遺書指南
頭野 融
第1話
◆◆◆
死にたい。
◆◆◆
「ダメです。こんなのでは」
え、でも、実際言いたいのってこれだけで。
「そういうことじゃないです」
短い方がインパクトもあるくないですか。
「それはそうかもしれないですけど、遺された側のことも考えて、もう少し納得感のある遺書にしませんか。理由とかを付け加えて」
たしかに、それもそうですね。
◆◆◆
死にたい。疲れたので。
◆◆◆
「え?」
はい、なんですか。
「理由、これだけですか」
そうですね。だって疲れたので。生きるのに。生きるのにっていうか、人生にっていうか、日々の暮らしに、みたいな感じですね。
「は、はあ」
何もしてなくても心臓がぎゅってなって居場所がなくなる感じです。あと息も苦しくなりますよ。その感じ、なったことないんですね。まあ、いいです。別に共感してもらいたいわけじゃないので。私は遺書のアドバイスを求めて依頼したわけですし。
「そうですか。それもそうですね。さらにアドバイスするとすれば、疲れた理由みたいなのを詳しく書くといいと思います」
詳しい理由、ですか。それもそうですね。
◆◆◆
死にたい。疲れたので。特に将来と人間関係の点で。
◆◆◆
「将来と人間関係、なるほど。確かに大変ですよね。その内容を具体的に書いてみてはどうですか」
分かりました。やってみます。
◆◆◆
自分の将来が見えない。たとえば電車に乗っているあの家族。父親と母親と小さな子ども。自分の子どもが電車内でうろちょろしてしまっていることを心配に思っているようだけれど、まったくそんなことは問題ないと思う。自分に伴侶ができて子どもも生まれて、子育てができるなんてありがたいことだと私は思う。電車に限らず歩いていても、私はいつも車に轢かれることに怯えていて、そもそも私は免許こそあれど車を買うお金が無い。いくら中古車や軽が安いと言ったって買えない。
私には何も無い。そのせいでいつも朝が怖い。もちろん昼も夜も怖い。怖くないときなんてない。いつも何かに怯えていて心臓は常に圧迫されている気がする。ふと良いこと――たとえば外が暖かいこと――があっても、その次の瞬間には自己嫌悪に陥って何もかもが黒塗りになってしまう。いや、黒塗りというかモノクロ。輝きが微塵もなくなる。
将来が見えないというのはつまりそういうことで、まず明日が想像できない。想像できないというのは自分を楽にするための嘘で本当は分かっている。こんな日常を地続きで歩んでいるうちに私の周りの人はどんどん私を置いていって、私だけが過去に囚われたまま、過去というか今のこのゴミのような生活に囚われたまま動けなくなって取り残されるという未来は見えている。だけど、それをそのまま直視するのはあまりにも惨いから将来が見えないということにしている。うっすらと目に浮かぶ将来を具現化したくはない。それくらいの逃げは許されたい。
人間関係も疲れたというようなことを書いたと思う。これも結局は自分のせいで、私の周りにいる人が悪いわけではない。自分で首を絞めているにすぎない。この人にこんな相談はできないや、申し訳ない。とか、こんなこと言ったら嫌だろうな、嫌われるだろうな、とか。そういうことを考えているうちに何もできなくなった。何も言えなくなった。どこどこのコンビニが出した抹茶ロールケーキおいしかったよ、みたいな当たり障りのないことしか話せなくなった。あと、好きでもない映画の話とか。
学校の先生がたまに、このクラスは優秀だとかきみたちの代は優秀だとか言うことがある。それは褒め言葉なのだろうし優秀だと言われている点はうれしいのだけど、同時に、ああ先生は私たち以外の人たちも受け持ったことがあるんだよね、と思うと少し心が苦しくなる。先生という職業はそういうものだし、そんなことは分かっていたはずなのだけど、私にとっての先生は一人なのに、この先生からすれば私は何十人といる生徒のうちの一人でさらに言えば過去に他のクラスや代を受け持ったことがあるわけで、何だか関係が非対称な気がして。これと同じことは友人関係でも起こる。
私が親友だと思っていた相手にとって、自分は大した友達と思われていない場合がある。つまり恋愛で言えば片想いみたいなものだろうか。こっちはこんなにきみのことを大切に思ってるのに、と思うのだけどそれは一方的な好意の押し売りで、相手にしてみればただの迷惑行為でしかない。これも当たり前のことで、容易に起きうる現象なのだけど、巷でも時々言われるし創作物の題材などにもよくなるのだけど、いざ自分がその立場に置かれるとやはり苦しい。自分には少なからずその相手にとっては価値が無い人間なんだと気づくことが苦しい。だけどその無価値が自分の能力不足から来ているのは自明で、そのことがもっと苦しい。全部自分のせいで、自分を責めることしかできない。
