そこに息づく何か

「あっ、あそこで見かけた人だれだろう」という断片が、次のエピソードの人物に繋がっていく。どこかロマンチックなドラマの演出みたく、「もしかして……あの時の人ですか?」という。

 普通はその人の心の中で今後もずっと生き続けるような人と袖が触れ合ったとき、「あぁ、これもきっと前世からの縁なんだ」と信じるような、誰かに出会いたいと思ってしまうけれど、でもこれはそういう干渉というか、人の人生に大きく踏み込むほどの変化がないところに、またリアルさがある(「すれ違う」だけで、それが交点や分岐点になるわけではない)。

 だからこそ、気づかないところで今も起こっている出来事が誰かにとっては大切で、かけがえないのない時間になっているのだと思い巡らせてしまうような要素が凝縮されている。そんな、この作品の中に流れる時間を感じ取りたい。

 アイスコーヒー、卵焼き、腕時計、バニラゼリー、月見とろろそば。社会や大人、見えない力に屈してしまうような脆さ、うまく言葉にできないけどこれは嫌いだという気持ち、居場所を求めるも届かない声。言葉から想起される世界の広がりに、ずっと浸かっていたい。以下、各エピソードごとに一言ずつ。


エピソード1
とにかく一人の“語り”がうまくて、グイグイ引き込まれる。 人間関係の連鎖が詰まっている。

エピソード2
重厚な大人の話。言動の端々から淡い感傷のような、 思い出すだけでささくれ立ってしまいそうな心の動きが繊細に描かれている。

エピソード3
散歩中の小さな発見と、一貫したおばあさんの語り。歳をとってもささいな変化が、生活を彩る。いまを形作る、思い出と習慣がある。変遷がある。ゆるやかの時間の流れが、とても心地よかった。

エピソード4
新しい環境とスピード感。田舎に住む、自転車通学の女子中学生。学校と離れた友達と運命と。周りの変化は自分の成長を映していながらも、分からないことにもどかしさを感じる年頃。

エピソード5
色、名前、原理。お母さんと先生とバス。幼稚園生の見る世界は、知らないものであふれていて、自分で自分の気持ちをあらわす言葉を探している。後から分かることと今は分からないこと。

エピソード6
タクシードライバーの日常。客に勧められるお店探しや、乗り込んだ客との会話で想像を膨らませたり。業務の中で、切り取られる運転手としての心象。酔ったおじさん、スーパーの物価や話してみれば角がとれたように優しくなる人との何気ない交流がふわふわ浮かんでくる。

エピソード7
現実と夢の狭間で揺れながら、スーパーのバイトに勤しむ大学生。漫画の中に出てくるイケメン(白眉麗)にのめり込むようで、まだ何となく形としての自我を保ち、生活を重ねる。主人公に重ねる。移入したい、逃げたい。だけど、現実は追ってきて、その境は明確になる。

エピソード8
学校、部活、塾の間を往復する中学生。お姉ちゃんとの適度な距離感と、お母さんとの会話から温かな家庭が垣間見える。ちょっとした気遣いや慰め、言わない言葉。お姉ちゃんのことを分かっているつもりでも、まだ知らないところはあって。変化や感覚のずれ。ふっと芽生える人間関係のぎくしゃくする感じまで、その温度感がそのまま生きている。

エピソード9
ずっとやわらかであり続ける。少しぐらい曇った感情の発露があってもいいはずなのに、介護の仕事のなかにも安らぎがある。泉さんとの会話の落ち着きがとても心地よく、歩きながら目に入ってくる風景まで鮮明に流れる。那奈さんを意識しながらも、一人の職員としての心持ちや自らの行動の善し悪しをはかろうとする姿勢が丁寧に書かれていてよかった。

エピソード10
業界人の生活。エゴサーチに毒され、結婚報道での扱いや演技、自分の業界におけるスタンスについて思い巡らしたり、マネージャーに相談したりする。満足、退屈。どこか虚しさを抱えながらも、婚約者との生活がはじまる。ここからの展開も気になるところ。

