敬愛すべきあなたの中に、私のすべてを置いてきた。

 とんでもないものを読んでしまったし、あの、もう。               (ごめんなさい。言葉が出ないです。とりあえず、その程度の強さをあらわすためにスペースを置きました。スペースの数が、放心状態で居続けた、その長さです。)
 
 感想が文字で良かった。だっていまこれを読み終わった時の私の顔を見られたら、すべてが終わる気がするから。

 一文目の「死にたい。」を詳しくいうとすれば、「敬愛すべきあなたの中に、私のすべてを置いてきた。だから、死にたい。」と言った感じでしょうか。

 まず、最初に心にふれてきたのが、「もっと強い言葉を使えば裏切られたな、と感じた。」という部分で、私は言外のコミュニケーションが好きで、例えばあぁこの人のこの仕草ほれてまうやろ~っていうのが抽出された短歌や文に魅力を感じるんですよね。だから、小説に落とし込む上では逆に、言葉でその部分を補うことが必要で、言葉を扱うのって難しいなと日々思っています。ですが、ここでは会話における「言葉」を指していて、その扱いで「裏切る」という結果をもたらす可能性もあるという主体の、言葉を介した後悔が強く映り込んでいて、痺れました。

 関係の非対称性で言うと「好意の返報性」なんてまやかしでしかなくて、一度だって永遠を与えることができない人間に、「人生」(時間・空間・環境、ありとあらゆる要素を含めて理不尽でしかないもの)を与えてしまった神様を憎むのも仕方のないこと。しかし、本作は丹念に、偏執なまでに、「自分」を責めている。神様や見えない存在、生の根源といったものではなく。

 また、「遺書指南をしてくれているこの人の名前は既に忘れてしまったけど、」という部分は、特定の誰かにとっての主体がそう見られている一部にすぎないことを自覚する風刺的要素でもあるし、「人生で一番きれいな字が書けたかもしれない。」と思ったところは、皮肉にも最後の自己承認、報われたという気持ちの断片であったのだろうところが読み取れて、読んでいてとても苦しかった。

 見えすぎた自己。感情の屈折。そこに、一切の光はない。「だけど、あなたは文句を言わなかったし、求めても来なかった。」には、非対称ゆえに見え隠れする「隣人愛」が存在していて、特別になれない葛藤を強調している。血は争えないね、やっぱりお母さんに似てるね、でも会ったことなんかないよね、誰の名字だろうね、そういう時だけ母親面するよね、都合が良すぎるよね、そもそも好きだと思ったことなんか一度もないよね、むしろ嫌いだよね、もう一生会いたくないね。じゃあ……。

 死にたい。誰からの特別にもなれないなら、死にたい。それは、私があなたへ与えた、もしくは与えたかったすべてだったはずで、あなたが求めていたものでは無かったから。

「他に何か書きたいことはありますか」

 使うことができるすべての文字、この世界に存在する言語を尽くしても本作の深い部分を語ることはけして出来ないのかもしれない。なぜなら、主体のように「もう満足しました」と本心から言える日が来た時、文字以外で残すことができる血の通った言葉は存在しないから。

 あなたに、出会えてよかった。これを読むことができて、良かった。

「もちろん届かないけど。こんなこと言っても。」

 もう一回くらい言っておこうかな。感想が文字で良かった。

【追記】
「薄氷のバーカウンター(旧題:薄氷)」が公開された時、これが遺作にならなくて良かったと私は心から安堵した。生きようとも思えない現実に唯一対抗するための手段が創作であると、胸を張って言えるように書こうと決意したのもこれを読んでからだった。