回答編 So long

 青りんごサワーを飲んだら昂ぶっていた気持ちが落ち着いてきた。

 スゥ~ハァ~と大きく深呼吸して原泰子さんの目を見た。

「下山冬美さんはね、特に問題もないし安心できる顧客だよ。きちんと返済してくれるし。ああ、そうそう。どんなやり取りをしていたかっていうと……」

 わたしは資料に記していない下山さんとのやり取りを思い出していた。


 🍜🍜🍜🍜🍜🍜


 1

 愚痴を聞くのも仕事の内だと何度も自分に言い聞かせてはいるが限度ってもんがある。

「共働きなら家事の負担も半分にするのは当然でしょう!」

「はあ」

 適当に相槌を打って胃薬をコーヒーで流し込んだ。


 正午前のファミレスは段々と賑やかになってきた。

 今回の顧客の下山冬美さんの愚痴も絶好調になってきた。

 

 姑と夫は未だにヘソの緒で繋がっているに違いない。

 夫は早く精神的に自立して欲しい。

 マザコン&ムスコンVS哀れな妻のハンディキャップマッチだ。

 ストレス解消のために私がお金を使うのは当然のこと。

 

 具体的に何が不満かはわからないけど、色々あるのだろう。

「あの、下山さん。貴重なお時間を使って直接お金をお返しいただかなくとも口座に振り込む方が手間もかからず……」

「手数料がもったいない! 失礼ですが関川さんは庶民の金銭感覚をお持ちではないのかしら? それにこんな世の中だからこそ意識して人と人が直接会う機会を設けるべきでは?」

「はあ」

 もっともらしい御高説をたれている下山さん。

 だけど、このランチ代はわたしの自腹。

 愚痴を聞くのもわたし。

 いや、それでも毎回きちんと返済してくれるのだから文句は言うまい。

 下山冬美さんの家庭の不満はよくあるケースだし、他のワケアリ顧客と比べると彼女は優等生であった。

 それゆえに大して気には止めてなかった。


 ある日、彼女からメールが届いた。

「次回の回収日ですが私は同窓会の準備と出席のため都合が悪いのでお会いできません。とはいえ一日でも返済が遅れれば利子が発生します。従いまして私の夫を使いによこしますのでよろしくお願いします」

 という内容。 

 いずれにせよいつもの愚痴を聞かなくて済むのは有り難い。


 新橋駅の前、午後7時。

「え~と、失礼ですが関川さんですね。初めまして、下山良夫です」

 声をかけてきたのは小太りでサラリーマン風の男。

「はい、『まごころ込めて明るい未来を築く』でお馴染みのまごころエージェンシー(株)の関川二尋です。初めまして」

「お返しするお金は持ってきましたがここは新橋です。サラリーマンが酒に酔って不平不満を吐き出すのが許される聖地です。今夜は僕が奢るので一杯付き合ってくれませんか」

 かすかにイヤな予感がしたが結局は彼のお誘いに乗ることにした。


 2

 大衆割烹の個室で海の幸山の幸を堪能していい感じになっていたら彼がおもむろに切り出した。

「生きていれば気が合わない人や嫌いな人とも付き合わないといけないのはわかっています。わかってはいるんです。関川さんにもいるはずですよ。いないとは言わせません」

「そりゃ何人かはいますが」

「仕事仕事の毎日なんですよ。上司の罵倒にお得意様の無理難題。共働きとはいえ妻は週3日午前中だけのパート。なのに家事は半分こ。僕の月のお小遣いはたった1万5千円。妻はランチ会だのヨガだのジムだのにお金を使って、ウ、ウウ~」

「それはそれは……」

「おまけに母とはいつもケンカばかりで家の雰囲気は最悪。正月用のおせちを作る時も母に任せきりでコタツから出ずにテレビ三昧。少し小言を言ったら『おせちを作る私の負担も考えてちょうだい。お義母さんは好きで作っているようですけどイヤならやめてくださって結構なんですよ! 私が頼んだわけじゃあるまいし。大体あなたはなんでおせちを作らないの! この宿六め!』なんて言い返される始末。思い出したら腹が立ってきた。お~い、もっと酒を持ってきてくれ、冷でいいから」