エピソード11
家族との関係性、クラスメイトや仲間内での会話から十分にその空気感が感じられて、濃厚だった。作中劇(作)の「その目とチューリップ」も面白そう。どこか古典的なストーリー、演者の腕の見せ所ともいえる舞台に向けて動きだすなか、脚本の方向性を思案する。

エピソード12
大学教授の日常と、会話の寄り道。体の衰えと周囲の変化、慣れ。ハヤシライスが定番になった。けれど理由はもう覚えていない。家内や学生との距離感、仕事の虚しさ。少し哲学的で、些細なことに突っかかる思考経過が小気味よく、社会の歯車たる一人の人間として生きる生活の断片が垣間見えてくる。

エピソード13
月に行きたいから。ふわっとして、取り留めのないことを考えていながらも突き刺すようなロマンチックさに温度差を感じた。出会いはとても瞬間的な出来事で、いつ、どこで作用するのか分からない親密さを秘めていて。お互いが適度な歩幅を刻みながら、不意を突いたように核心に迫るような問いかけに、心が揺れる。言いかけて、やめる。けれど、答える。

エピソード14
飲食店の社員として働く毎日。たまには気分で動く日もあって、ふとした疑問が頭に浮かぶ。友達以上、恋人未満。何か変化を起こそうと思っているわけでも、本当は会いたいと思っていないのかもしれない。形式だけで進んだ連絡。風がさらわれていくようなエンドロール。

エピソード15
思春期の、どこかにぶつけたくなるような感情。両親とのコミュニケーションが億劫に感じ始めるも、心のどこかでは気遣いや優しさに気付いていて、でもそれを見て見ぬふりしたくなるような反発がある。その内面の切り取り方と友達・推し優先な態度が清々しくもある。

エピソード16
別の世界にずっと連れていかれていて、どこが境目かを見失ってしまうような。時々、引き戻されるけど、目につく物はすべて過去というフィルターを通してしか認識できなくて。味を思い出す。比べる。その差を感じたのは単に美化されただけなのかもしれないし、そうであってほしいという願いであるのかもしれない。

エピソード17
楽しそうに見えた親子の裏側を垣間見てしまうような、その内実が表向きの印象をガラッと変えてしまう話。冷徹な子どもの眼差しは、知っている。そこに愛情があるかといえば、大人の都合やその日の気分、お金の有無で簡単に吐き捨てられてしまうくらいの薄っぺらな言葉だってこと。

エピソード18
とりあえず気分に沿って運動してみよう、と規則正しい生活を送る。遠くにある声が近づいてくる。久しぶりに聞いた妻の声。気力か体力か、そのどちらかに衰えを感じているのかもしれない。記憶を頼りに見覚えのある花があれば、と店に出向く。失った時間を補充するように、けれど心の空白はそのままにしておくように、新しい習慣が形作られる。

エピソード19
冷淡だ。この年齢にしてあるまじき冷淡さ。育ちは、自分自身の力で変えようとするには難しく、あえかな光だけを頼りに生きている。食いつないでいる。作業はやりがいに変わり、思い出は可視化される。行いを正すにも、不自由さを伴う。

エピソード20
卑下なのか、それは諦めなのか。燃え尽きてしまったような、でも消化不良のラインはいつも思い通りの結果を導くわけじゃないし、疲れているのは自分だけで誰とも共有しなくていいから「バイトがんばってくる!」だけで自分を奮起させながら、夢でしか繋がれない相手のことを想う。

エピソード21
いたって平凡な生活を送り、刺激的ゆえに早くに終わってしまった夏休み。お弁当とコーヒー。取り合わせの違和感をうまく説明できないのは、飲み干すことができない痛みに気づいているからで、「心にうつりゆくよしなしごと」はかき乱されながら初めて聞いた名前の、知らない誰かによって脳内で書き換えられていく。

エピソード22
足りないものみつけの出張を命じられ、東京に赴く。その中で見聞きした出来事を手紙(メール)で報告しあう様子が温かく、文面から拾った実感は彼女のものになる。最先端を行くことは「足りない」を無くすことにあって、「足りなさ」を見つけることで人は本当の充実を知る。ピザを食べながら、そう思う。

