ドM以外は完璧な彼女
石の上にも残念
デート
オリブグリンのキャスケットからサラサラ流れる緩くウェーブのかかった茶色い髪。
形のいい眉は細いけれどしっかりしている。
その下の目は大きく丸く、何よりキラキラ輝いている。
すーっと通った鼻筋と、健康的な唇。
美人の条件は左右対称であること、と何かで聞いた。
アプリで遊んで、自分の顔の変わり方と、彼女の顔の変わらなさに驚いた。
7分丈の細身のパンツに、白いジャケット。
下には薄いピンクのシャツ。
離れて見ると太陽のような人だ。
美人とかスタイルがいいとかもだが、何より全身から溢れ出るオーラが元気に満ち溢れている。
名前を
26歳。
僕の彼女だ。
さて、待ち合わせ時間は午前10時。
今は午前9時40分。
毎度の事ながら何時から待っているんだろう。
「お待たせ」
近づきながら声を掛けると、くりっとした大きな目と合う。
花が咲いたような笑顔が広がる。
彼女をチラチラ窺っていた視線が驚愕に変わる。
「
鈴の転がるような声。
「おはよう。遥はいつから待ってたんだ?」
「え? だって、その方が修が早く来たら、長く遊べるじゃない?」
太陽のように笑う。
☆☆☆
衝撃的な出会いだった。
ネジを作るという極めて地味な会社。
多少、特殊な特許技術があるとは言え、ネジの力は偉大だとは言え、それなりに誇りに思っている部分があるとは言え、世間から見れば地味な会社だ。
従業員も10人程しかおらず、売上も微妙。
当然、景気などいいはずも無い。
そんな地味な会社の地味な社長が考えたキャンペーン。
それが工場見学だった。
全従業員が思った。
『誰が来るんだ?』と。
そもそも工場見学して何が起こるのかも分からない。
例えば『すごい会社なんですね!!』と知れたとして、売上が上がるかと言えば、まず上がらない。
しかし、企画は決まり動き出した。
簡単に言うと、この地味な仕事にみんなそれぞれ誇りがあって、誰かに見てもらいたかった訳だ。
みんな『誰が来るんだよ?』とブツブツ言いながら、それでも楽しそうだった。
従業員が10人しかいないのに、定員10名という強気な募集に対し、応募は1人。
『1人かよ!』とブツブツ文句を言いながら、会社は盛り上がっていた。
そして、当日。
その1人が遥だった。
衝撃だった。
一目惚れだった。
俺は完全に恋に落ちた。
完全に恋に落ちた俺は、必死だった。
予定になかった参加者へのお礼の食事会なるイベントを無理矢理ねじ込み、必死に食らいつき、そしてなんと、遥の連絡先を手に入れた。
俺の熱はますます上がる。
毎日、毎日、悩みまくりながら連絡を取った。
そしてデートに漕ぎ着けることが出来た。
これは俺の努力と言うより単純に遥がいい人だったということだ。
その後、嫌われるのでは無いかという恐怖に何度も飲み込まれながらデートすること数度。
不釣り合いなカップルだなという周囲の目に耐えること数度。
ついに俺は遥の彼氏となった。
『付き合って下さい』という漫画のような告白に『よく言えました』と笑い返した遥は世界で一番可愛かった。
☆☆☆
付き合ってみて驚いたのは遥に意外と恋愛経験がなかった事だ。
当然、皆無ではないが、随分と普通、いやどちらかと言えば控えめに思える。
絶対に触れないけど。
話を聞いてみるに、とても綺麗な顔、素晴らしく整ったスタイル、びっくりするほど賢い頭、妬むのも忘れるほど人当たりのいい性格、その上ちょっとマニアックな趣味があるというあらゆる方向に飛び抜けた遥に、男の方が気後れしていたようだ。
そのため遥の前に現れるのは、少し変わったヤツで、大体いい方向に変なヤツではなかったらしい。
絶対に触れないけど。
そんなワケで、平凡が服を着て歩いているような俺の熱心なアプローチに心がときめいたようだ。
「ピアノあるよ、ピアノ! 弾いてよ」
駅にあるストリートピアノを見つけてはしゃぐ遥。
「弾けねえよ!」
「えー? じゃあ弾くから歌ってよ」
「なんでだよ!? 罰ゲームかよ?」
「あ!ひっどーい! 私のピアノが罰ゲームってなによ」
「ピアノじゃねえよ! 歌うのがだよ!」
「だって1人で弾いてたら恥ずかしいじゃん? 隣で歌ってたら私より恥ずかしい人がいるから平気じゃん?」
「つまり、罰ゲームじゃねえかよ!」
ハハハと屈託なく笑いながら、ピアノの方へと手を引っ張られる。
