人生の長い道のりを歩いていると「なんで、こんなに努力したのに…。」ということに出くわすことは、生きていくうえでの約束事のように自分の目の前に立ちはだかる。
でも、必ず意味があると僕は思う。
「自分は、なんのために生まれてきたんだ…。」
人生に100パーセント意味のない現実が仮に山のようにあったとしたら、その答えを見つけ出すまでに寿命が残り何十年あったって短すぎて足りないように感じてしまうからだ。
自分では無駄だと思っていたことでも、実は誰かのためになっていることだって、必ずある。
アルるんさんの心からの叫びが、現段階で小説の表舞台でまだスポットライトを浴びていない、(僕も含め)多くの可能性あふれる物書きのみなさんのスポットライトに、しっかりとなっている。
同じ夢を持つ者同士の光になっている。
そう考えれば、努力が無駄であるどころか多くの人を救っていることにならないだろうか。同じ夢を持つもの同士、励まし合いながら新しいご縁に喜びを感じながら、これからも執筆活動に励むことができないだろうか。
目の前にある現実は必ず意味があるから存在する。
意味のない現実は、そもそも始めから自分の目の前に現れてこない。
だから今日も頑張って生きられるんだと思います。
私は5年前からパートナーと創作している。
固定のキャラクター達を色んな世界に放り込んで、たまに文字に起こして、満足していた。
でもふと、文字数が10万文字に近付いて。
文庫本1冊のボリュームになるなと思ったら、だれかにも見てもらいたいと思ってしまった。
自分達しか楽しくないかもしれないけれど、もしかしたら誰かも好きになってくれるかも。
あくまで自分達で楽しむついで。
そんな思いでネットに放ってみた。
読まれなくても気にならないと思ってた。
でもいざ、誰も足を止めてくれないと寂しいものだった。
毎日開いては通知もPVも0。
すこし心がザワついたところにこの方の叫びを目にして、思ってしまった。
確かに、連載を初めて2週間、読まれないことを気にしてしまっている。そのせいで筆も進まない、今日もそう。
自分達だけでキャイキャイ喜んでた時の方が心が健康だった気がする。
やめておけばよかったかなが頭をよぎるも、取り下げるのも悲しい。どうしたものかな。
もはや何度語られたか数えるのも馬鹿らしいほど、擦られまくった話
いくら書いても読まれない
Web小説に投稿経験のある人なら9割以上の人が経験しているはずだ。
☆0作品だけでも全体の35%
☆二桁以下なら、実に全体の95%にもなる
異世界転生モノで☆四桁など持っている作品なんか、誇張でも冗談でもなく作者自身が異世界の住人だ。
読まれなくてもいい、好きな作品が書けるのなら……
自分を慰めるそんな言葉は詭弁だと云うことは誰もが自覚している。
読んでほしい、届いて欲しいと誰もが願い叫んでいるはずだ。
PV0の苦しみは、例えようもない孤独だ。
創作という場所は、謂わば現代世界で最期に自分が自分であることを証明する場所でもあるから。
そこで望みを絶たれることは、何よりも残酷である。
だが、忘れないでほしい。
そんな孤独に咽ぶ者は決して自分だけではないと。
ここにはそんな、同じ孤独を抱える戦友たちが、数えきれないほどたくさんいるのだと云うことを。
読まれない。読まれなかった。
どれほど精魂を傾けても、どれほど精一杯を尽くしても、わたしの書くものには需要がなかった。
誰にも届かなかった。
誰一人、わたしの作品を理解して好きになってくれる人はいなかった。
PV1や2が毎回だった。
短篇でも、連載でも、来る日も来る日も、そうだった。
今でこそPVは20~50に上昇したが、あの頃にきっとわたしの脳細胞の何割かは読まれない苦しみで消えた。
その横を、投稿早々に星三桁になるランカーが満面の笑みで走り抜けていく。
これも何度も見た。
何巡目? というほど見た。
もちろん神さまの悪戯のせいではないことくらい、分かってる。
たとえ読んでいなくても読んだふりをして星を配れば、見返りの星はちゃんと増えるし、もっとも最短コースの受けのいい作風とジャンルも門戸を開いていつでも用意されている。
そこに手を伸ばさないのは自分が悪いのであって、誰のせいでもない。
読んでもらいたいのなら、順位を上げたいのならば、『これをすればいい』という確実な方法がある。
カクヨム内の仮想通貨であると承知の上で、その甘い果実に手を伸ばせばよい。
気休めは云いたくない。
「読まれない」
そんな長い長い年月を過ごしていると、その辛さに引きずられることの絶望と辛さが身にしみる。
更新しても更新しても、「せめてここまでは辿り着いて欲しい、読んで欲しい」という願いを、PVゼロ、感想ゼロが打ち砕く。
それはあなた自身への完全否定だ。
「だからね、それ、誰もがあなたとまったく同じ気持ちなんですよ。七割の人が星一桁台なんだから。だから読み合って、お互いにメンタル上げましょうよ」
安直な方法ではあるが、これも、正解だと思う。
精神状態だけでなく人生そのものが墜落しかかっているのなら、もう一度楽しく創作ができるまで、ちょっと深呼吸した方がいい。
天才画家ゴッホだって耳を切ったのだ。
あの時代よりも今のほうが酷い。
何千倍もの情報と孤独にわたしたちは晒されている。
ゴッホが生きていた時代が池ならば、わたしたちに襲いかかっているのは海なのだ。
誰からも読まれないという辛さを身をもって知っているがゆえに、せめてお伝えしたい。
運よくあなたが認められてプロ作家になったとしたら、「読まれない」は「売れない」に代わる。
そこで味わう絶望と溺死の地獄は、今の比ではないですよ、と。
夢というのは実現しないから夢なのだと、誰かが言っていた。
人は誰でも自分だけは例外だと思い込むものだと、別の誰かが言っていた。
この作品に書かれていることは、遠い日に見た夢や期待の答え合わせみたいなものだった。
ここに書かれていることは、別に趣味に限った話じゃない。
本職の仕事でも同じことだ。
私がしている仕事では、定期的に対外的にアンケートを取る必要がある。
私のサービス(仕事)には果たして、どれだけの意味があるのか。課題、反省点は何か。輝いている点はどこかといった具合だ。
しかし、この作業が、他のどんな酷な作業よりも嫌いである。
酷評されるならまだ良い。
誰も返さない。無回答。
仕事なんだから、当然熱を入れる。サービスもそう、アンケートの内容もそうだ。
今後の価値創出のために進める。それでもなお、誰も反応しない。
ショックだった。数日は食事が喉を通らなかった。
が、何回も何回も経験すると流石に慣れてくる。手の皮が分厚くなるのと同じだ。
私はてっきり、誰かの血肉になれると思い込んでいたのだ。何かに貢献できると思い込んでいたのだ。
誰かの人生に関与出来るだなんて、おこがましい話ではないか。
良いものが出来れば、黙ってても人がついてくるなんて、アニメやドラマの世界だ。それは夢の世界だ。夢は実現しないから夢なのだ。
いい加減、気付かなくてはいけないんだ。
良い作品を書いて、それで誰かが喜んでくれる。この構図そのものが、ただの創作者のエゴなのだと。
エゴを自覚し、それを貫きたいなら、売るしかない。営業をかけるしかない。
意図的に仕掛けにいくしかない。
それが傍目から見て、どれだけお惚けに見えたとしても。
この作品は夢を見る者の微睡みだ。
私は郷愁を覚える。ありもしない故郷への物思いに耽って、つい泣きたくなった。