エピソード23
いいご身分なんだ、実際は。そう思われたって仕方ない。「なんでもいいから何もしてない」というのは過渡期における一種の精神状態のようなもので、雨は思考を中断させてくれるけど、慰めにはならない。とらえどころの無い一本道、それは綱渡りのようで、その先にもう一人の自分(アンチ)が待っている。

エピソード24
生活音では掻き消されなかった心の声が、目の前から去った人を求めて激しく流れる。どこにも届かない悪口。「見抜けなかった」と思ったのは私のぬけがらとしての自覚から来たものなのか、それとも彼が空虚だったと断定したことで芽生えた負の感情なのか。二人は「家」に縛られている。

エピソード25
計画的養われ担当、前世少しあり、認識機能問題なし。幼くして、世界と接続されてしまった「言葉」と年相応の振る舞いをコントロールすることで大人から怪しまれないよう「ノンバーバル」な演技(?)を徹底する日々。そこに、どんな「使命」があるのか。

エピソード26
浦見アナをどこかで思い浮かべながら、何も壊さずに、傍観者で居続けたいと思うし、下調べの無い、本職とは離れた休日を送ってみようと努める。どこか他人の「客観的判断」を嫌っていて、だけど自分もそれに頼っているところはあって、言葉選びに丁寧に向き合う真摯さを感じる。

エピソード27
棘が内包しているのは、誰かへの攻撃的意思の表明というわけではない。誰に言うともなく溜まっていく愚痴はひどく簡単に空気中に拡散するし、言葉に出すことでしか救えない人間がいることを一番分かっているし、だから私は「地雷」になるんだ。たとえ、それを自分で踏み抜こうとも。

エピソード28
誰かにとっての未知を自分が体現しているのだとしたら、その気遣いは当然なのかもしれないけど、僕にとって必要な善意はそれじゃなかった。ある種の閉塞感は何となく説明しづらくて、沈潜する。突然きた伊藤からのLINEに動かされ、ボールの形状を次第に掴み始める。

エピソード29
老後ともいえる生活のなかに、仕事がある。料理がある。夫婦の時間を経ても、老化を言い訳にしても譲ることのできない交流がある。後悔の波に乗ることもあるのかもしれない。引き返せなかった旅。船の上ではいつだって自分で舵(家事)を切ることが大事で、食卓を再起点とする。

エピソード30
有休を消化する。嬉しさとも解放感とも取れなくて、ただ自由って感じ。ようやく主体を取り戻し、思いついたのは海に行くことだった。歩く。わけもなく歩く。気を紛らわせたくて、もう何にも囚われたくはなくて、傷口に塩を塗り込められるような癒えない時間がただそこにあるだけ。

エピソード31
海浜公園を「いかにもな場所」と捉えた時に、男二人でそこに行く意味が発生したのかは誰にも分からなくて、観覧車の高度だけがコーキの気持ちを知っているのかもしれない。出会いも別れも巡るのなら、何度でも再演しよう。この気まずさを忘れないように。

エピソード32
リアルは退屈っていうか窮屈。こっちの世界の住人になったからにはもう抜け出す必要性もなくて、第一居場所なんて元から無かったから。RPGのような分かりやすさも、補い合うような都合の良い関係は求めてなくて、ただそこにゲームがあったからやっただけ。

エピソード33
優等生でした。おかげで疲れました。皆から頼られました。こんな感じだと思いました。多分、これからもそんな感じなんだと思います。年齢をステイタスに感じるのであれば、この同棲は妥当で、「正解」を選び続けるだけなんだろう。たとえ、相手が間違えようとも。

エピソード34
しず香、しず香さん。お父さんの口から発せられるどちらの呼び掛けにも意味があって、長くも短くも連れ添った二人はツインベッドに沈む。かすることはあるけれど、見た目や普段の言動から、その人を正確に当てることはできなくて、はっとする毎日を経て、今日も弁当を売る。

エピソード35
猫の名づけ親は僕だけど、誰かが認知しているわけでもなく。それって「無」に近い「有」の状態だよな。存在としては有って、でもその機能として認めているわけではないみたいな。天井を天井が見たくて、見つめるようになった時、たぶんもうそこに猫はいない。