歌うのは断固拒否したが、遥のピアノは上手だった。
美人な彼女補正があったとしても、だ。
☆☆☆
「クロワッサンと塩パンどっちにしよう……」
人気のパン屋さん。
真剣な顔でパンを選ぶ遥。
素晴らしく真剣な顔だ。
「どっちも食べたらいいんじゃないの?」
「えー、ダメだよ。太るもん。って恐ろしいこと言わないでよ。どっちも食べたくなるじゃん」
言いながら目はパンに釘付けだ。
「2つ買って、半分ずつ食べたら? 残りは俺食うよ?」
そもそも太ってもないし、パン1個じゃ絶対足りない。
「ああ!なるほど! ってそれ何!?」
「照り焼きチキンとクワトロチーズのバゲットサンド、カツ&クリームチーズサンド、苺ジャムのダブルクリームドーナツ、生チョコとチョコチップとチョコクリームのデニッシュコロネ」
俺のトレイのパンに目が点になる遥。
「何そのカロリーの暴力!? めちゃくちゃ美味しそうじゃん!?」
「美味いぞー。甘いぞー。一口食べるごとに幸せがやってくるぞー」
「キャー! 止めてよー!ってか修、食べ過ぎ!」
「食べ過ぎじゃねえよ。これぐらい」
「ウソだー。最近お腹ポチャってるよ?」
「ポチャってねえよ!」
「ポチャってますー。気を付けないとブヨブヨになるよ。ブヨブヨになったらぷにぷにつついてやる」
遥の声はよく通る。
さして広くない店内に響く、美人と、まあその、そんなでもない男の意味ありげな会話。
明らかに珍しいものを見る目になっている人がいる。
ヒソヒソと何やら話し始めている人もいる。
「分かったよ。じゃあこれは返す
「一度取ったのを返すのはマナー違反よ」
恥ずかしいので、パンを戻そうとするとトレイを押さえられる。
今まさに選び直そうとしていた人の手が止まる。
「だから取ってしまったものは仕方ないと思うの、私。明日からダイエットしましょう! 明日から! 今日は仕方ないわ。仕方ないと思うの!」
「つまり?」
「この4つと私のクロワッサンと塩パンとバナナロールで楽しいランチにしましょうってこと!」
サラッと一個増えてる。
☆☆☆
「はい、ハンカチ」
差し出されたハンカチを無言で受け取る。
正確には、言葉が出ないんだけど。
「修ってこういうの好きだったんだねぇ」
返事をしようにもエグっうぐっと嗚咽が漏れるだけの俺。
『絡まる糸と解く人』
『カラヒト』と呼ばれて人気の少女マンガを映画化した話題作だった。
「観てみたい」と言っていた遥はいたってドライで、「どっちでも」と言っていた俺はご覧の通り号泣している。
「舛田くんは好きなんだけどねぇ……」
ドライというよりお気に召さなかったらしい。
お目当ての俳優は、背が高く、顔も小さく、中性的なフェミニンな魅力があり、男から見ても色気があった。
俳優が綺麗な顔していたからどうだということはない。そんなことは全く気にならないのだが、所詮は画面の向こうの人であって実際に関わり合いになるわけでもなく、好みとかタイプが必ずしも付き合ったり気があったり気に入ったりする人と一致するケースの方が実は少ないなんて話もあるわけで、そもそも別に好きな俳優がいるぐらい当たり前のことだから、俺は全く気にしていないのだが、しかも、自分よりも6つも7つも年下だ。気にする必要もないし、実際、俺は全く気にしていない。
「言いたいこととか、伝えたいこととかはやっぱりちゃんと、言葉にしないと伝わらないんだよ」
うんうんと頷いている。
「ミハトが自分の夢を諦められないし、カケルの夢の邪魔にもなれないとかってグチグチしてたじゃない?」
「グチグチ……」
物語の山場の1つだ。
ミハトのどうしても割り切れない切なさに、俺の涙腺が崩壊した場面なのだが……。
「夢が叶うかどうかなんてまだわかんないじゃない。まだまともに挑戦すらしてないんだからさ」
何やら少し苛立っているご様子だ。
「はあ……」
「だったら、なりふり構わず動いた方がいいよね! 誰かさんみたいに!」
「……」
顔が赤くなる。
「ああやって思い切りぶつかってくれたから今、こうして 1人でいるより2人でいる方が楽しいなあって思えてるわけだよ。誰かさんのおかげで」
「お、おう…」
「うん、いい映画だったね」
「お、おう?」
突然、感想が変わる。
「だって、映画観たから修にありがとうって言えるんだからさ」
キラキラした遥の笑顔に涙腺が爆発した。