 わたしは愚痴を聞いてやることくらいしかできなかった。

 ま、回収はできたしご馳走にもありつけたからヨシとしようか。


「さっき関川さんは嫌いな人がいると確かに仰ってましたね」

「ええ、誰でもそんな人の1人や2人はいておかしくはないです」

 既に目が座っている良夫さんに答えた。

「なら僕から提案があります。交換殺人をしましょう」

「はあ!?」

「ヒッチコックの映画でありましたよ、交換殺人! メリットはたくさんあります。まず、殺す動機がないから疑われない。それに……」

「イヤイヤ、わたしにメリットがないでしょう。警察を甘く見すぎです。今夜の発言は冷酒のせいにしておきます。それじゃ」

 わたしは逃げるように店を出た。


 3

 そして再び回収の日を迎えた。

 いつものファミレス、正午前。

「確かに日本の女性は昔に比べれば解放されたと言っても良いでしょう」

「はあ」

「しかし家というシステムの歯車としての役割を強いられている女性が日本にはまだまだ多数存在しています。私も含めて」

「はあ」

 愚痴を聞くのも仕事の内だと何度も自分に言い聞かせた。

「今ここで言うべきことを言わなければ多くの女性は泣いたまま。私はそんなのは御免被ります」

「はあ」

 適当に相槌を打って胃薬をコーヒーで流し込んだ。

 お金はキチンと返済してもらったのだから文句は言うまい。


「差し当たっては姑を排除する必要があります」

「は!?」

「関川さん、協力してくださる?」

「イヤです」

「話は最後まで聞くものよ。あのババアは喘息持ちなの。だから今から私と一緒に自宅に帰るのよ。そしたらあなたはババアの気管支拡張剤をこっそりと持ち帰ってちょうだい。これでババアは喘息の発作でお陀仏。遺産や保険金は山分けしましょう。どう、悪くないでしょう?」

「自分の手を汚す覚悟もないのなら上手くいくわけがない。下山さん、今の提案はランチのエビフライで胸焼けしたせいにしておきましょう。警察には報告はしないけど何か事件が起これば別です。ではまた次の回収日に」

 わたしは一気にまくしたてると伝票を持ってレジに向かい振り返らずに店を出た。


 🍜🍜🍜🍜🍜🍜


「ま、大体こんなやり取りがあったんだ。でも下山さんは基本的には愛嬌があって性格も明るいし。ちょっとストレスが溜まっているようでたまに物騒な一言を言うけど聞き流せばいいよ。イチイチ相手にしちゃダメだ」

「……」

 なぜか原泰子さんは黙ったまま。

 でも引き継ぎはバッチリ済ませたし解放感が半端ない。

 胃薬ともこれでオサラバサラバ。


「で、キミは今後どうするのかね?」

「しばらくは温泉でのんびりしたいです。どこか南の、沖縄とかサイパンとか、そうタヒチなんかで1ヶ月くらい食っちゃ寝するのもいいですね。しっかり心身を休ませたらそのまま眠るが如く天に召されるのが理想です」

「ハハ、カッコつけ過ぎだよ。キミィ、ハハハ」

「「「ワッハハハ」」」

 店中の皆んなが笑っている。

 わたしも涙を流すくらい笑った。

 笑って辞められて本当に良かった。

 悔いはない。

 明日から自由。

 次の職を考えるのはまた今度にしよう。

 道後温泉から九州巡りにするか、熱海から伊豆半島をぐるっと楽しもうか。


 気がつけば青りんごサワーは空になっている。

「よう大将、ジンライムソーダを持ってきてくれ、ピッチャーで」

 大声で注文した後に酔いが回ってきたが、明日から自由なので構うもんか、と思ってそのままお座敷の畳に仰向けになった。

 このまま死ねたら文句なし。

 天国での永遠の安らぎが待ち遠しい。

 いや、待てよ。

 もしかしたら今までのこの職場こそが天国だったのかもしれない。

 そう思って周りを見渡した。

 視界に入ってくるのは大山部長、丸山ペラ助ペラ子、升田教授、チャン老師、若葉ちゃん、萬治おじさんの面々。天国とは似つかわしくない人達。

 まごころエージェンシー(株)はむしろ地獄寄りが相応しい。

 バカなことを思っていたらお酒のせいか段々と眠たくなってきた。

 すべてはどうでもよく、心地よいまどろみに身を任せゆっくりと目を閉じた。

 <了>

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