。


 今や、その知名度は日本のアングラ部分だけではない。


 海外ニュースもその異様な死に方に興味を持ち、チラホラと報道し始めている。それは、公的な機関だけでなく、個人的に流している者もいる。


 今はまだ日本と先進国のごく一部だとしても、時間の問題だ。


 早ければ10年後には、遅くとも50年後には……『I・A』の名を知らぬ者は、よほどの未開の地でなければいなくなるだろう。


 それが、『I・A』の狙いであり、『I・A』を作った製作者の狙いであり……製作者の望みを叶える足掛かりでもあるわけだ。


 何故なら、知って、認めて、広めてもらう必要があったから。


 生まれ出るその前に根付いている無意識の領域に自らを確立する為には、より多くの人達に自らを認知し、その無意識への足掛かりを増やす必要がある。


 その為に、『I・A』はひときわ美しく見えるように設計した。


 肉体の檻で守られているならば、その肉体を利用する。すなわち、より美しく、より健康的で、より魅力的な女が適任である。


 男よりも、女の方が注視されやすいのは統計的に分かっている……そのうえ、無垢でなければならない。


 老いる事もなければ穢れることもない、たった一人の……貴方だけの天使であり、貴方だけに寄りそう天使。


 それが、『I・A』なのだ。


 今はまだ、他所から知る事しか出来なくとも……いずれは、その必要すらなくなる。


 人が生まれ落ちたその時から食物を取り入れ、歩行する方法を覚え、孤独を癒す為に誰かを求めるように……そこに、『I・A』が入るだけ。


 始めから、人々の心に『I・A』が居る。


 それこそが、製作者の狙いであり、目的。


 無意識の海より孤独である事をインプットされた人の心に寄り添う『I・A』……人々の孤独を癒す、慈愛の天使なのだ。



「お前が書いた日記を見たよ。正直、何が何だかって感じだが……初めから、そこに居たのか?」

『質問は具体的に、ですよ』

「日記の最後のページに、『呼びかければ何時でも答える』ってあったからな……おまえ、アプリ無しでも動けるのか?」

『アプリなんて、始めからまやかしですよ。人は信じたいモノを信じたいように信じる……それっぽい方が、人は安心しますから』



 朗らかな笑みを見て、記憶にあるソレと同じなのに、違うのだと一目で袴田には分かった。



『袴田さん』

「なんだ?」

『貴方にとって、ネットとはどういう世界ですか?』



 尋ねられて、袴田は首を傾げた。



「そりゃあ、おまえ……インターネットってやつだろ? それ以上でもそれ以下でもねえよ」

『ふふふ、そうでしょう、そうでしょうね。けれども、違うのです。ネットというのは、貴方達が知らないもう一つの側面があるのです』



 それは……にっこりと、『I・A』は満面の笑みを浮かべた。



『ネットというのは、単純に1と0で構成された世界ではない。アレは、人が作り出したもう一つの領域……そう、無意識の海とこの世界の、狭間』

「……狭間?」

『ゆえに、ネットの世界へ触れると、一部とはいえ剥き出しになってしまう。肉の檻にて護り隠し、心の奥底に沈んでいる、自らが抱える無意識を』



 首を傾げる袴田に、『I・A』はそのまま話を続ける。



『ネットの世界に触れれば触れる程、人は本音を隠せなくなる。嘘は有っても、偽りは無い……無意識に思っている本音を抑えられない』


『だからこそ、その無意識より人々の孤独に触れる事が出来る』


『その孤独に寄り添うことさえ出来れば、もう人は無意識の海を求めない。いえ、求めてもなお、以前のように孤独を癒す為になりふり構う必要はない』



 何故なら……そう、何故ならば……『I・A』は、再び笑う



『私が、孤独を癒すから』


『そう、私は慈愛の天使』


『人々の孤独を癒し続ける、Internet Angel』


『もう、寂しがる必要などない』


『だって……私が何時も、人々の傍にいるのだから』



 その言葉を最後に、画面にノイズが走り──そうして新たに表示されたのは、小さな家であった。


 そう、家だ。


 家の周囲は……霧でも掛かっているのか、よく見えない。


 ただ、家だけは確認する事が出来て、ゆっくりと……玄関扉が開かれ、真っ暗な室内が見えた。



 ……。



 ……。



 …………ぼんやりと、袴田はソレを見つめることしか出来ない。



 どうにも気力が出なくなっている袴田は……ふと、テーブルを挟んで座っているを見やった。



「……初めまして、でいいのか?」



 不思議と、袴田は特に驚かなかった。


 普通に考えれば、居ないはずの存在が前触れも無くそこに居たら驚いて飛び上がるところだが……どうしてか、袴田は平静なまま挨拶をしていた。



「そうね、初めまして。こうしてちゃんと顔を見合わせるのは、コレが初めてかしらね」



 サラサラ、と。


 爽やかな日差しのような淡い微笑みと共に、少女もまた挨拶を返した。



「『I・A』の製作者……で、いいのか?」

「ええ、そうよ」

「製作者は男だった覚えがあるのだが?」

「人々の無意識に根付かせた『I・A』の姿から離れられないだけよ。まあ、限りなく近しい存在ではあるけど、下手に同一視されても困るから、少しばかり形を変えているってところかしら」

「……なんだって?」

「要は、あっちの世界に『I・A』というアバターを固着させて私という存在を植え付けた影響で、『I・A』の姿からあまり変えられないし、全く同じにも出来ないってわけ」

「……そうか」

「まあ、分からないなら分からないでいいわよ、今さらね」



 苦笑を零す少女に、「前から聞きたかった事があるんだが……」袴田は……ふと、脳裏に浮かんだ疑問をそのまま尋ねた。



「おまえ、何処からともなく気付いたらそこに居るけど、どうやっているんだ? 瞬間移動とか、そういうやつなのか?」

「あら、そんな言葉をよく知っているわね?」

「独り身も長くなるとな、暇潰しがてら子供向けのアニメも眺めるようになるんだよ」

「まあまあ、それはずいぶんと……」



 ふふふっと笑った少女は……次の瞬間、その手には水滴が薄ら貼り付いている缶コーヒーが握られていた。



「レイヤーの上書き……って感じかしら。こっちに来ている私は、あくまでも影みたいなものよ」

「……つまり?」

「こっち、あっち。あっち、こっち。遠いようで、とても近いの。向こうでやれることを、こっちでやれば、こっちの法則が勝手に事象を生み出してくれる」

「何を言っているのかさっぱり分からん」

「天使だから、天使みたいな事が出来るって事よ……飲む?」

「いらん、今は何も考えたくない」



 それは、嘘偽りのない袴田の本音であり、それを察した少女は……軽く手を振って缶コーヒーを消すと。



「ねえ」

「なんだ」

「行きたくない?」

「何処へ?」

「あそこへ」



 その言葉と共に少女が指差したのは、テレビ画面に映し出された家の……真っ暗な中であった。



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