☆☆☆
夜。
夜と言えばディナーだ。
いつもラーメン屋とか、焼き鳥屋とか、ファミレス、とか自分の行きやすい店ばかりに行っていたが――正確には初めてのデートで無理をしてよく知らない高級な店に乗り込んだ結果、勝手が分からなすぎてかえって恥をかいた。「無理せずいつものトコでいいんじゃない?」とケラケラ笑った遥は可愛かった――今日は違う。
「大丈夫?」
心配されているが大丈夫だ。
あらかじめこの店に来て予習を済ませているから。
1人では来る勇気はなく、職場の先輩であるタカヤシさん(本名:
味方のはずの友人どもは、遥とのデートの予行演習だと聞くと、唾を吐きかけて断りやがった。
友達がいのないヤツらだ。
今度、お土産話を山ほど聞かせてやろう。
タカヤシさんは店の雰囲気などお構い無しでビールを頼みまくり、ウェイトレスさんに絡みまくり、ゲラゲラ笑っていた。
色んな意味で経験値が溜まったと言えるだろう。
「ま、大丈夫か。あの店と違って、ドレスコードがある訳でもないしね。カジュアルレストランだよね」
手軽に高級感が味わえる店、という意味では間違いなくカジュアルレストランであり、流石にジーパンにTシャツではハードルが高いとはいえ、ドレスコードもある訳では無い。
しかし、ドアボーイがいる店に平然と入って行く遥は流石だ。
2回目の俺が緊張してるのに。
「わー、綺麗!」
鴨とかクレソンとかなんか普段、滅多に見ないちっさい料理が4種類並んだお皿を見ながら遥が喜ぶ。
このお店のいい所、それは『おまかせ』が使えるところだ。
予算を伝えて、おまかせで頼めば雰囲気のいい料理が出てくる。
なんと素晴らしいシステム。
流石、『大切な人を手軽にもてなしたいを叶える本格フレンチ』のお店だ。
値段もお手頃――あの店に比べればお手頃だ――な上に個室まであり、まさに至れり尽くせり。
誰が調べても店の素性はすぐバレるわけだが、遥はそんなせせこましいことを気にするタイプではない。
優雅にナイフとフォークを使い、可愛い口へと上品に料理を運ぶ。
遥に出来ないのは、野球のバッティングぐらいな気がする。
何をやっても上手い遥だが、バッティングは俺と同じぐらい下手だった。
「ふーむ……ワイン久しぶりだ。こういうお店で飲むと美味しいよね」
「普段、焼酎だもんな」
「
「いつも丈さんですみません」
「丈さん美味しいよね」
『丈さん』は俺の行きつけの焼き鳥屋だ。店長が
大学の後輩のお父さんがやっている店だ。
後輩とはしばらく会ってないがお父さんとは週一以上で会っている。
息子の友達割引は効かないのに、遥割引は効く。
今では1人で行くと割増料金が取られるという謎システムだ。
白身魚のオシャレな料理を食べる頃には、遥の顔が赤くなっていた。
慣れないワインで酔いが早いらしい。
「大丈夫か?」
「全然だよ」
へへーっと無防備に笑う遥。
他の男の前ではワインは飲まないように言っておかねば。
デザートのアイスシャーベットを待つ頃には、遥はかなり出来上がっていて、目がとろーんとしていた。
絶対に他の男の前でワインは飲まないように言っておかなければ。
「すっごい楽しいね〜」
とても上機嫌な遥は、くにゃくにゃと可愛く揺れている。
赤くなった頬と首筋。
ちらりと送られる流し目。
そして、無防備を晒す笑顔。
暴力的な色気を振りまいている。
ウェイトレスさんがデザートのお皿を下げに入って来て、部屋を暗くする。
「キャンドルサービスです」
そう言うと、テーブルの上に小さな炎が灯る。
ゆらりゆらり。
仄暗い部屋を照らす不規則な灯り。
影を濃くした遥がいつもより大人っぽい。
「綺麗だね」
キャンドルを見つめる遥。
「綺麗だな」
遥を見ている俺。
世界が2人だけになったような錯覚。
遥がイタズラっぽい上目遣いで俺を見る。
「蝋燭も楽しそうだよね。やったことないから今夜試してみよう?」
「………台無しにされた気分だ」
ちょっとげんなりして呟く俺に、ケラケラと笑う遥は、やっぱり可愛かった。
本当にドM以外は完璧な彼女だ。
そのうち、ドMなところも完璧な彼女だ、とか言ってそうな自分もいるけど。
ドM以外は完璧な彼女 石の上にも残念 @asarinosakamushi
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