友達から電話が掛かってきてうれしくなったことがある。「いま机に向かってるんだけど、寂しいから一緒にしゃべりたくて」って言われて私は「全然いいよ」と答えた。最近あったこととか好きな漫画とかの話をしていた。一時間くらい経ったころだろうか、友達が「ごめん、通話しながらゲームしようって誘われてさ……」と言った。私は、うん、楽しかったよと言って素直に通話を終わろうとした。嫌われたくなかったから、「まだ喋りたい」とは言えなかった。そうしたら私の素直さに罪悪感を覚えたのか、「いや、ほんとは一緒にゲームをする人~ってディスコードで募集かけたんだけど、誰もいなかったから、できるって人が現れるまで一緒にしゃべるか、って感じで電話かけたんだよね」と白状してきた。このときに何とも言えない感情になったことを今も覚えている。私はスマホが鳴ってうれしかったのだけど、相手にとって自分は繋ぎだったわけで、結局は非対称だったのか、と感じた。私の勘違いだったのかと思った。もっと強い言葉を使えば裏切られたな、と感じた。
◆◆◆
「え?」
あ、すみません。不備がありましたでしょうか。
「いや、そうではなくて、急にたくさんお書きになったので、驚いてしまって」
そんなに書いてなくないですか。思いついたことをいくつか書いただけなんですけど。
「じゃあ、見返してみてください」
はい、はい。そう思いながらレポートパッドをめくると思いのほか書いた枚数が多くて驚いてしまった。これなら驚かれても仕方ない。――それで、こんな感じでいいですかね。
「うーん、長文がこのまま続いても読んでもらえないと思われますから、ここからは一人ひとりにコメントをするというのはどうですか? この方法だと、読み手にも言いたいことを伝えられますし、びしっとした遺書という感じが出る思います」
なるほど、たしかに。ドラマとかでも、わしの老後を助けてくれてありがとう。財産の半分を次男へ。とか見たことあります。
「そうです、そうです。そんな感じで続き、書いてみましょう」
◆◆◆
赤園へ
きみは落ち込んだり、悩んだりすると、私に相談してきてくれて、ああ、私はきみの相談相手になれてるのかなって思っていました。何でも言える仲みたいな。でも、どうやらそれは違ったようで、きみには私のようなポジションの人が複数人いたんですね。考えてみれば当たり前なのだけど、自惚れていた私は気付けませんでした。それは私のせいなのに、自分はきみの特別ではなかったんだなと思うと、やはり心苦しいです。私が勝手に苦しんでいるだけなんだけど。
北尾さんへ
あなたからは様々なものを教えてもらいました。とくにジャズとアロマディフューザーかな。どちらも私の生活から縁遠いものだったのだけど、ねえこれ聴いてみてとか、これ良いよ買ってみてよ。あ、いっしょに買いに行こう。なんてやってるうちに、サックスの音とピアノの音とレモングラスの香りは私の部屋に馴染んでいきました。一方で私はあなたに何も紹介できなかった気がする。いや、ほとんど、かな。だけど、あなたは文句を言わなかったし、求めても来なかった。それは楽ではあったけれど、同時にただ紹介する先としてしか思われていないのだな、と一人で傷ついた日もありました。そんなこと、知ったこっちゃないと思うけど。
田松へ
私にはきみが分からない。本当に。でも分からなくていいのかな、と最近は思うようになったし、その分からないところに私は惹かれているのかもしれない。もう全てを諦めた。きみは何においても私の上位互換だと思う。もっと近くに居たら、もっとずっと一緒に居たら、私が自滅していたかもしれない。適当なときに手紙を送り合う関係でよかったと思う。きみの感性はとてもきれいで絵も文も上手だし、考えがしっかりあって、人としてちゃんとしていると思う。なんというか薄くない。人としてとても面白い。私に無いものばかりだよ。私がきみに誇れるものって何だろう。お酒の強さくらいかな。しょうもない。
飯間さんへ
本当に申し訳ない。迷惑ばかりかけた。随分と遺書っぽい内容になった。まあ、私が死んだことはきみの耳には入らないだろう。きみの用意周到さ、徹底ぶりなら、私の話を見聞きするような、してしまうようなヘマはしないだろうから。あの日から金輪際きみとは関係が無くなったからね。金輪際ってこういう使い方で良いんだっけ。こういう他愛もない話ばかりする、友人関係でいればよかったのかな。ずっと。今でもきみへの謝罪とともにそんなことを思います。好きな天気は雨だったね。そういえば、きみが私に教えてくれた漫画の新刊出てたよ。もちろん届かないけど。こんなこと言っても。もう一回くらい謝っとこうかな。ごめんね。もう何年も謝り続けてるんだけど。
◆◆◆
「とてもいいと思います」
そうですか。そう素っ気なく返しつつも、うれしかった。本当に久しぶりに人に褒められた気がした。遺書指南をしてくれているこの人の名前は既に忘れてしまったけど、褒めてくれたときに顔が笑顔になっていて、それがまたうれしかった。ああ、本当に褒めてくれているんだなという感じがして。
「他に何か書きたいことはありますか」
そう訊かれて、もう満足しましたと答えると、ではこれを、と封筒を差し出された。
「遺書と書いて名前と日付も添えておくのがいいと思います」
私は素直に従った。人生で一番きれいな字が書けたかもしれない。心が落ち着いているのだろうか。
遺書指南 頭野 融 @toru-kashirano
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