エピソード36
野菜と同化すること、わかってもらえないこと。姉妹の両親との関係や同居する祖父母にまつわる食卓を囲んだ姿がありありと立ち昇る。心をしずめながら大根を切る。嫌だっていう気持ちは忘れたくないし、冬休みってこういうことを考えるために与えられた時間じゃないなって。

エピソード37
作家と編集者の持ちつ持たれつな関係を覗き見しているような、ふわりと上空で浮遊しているような読み心地。こいつ。あいつ。はたして「南野」という呼び名から発展することはあるのか。というどこか強気で彼女の尻に敷かれることまでは想定していなかった、だけど熱い気持ち。

エピソード38
壊れ方の妙。マニュアルのように会話の中で予防線を張ったり、再提案・修正を自分に課す、あるいはそれを他人に求めてしまうと……。ほら、ひとって思いのほか脆いからさ。「上手くいってない」のずれ部分を直視するも、可塑性ってないからさ。綱渡りしているのはお互い様だった。

エピソード39
パチンコおじいさんと広い空。語られるのは山での出来事で、確信は持てないけど「見えなくても話しかけられてる声」に遭遇する。ただの夢なのか、暗示なのか。ばあさんとの異様な距離は再度描かれずにパチだけして終わるという構成にも少し不気味さがある。

エピソード40
楽しそうでいいな、が自分に向けられることはなくて、面倒を回避するようにペアじゃない箸でも使って食べる。セルフただいま、おかえり、いただきます。誰かに迷惑かけないように、順番待ちやマナーが自分にも適用されているけれど、自分に向かう感謝がその分近くなって、憂鬱だ。

エピソード41
めんどうだな、とか他人の目で大きく左右されてしまうようなどうしたって続く上下関係、クラスメイト、先生との擦り切れていくやり取りが空想であっても、自分の身に起こったかのように嫌になって。自覚的な中学生なりの反発、芽生え。緩やかな尖り方。花がひらく。

エピソード42
国語の先生からのご指摘。その言葉が誤用だとか、表現だとか、道筋。そして、本質。せまい教室とはいえ、コントロール対象は意外に広い。授業、学力、態度の向上意識や方針の違いもある中で、自分をおざなりにしていくこと、感情を排すること、整理すること。泥臭くて、濁った眼だ。

エピソード43
書くということ。忘れない、眠れない、思い出せない。妻の影が私の中の柱となる部分をよじ登ってくることはないけれど、幼い頃に読んだ絵本のように内容だけは忘れない何かになりつつあることを感じる。夢を見る。そして、あなたはこれを読んでいるのでしょう?

以下、好きな言い回し集
「プレイ時間を足すとすごいことになっていたと思う」
「僕の前でなんとなく文字が滑っていった気がした。」
「なんだかしゃべり過ぎたような気もする」
「何か食べたいの、あるか」
「だから多分、竹田が変な男に付き纏われていると言ったのは平凡な出来事ではない。」
「見るの遅れた~/ごめんねのスタンプ/私もわかんない」(ラインの通知数から返信を予測する)
「数秒したら画面にいたのは断捨離の達人で自分の間の悪さを実感した。」
「あの人に怒られる。いや、正確にはあの人は怒らない。」
「小さな違いだけど確実に違うみたいな。料理に入ってる山椒みたいな感じ?」
「いま倒れたなあと思いながらベッドから起き上がった。」
「頭の片隅に置いといてほしかったなって、たまに思っちゃう。」
「このままずっと友達って感じの人じゃないなって思う。」
「絶対お友達になりたいって思って入学式の日にがんばって声かけたんだよね。」
「あのときは楽しかったし、今はもっと楽しい。」
「飛んでいるというより飛ばされているように見える。」
「あの機械を持った店員の側に控えて待っている」(バーコードリーダー)
「菅野さんって整った顔されてるのに俗っぽいところもあるよね、」
「決して好きではない塾にエアコンの価値くらいはあったことを感じる。」
「威圧感の無い背中が丸まって温和な表情をしていた。」
「何もできないから、他のことを考えないために、と消極的な理由で見つめられる天井。」