渇きの夢

武江成緒

渇きの夢




 夕暮れのように、空は暗い。


 ついさっきまで、青い硝子がらすのような空から射殺さんとするばかりに、太陽が熱と光を投げていたのに。

 いまは汚血のような赤黒い空が、不気味に脈動しているだけだ。


 赤黒い、その根源は空にはない。

 目の前にのびる地平にある。

 暗雲が、大地のうえに降りたかのように、赤みをおびたどす黒いものが地平線にきあがってそびえ立ち、こちらへ迫り寄せてくる。


 ――― 砂嵐だ。


 戦はじめの嚆矢かぶらやのように。鼻に、耳に、毛に、はだに、砂塵をとかした暴風が、叩きつけては傷をつけてゆく。

 長い睫毛まつげに護られているはずの目までが、わずか一瞬でちりにおそわれ、目蓋まぶたを閉じてもなおうずく。


 のどから悲鳴がはじけ出す。

 しぼられたような奇妙な叫びだ。

 こんな声をしていただろうか。そんな疑問が湧きだしながらも、喉を締めるがごとき苦しさに、くびがひとりでにのたうち回る。


 ――― 禍々まがまがしい。


 これは尋常の嵐ではない。

 吹きつける暴風かぜは、その叫び。

 いま目の前に迫りきた砂塵の渦は、その歩み。

 砂漠の王が、この大地を、すべてのまちを、そしてこの身を踏みつぶし、蹂躙しにやって来たのだ。


 パズズ、セト、モート、アザゼル、あるいはかお無き滅びの使者 ――― 名は異なれど、はてなくひろがるこの砂の大洋にみ、気まぐれのままに身を起こしては風をり、天をおおい、何はばからず全てを喰らう破滅の支配者。

 その版図に、生命いのちを保証されるものはなく、渇きをまぬがれるものはない。




 いつの間にか、この全身が赤い砂の渦にのまれ、風と砂にむさぼられている。

 鼻をつぶし、耳をしぼり、毛をらし、そしてはだをもり裂いては、湿りを、水を吸いつくす。


 あまりの苦痛と恐怖とに、ひとりでに喉が悲鳴をあげる。

 開いた口に、砂漠の王はただ一ひらの容赦も見せず、その腕を叩きこんでくる。

 砂塵に喉を犯されて、くびは乾きの手に摑まれて、ぎりり、ぎりりと締めあげられる。

 またもあの、しぼられたような奇妙な叫びが、この喉ふるわせほとばしる。

 すでに前脚まえあしは耐え切れなくなり宙を泳ぎ、後脚うしろあしだけを崩れる砂に必死に突き立てこらえ続ける。

 そこへまた、砂塵の殴打が正面から叩きつけられ、

 頸のなかで、何かが千切れた。





 飛び起きる。

 ひりついたのどでぜいぜいとあえぐ。


 帰り着くなり椅子にもたれて、すぐに寝入ってしまったようだ。

 それにしてもどうしたのだろう。悪夢のなかで体験したそのままに、喉はからからに乾いて、何かが首を絞めつけている。


 喉に手をやり、からみついたそれを引きがす。

 黄色がかった褐色をした細長い布が、皺くちゃになってだらんと垂れる。


 先日、外国から戻った同僚からの土産の品だ。

 駱駝キャメル色をしたその風変わりなネクタイは、その色のままに、砂漠を歩いた駱駝らくだの毛をまぜ織られたものだと、友人は日焼けした顔で笑っていた。


 ネクタイに織りこまれた駱駝の記憶が、あんな悪夢を見せたとでもいうのだろうか。

 ふと、胸の奥が痛くなる。喉に不快なざらつきが走る。

 きこんだ口からほとばしったのはどす黒いたんで。

 それは血の赤となまぐささだけでなく、湿った砂の色と臭い、そして砂塵のざらつきまでも帯びていた。

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渇きの夢 武江成緒 @kamorun2018

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