のらねこキャンプ場(3)
テレビの工事を待ちわびる吾輩だったが、工事の職人たちがやってくる代わりに、三日目の昼に届いたのは、テントだった。
「にゃに、それ?」と、吾輩は聞いた。
「テントです」
また『おうちであったか冬支度セール』の品である。
「キャンプでもするの?」
「このテントは、室内用のテントなんですよ。二階の寝室には暖房がなくて寒いですから、就寝中は、これを使おうかと」
ホーリーと吾輩は、荷物を持って二階に上がる薫を追った。
吾輩がこの家の二階に上がるのは、初めてだった。
三つある二階の部屋の中で、中央の六畳間を、薫は、寝室にしているのだという。窓が一箇所しかなく、隙間風が少ない。
薫は、その部屋にテントを設営し始めた。
付属の説明書によれば、組み立てには二人必要とある。それを女性一人でおこなう薫は、苦労した。幕に十字の骨組みを交差させて通すまでは良かったのだが、弓なりにしならせる工程に力が必要で、薫は、手と足、四本を使い、四苦八苦した。
この方法では、テントが組み上がらない――薫は、少し思案した。
三十秒ほど考え込んでいたが、薫は、部屋の隅にテントの角を押し付けるようにして、片側を固定した。そして、テントの頂点をしならせた。これは上手くいき、数分後にテントが完了した。
「はあぁ~」
薫は、額の汗を拭いて、着ていたセーターを脱ぎ、しばらく、組み上がった室内テントを眺めていた。
重量自体は、それほどない。薫は、テントを軽く持ち上げ、一旦部屋の奥に裏返して置くと、押し入れから布団を出し、畳の中央に敷いた。そして、上から室内テントを被せた。
テントの幕を上げ、中に入っていく薫の後ろから、好奇心につられ、吾輩とホーリーも、中に入った。薄暗い。暖かさは感じられなかったが、布一枚でも、外界から遮断されたテント内では、近くを通る列車の通過音も、心なしか小さく聞こえた。
「コタツの中みたい! 楽しい!」と、ホーリーが言った。
「そうでしょう」と、薫が、ホーリーの頭をなでた。
室内テントには、出入り口が四つあり、薫は、窓側のまだ陽の光が差している出入り口の幕を、左右のフックに巻き付けて、明かりを取った。そして、中に敷いた布団の上に、寝そべった。
「落ち着きますね」と、薫は言った。「こういう狭い空間」
「少し広すぎるにゃ」と、吾輩は、薫の脇で言った。
「しかし、私の体の大きさには、ぴったりですよ」と、薫が顔を向けながら言った。「猫がダンボールの中に入るのと、同じではありませんか」
「にゃるほど」と、吾輩は言った。「ぴったりな場所、猫は好きにゃ。薫は猫にゃの?」
「人間も、ぴったりなところが、落ち着くというものなのですよ。読みたい本があるので、下に取りに行きます」と、薫は、下から本を持ってきた。それに、LEDのランタン。やはり、通販サイトで購入したもので、暗くなったら、テントの中央からぶら下げて、読書灯にするのだという。
薫は、本を広げ、読み始めた。ホーリーが、あごを薫の肩にのせ、ぐるぐる音を立てている。
明かりを取るために開けた天幕の入り口に回り、薫の顔を覗き込むようにして、吾輩は聞いた。
「にゃに読んでるの?」
「今読んでるのは、『ねじの回転』という小説です」と、薫は答えた。「英国のお屋敷の話で、怪奇小説ですね。女性家庭教師が、屋敷に出没する幽霊から子供達を守ろうとうする話なのですが、家庭教師と子供達の触れ合いが、美しくて感動しますね。今のところ、あまり怖くありません。小泉八雲の怪談集のほうが、怖いですね。小説の技法の『信頼できない語り手』の例に挙げられることが多い作品なんです」
「こっちのは? どんなのにゃ?」と、吾輩は、畳の上に置かれたままになっていた本を差した。
「『ねじの回転』です」
「にゃぁ?」と、吾輩は聞いた。「今読んでるのも『ねじの回転』じゃにゃかった? あ、上下巻にゃ?」
「いえ。上下巻ではありません。『ねじの回転』は、それほど長い話ではなくて。こっちとそっちでは、翻訳者が違うのですよ」
「なんでおんなじ本を二冊読むのかにゃ?」
「訳の良し悪しを評価しようと。そういうことを研究する学生なんですよ。言ってませんでしたか」
「『信頼できない語り手』ってにゃに?」と、吾輩は聞いた。
「嘘を言う人のことですよ」
「本に嘘が書いてあるの?」と、吾輩は、少し驚いて聞いた。
「いや、まあ、そういう意味ではないんですけど、そもそもフィクションですから」
「本には、本当のことだけ書いてあるのだと思っていたにゃ。フィクションて? 嘘を本に書いていいのかにゃ?」
「と、言いますと」
「罰せられないにゃ?」
「罰せられません。吾輩さんは、法律にうるさいですね。そもそも読者は、嘘であることを承知で、本を購入してます」
「嘘とわかって読んでて面白いかにゃぁ?」
「本当らしく書いてあるんですよ。小説というものは」
「本当らしいなら、嘘でもいいのかにゃぁ」
「これは、まったく困りました」と、ため息をつき、薫は、本を読むのをやめて言った。「人間は、嘘が好きなのかもしれないですね」
薫は、本を閉じた。そして、肩にあごを乗せて寝ているホーリーを起こさないよう、ゆっくりと身をよじって起き上がり、下に降りていった。
のらねこレストラン ほくらいきてる @hokura_ikiteru
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