第4話 村井南雲視点

「よし。ここで良いか」


 適当な空き教室に入って、那由多を降ろす。

 先刻までギャーギャーと騒ぎ、足をばたつかせていた那由多は、観念したのかすっかり大人しい。頬を丸く膨らませ、口を尖らせて、ぶすくれている。そんな姿も可愛いと言ったら、怒るだろうか。


 机も椅子もいくつかあるのだが、那由多はそのどれにも座ろうとせず、ただその場にしゃがみ込んでいる。膝を抱えている姿が、外敵から身を守るアルマジロのようでもある。その向かいに腰を落として、「なぁ」と声をかけた。那由多はいつの間にか泣いていたらしい。目の端が赤い。


「那由多」

「何だよ」

「どうしてそんなに怒ってるんだ」

「別に怒ってなんか」

「怒ってるだろ。俺、何か悪いことしたか? マシュマロ、嫌いだったか?」

「マシュマロ自体は嫌いじゃない」

「自体は、か」

 

 成る程、合点がいった。これはもう完全に俺のミスだ。


「ごめん那由多。言い訳というか、説明させてほしい」

「何がだよ」

「ホワイトデーにマシュマロを贈る意味だ」

「知ってるよ。『あなたのことが嫌い』だろ。村ちゃん、俺のこともう嫌になったんだろ」


 そう言って、俯く。小さな肩が震えている。


「那由多」

「うるさい。村ちゃんの馬鹿」

「俺は馬鹿だな、ほんと」

「馬鹿だよ。だけど、良いやつだ。だから、俺みたいなギャーギャーうるさくて馬鹿馬鹿言うようなやつと付き合ってないで、もっと優しいやつにしなよ。その方がきっと良いよ」


 ぎゅう、と膝を固く抱いて、そこに顔を埋めている。俺から見えるのは、その真っ赤な耳だけだ。


「俺は那由多が良い。那由多以外の優しいやつとか、そんなのはどうだって良い。俺は那由多の優しさが良い」

「俺は優しくないもん」

「いーや、優しい。なぁ那由多、聞いてくれ。ホワイトデーのマシュマロは、本来そういう意味じゃないんだ」

「はぁ?」


 むく、とわずかに顔を上げ、盗み見るように、恐る恐るこちらに視線を向けて来る。


「諸説あるようなんだが、そもそも、ホワイトデーはマシュマロを贈る日だったらしい」

「そうなの……?」

「それで、その当時は、『あなたからもらった愛を僕の優しさで包んで返すよ』という意味だった。時が経つにつれて、それが『優しくお断りする』といったような意味に変わってしまったらしいんだが」

「じゃあ」

「俺はそういう意味で贈った。それに、白くてふわふわしたマシュマロは那由多のほっぺたみたいだしな」


 ふくふくして、柔らかくて、可愛い、と言いながら、隙間に指を差し入れて、まだ膝の中に埋もれている頬をくすぐる。マシュマロと同等か、それ以上の柔らかさと手触りである。


「何だよぉ。紛らわしいんだよ、馬鹿ぁ」

「そうだな。俺が悪かった。きちんとしたものを返さねばと気負い過ぎた」

「別に、気負わなくても良かったのに」

「そんなわけにはいかない。バレンタインに好きなやつからチョコをもらったんだぞ? しかもその場で告白成功だ! 舞い上がるに決まってる!」

「舞い上がったの……?」

「そりゃあもう! 天高く!」


 それで一ヶ月かけて悩みに悩んで、結果がこれとは情けないが。


 那由多の機嫌は幾分か回復したらしい、まだ口はつんと尖っていたが、顎を膝の上に乗せて、むふ、と少々満足気な息を漏らした。


「でも、校内放送はやりすぎだよ。あれで俺の名前なんか出したら、付き合ってることバレちゃうかもだろぉ。馬鹿! もう、馬鹿ぁ!」


 白い頬をうっすら赤くして、ぶちぶちと文句を並べる。落としどころがわからなくなっているのかもしれない。そんな赤い顔で馬鹿馬鹿言ってくるの、本当に可愛い。


「いや、あれは那由多をおびき寄せるためだけのやつだから、名前なんて端から出す気はなかった」

「……は?」

「生徒が勝手に校内放送なんてして良いわけがないだろ? 放送部でもあるまいし」

「そりゃそうだけど」

「ああやって騒げば、寿都辺りが飛んでくるだろうと思ってたんだ。そんで読み通り――」

「来てたね。え? 俺をおびき寄せるって」

「那由多は優しいからな。あんなことになったら、絶対に俺を心配して、駆け付けてくれると思ってた」


 来てくれただろ、と言って、髪をかき上げ、額にキスをする。


「おわぁ! いきなりするなぁ!」

「いきなりは駄目だったか。それじゃ次からはちゃんと許可を――」

「真に受けんな! ムードってものがあるだろぉ!」

「確かに。とまぁ、そういうわけだから、やっぱり那由多は優しいんだ」

「あれは優しいとかそういうんじゃ」

「なかったのか? 俺のこと心配して来てくれたんじゃないのか?」

「馬鹿って言ってやろうと思ったんだ!」


 と、言ってから、まぁ、内申のこととかはちょこっとよぎったけど、と口をモゴモゴさせる。


「ふはは、やっぱり心配してくれてたじゃないか」

「う、うるさい!」


 わしゃわしゃと頭を撫でると、「やめろぉ」と言いながら、ぶんぶんと腕を振り回してくる。ぽかぽかとぶつかるそれはちっとも痛くない。それは俺が特別頑丈に出来ているからとか、そういうことではない。加減しているのだ。ただじゃれているだけなのである。それが証拠に、

 

「ほら、おいで」


 と両手を広げれば、那由多は大人しくそこに飛び込んできた。よしよし、と背中を擦ってやる。


「不安にさせて悪かった。那由多のこと嫌いになったりなんかしないからな」

「ほんとに?」

「ほんとにほんと」

「ほんとにほんとにほんと?」

「ほんとにほんとにほんとにほんと」


 その後、さらに『ほんと』の数を一つずつ増やしていくと、那由多の方が先に音を上げた。もう何回言ったかわからなくなったのだろう。そうして、ふすぅ、と気の抜けたような息を漏らしてこう言うのだ。


「そんなに言うなら許してあげる」と。


 その言葉を待って、彼を横抱きにする。腕の中にすっぽりと収まってしまう、俺の可愛い可愛いハムスターが、心底満足したような顔をして、小さく「馬鹿」と呟いた。

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そんなこんなで!④〜ホワイトデー事変〜 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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